LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

阪神5151形電車

阪神5151形電車(はんしん5151がたでんしゃ)は、阪神電気鉄道がかつて所有していた各駅停車用の通勤形電車である。輸送力の増強を目的に1964年に2両が製造された。1958年に製造された「ジェットカー」の先行試作車5001形(初代)2両と、1959年から1960年にかけて製造された5101・5201形30両、引き続いて1961年から1963年にかけて製造された5231形24両の合計56両の登場によって、1963年秋以降は阪神本線の普通全列車が「ジェットカー」での運転となった。しかし、当時の阪神の新設軌道各線は、架線電圧の直流600Vから1,500Vへの昇圧準備を進めており、600Vの時点では単車運用可能なジェットカー各形式のうち、昇圧後は5231形は2両固定編成となることから、3両編成で運転する際には増結車が不足することが予想された。そこで、5231形をベースに1,500V昇圧に対応し、昇圧後も単車走行が可能な5151形を新造することとなった。5151形は1964年5月に5151, 5152の2両が汽車製造で製造された。形式が5100番台になっているのは、先に登場した5101形と同様に増結用の車両であることを示す意味合いが強いが、両運転台の5101形と異なり、片運転台であるために大きく車両番号を飛ばして付番している。車体は5231形と同様、全長約18.8m、車体幅2.8mで裾部分もRのついたタイプであるが、屋根肩のRが400mmと他形式より大きい分だけ側板から屋根のカーブにかかる位置が低く、他形式と連結されると凹凸がよく目立った。側面窓配置はd1D3D3D2(d:乗務員扉、D:客用扉)、客用扉は普通系車両標準の幅1,400mmの両開き扉を継承し、ドア間の3枚窓も5231形と同じ連続窓風の窓柱の細いタイプであった。正面のデザインも5231形を引き継いだ貫通扉つきの正面3枚窓で、左右の窓上に前照灯を取り付けていたほか、左右裾部には尾灯を取り付け、左右の窓の外側には雨樋が露出した状態で取り付けられており、車掌台側の雨樋の横には屋根上へのステップが取り付けられていた。妻面は5231形最終増備車の5249 - 5254と同様に完全な切妻状に変更された。台車および電装品は5231形と変更はなく、台車はジェットカーの762mm小径車輪に合わせた金属バネ台車の住友金属工業FS-343を装着し、歯数比は他のジェットカー各形式と同様に74:13 (6.83) の高ギアで、主電動機は出力75kWの東洋電機製造製TDK-814-Bを4基搭載、制御器は昇圧対応の東芝製MM-12-Aを採用したほか、駆動装置も中空軸平行カルダンとされた。パンタグラフは5151, 5152の2両とも運転台側と連結面に2基搭載した。5151形が投入された時点で夜間を除いて普通の3連運行を実施していたことから、出庫前に車庫内で他形式と3両編成を組成することもあったほか、朝ラッシュ前に車庫最寄りの尼崎・新在家の両駅で運転中の2両編成に増結され、夕ラッシュ終了後、今度は逆に尼崎駅・新在家の両駅で1両解放されて入庫した。5151形の新造直後に千鳥橋 - 西九条間が延長されて、路線名も伝法線から改名された西大阪線に、5151形も他の大型車と同様に2両編成を組んで入線した。5151形同士で2両編成を組む場合は、いずれか1両の連結面のパンタグラフを降下して連結していた。1967年11月の昇圧時には、当初の計画どおり単車昇圧で対応、同時に連結面側のパンタグラフを撤去して運転台側の1基のみとした。昇圧後の5151形は、ジェットカー各形式の増備が一段落した1969年頃には他の単車走行可能な5001, 5101, 5201, 5311の各形式36両とともに、2両固定編成の5231, 5261の両形式17編成および従来から2両固定で使われることが多かった「ジェットシルバー」こと5201形5201 - 5202編成2連1本の合計2連×18編成を組み合わせて朝ラッシュ時4両編成、データイムおよび夕ラッシュ時3両編成、夜間は2両編成で運転するというきめの細かい運用を行うようになった。主な運用パターンは、4連でラッシュ運用に充当後、尼崎ないしは御影で1両解放、夕ラッシュ終了後再び尼崎ないし御影で1両解放して2両編成で終電まで運転した。運用のバリエーションとしては、入庫後、増結車で3連を組成して車両交換で再び出庫したり、あるいは翌日の運用に備えて車庫内で4両編成を組んだほか、早朝2連で出庫して今度は尼崎ないし御影で2両増結、ラッシュ運用に充当されたりした。この運用形態は1977年に5001形(2代)が登場して、初期投入のジェットカー各形式の置き換えが本格化する1970年代末期まで行われ、その後は早朝深夜2両、その他の時間帯は4両といった形態に簡素化された。阪神の普通系車両の冷房化は、5001形(2代)の投入と同年に実施された5261形非冷房車の冷房改造によって本格的に行われるようになった。この時点で5231, 5151, 5311各形式が非冷房で残っていたが、折からの第二次石油ショックに端を発した省エネルギーブームの中で、阪神においても省エネルギー率の高い回生ブレーキつきの電機子チョッパ制御に着目、導入へのテストベッドとして、3連運用がなくなって同形式で2両編成を組むことになったことから単車走行対応の制御器が不要となった5151, 5311の両形式に白羽の矢を立てて、台車と主電動機を流用して制御器を回生ブレーキつきの電機子チョッパ制御に換装するとともに冷房改造を実施することとなった。改造項目は以下のとおり。この時の改造結果が良好であったことから、翌1981年には回生ブレーキつき電機子チョッパ制御の5131, 5331形を新造、5231形は使用年数と耐用年数を勘案して、冷房改造を実施せずに両形式に台車および主電動機を提供する形で廃車することとした。1983年5月7日に5231形4両が廃車されたことによって阪神電鉄の営業用車両の全車冷房化が達成されたが、その中で5151形はジェットカー第一世代の中で唯一の冷房改造車となり、登場時「ジェットブルー」と呼ばれて世間を瞠目させた従来車の雰囲気を色濃く残していた。冷房改造後も各形式と連結、解放を繰り返していた5151形であったが、1987年の普通列車終日4両編成化に伴い、5261形5269 - 5270を連結相手として、梅田寄りから5269 - 5270 + 5151 - 5152の4両編成を組むようになった。しかし登場以来30年以上経過し、冷房改造と制御器換装からも15年近く経過した1990年代半ばになると老朽化から後継車への置き換えが計画されるようになった。そんな矢先の1995年1月17日、阪神・淡路大震災によって阪神本線は壊滅的な打撃を受けた。この日、5269 - 5270 + 5151 - 5152の4連は三宮駅3番線に留置されていたが、震度7の激しい衝撃に5151 - 5152がホームに乗り上げ、車体が大きく大破した。同年2月1日に高速神戸 - 三宮間が復旧した際には被災当日のまま3番線に留め置かれていた状態であり、その破損ぶりは車体側面に大きな凹みがあっただけでなく、客用扉も外れかけたり側板を突き破りかけたりするなど凄惨なものであった。その後、復旧区間が西灘まで延長された後に三宮 - 元町間で被災した2000系2201編成ともども地上に搬出され、そこからトレーラーで大阪市西淀川区に設けられた臨時の被災車留置場に搬入され、他の被災車両とともに保管されていたが、修繕不能として同年3月31日に廃車され、形式消滅した。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。