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XF-108 (戦闘機)

XF-108は、アメリカ空軍が計画していた長距離要撃機・護衛戦闘機。開発はノースアメリカンが行っており、愛称はレイピア(Rapier、細身の剣)。最高速度マッハ3を超える高速戦闘機として開発されていたが、予算上の問題や、護衛対象とされたB-70戦略爆撃機の計画縮小などから、実機が制作されないまま1959年9月23日に開発中止された。1950年代初頭のアメリカ合衆国では、北極海を越え核攻撃を目指してくるソビエト連邦の爆撃機を要撃するため、高速度で大きな航続性能を持つ高速要撃機が要求されていた。1952年にはアメリカ空軍によって高速長距離要撃機の開発が検討が開始され、1955年7月20日にはこの種の航空機の開発が認められることになり、ノースアメリカン、ロッキード、ノースロップの3社に要求が提示された。この要求には、双発複座で武装はミサイルのみ、最大速度はマッハ1.7以上、1,840kmの戦闘行動半径、高度18,000mでの飛行可能、などが盛り込まれた。比較の結果ノースアメリカンのNA-236案が有望とされ、これが採択された。しかし、予算上の問題で長距離要撃機計画は、1956年5月9日に中止となってしまった。その後1957年4月11日に計画は再開されるが、その性格は大きく変更され、長距離要撃のほか当時の戦略航空軍団の次期爆撃機として開発が進められていたB-70の護衛戦闘機としての性能も要求された。そのため、マッハ3での巡航が可能でかつ航続性能の大きな航空機が必要とされた。アメリカ空軍は1957年6月6日にこの要求を盛り込んだ上でノースアメリカンに開発再開を依頼し、試作機2機の発注がなされた。この航空機にはXF-108およびウエポンシステム202Aの名称が与えられた。ノースアメリカンはNA-236案と同様のNA-257案でもって開発を再開した。しかし、B-70の目標とした航続距離が約12,000km(アラスカ-モスクワ間を無給油で往復することが目標であった)にも及ぶのに対しXF-108は4,000km程度であったことから、戦略航空軍団において「爆撃機の全航程をカバーできない護衛は護衛ではない」、あるいは「戦闘機が向かってくるなら護衛もできるが、対空ミサイル相手では護衛できない」といった護衛戦闘機への懐疑論が生じたことや、ICBMやSLBMなど爆撃機より安全で確実な核攻撃手段の発達などによってB-70計画が縮小されたことにより、計画への興味は次第に失われた。結局XF-108は1959年にモックアップのみ作成されたものの、同年9月23日に再び開発が中止された。XF-108の代替として、マッハ3で巡航可能なCIAの偵察機、ロッキードA-12の戦闘機型YF-12が新たに計画されたが、これも1965年に試作段階で計画中止となってしまった。A-12の派生型としては他に空軍の偵察機SR-71が実用化されている。B-70も試作機XB-70が二機制作されるのに留まっている。2段の後退角を持った高翼の変形デルタ翼機であり、前縁後退角は内翼で58度、外翼で40度となっている。主翼下面にはベントラルフィンがあり、また外翼には4度の下半角が付けられ、垂直尾翼は全遊動式1枚である。2次元インテイクを胴体側面に持ち、B-70と同じゼネラル・エレクトリック製J93ジェットエンジンを2基搭載する予定であった。このエンジンにはスラストリバーサーを装着することも検討された。火器管制装置としてパルスドップラーレーダーを用いたヒューズAN/ASG-18を装備した。武装はミサイルのみで、核弾頭装備のGAR-9/AIM-47空対空ミサイルが計画された。後席の乗員が武器を担当した。因みに、射出座席はB-70と同じ乗員毎のカプセル式が予定された。XF-108そのものの開発は中止されたが、火器管制装置のAN/ASG-18と空対空ミサイルのAIM-47という組み合わせはA-12の戦闘機型YF-12に引き継がれ、洗練を経てグラマンF-14のAN/AWG-9とAIM-54フェニックスとして結実した。ミリタリーエアクラフト 1994年1月号 「アメリカ空軍戦闘機 1945-1993」 P.154 デルタ出版

出典:wikipedia

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