ケンブリッジ公爵夫人キャサリン(Catherine, Duchess of Cambridge、旧名: キャサリン・エリザベス・"ケイト"・ミドルトン(Catherine Elizabeth "Kate" Middleton)、1982年1月9日 - )は、イギリス王室のケンブリッジ公ウィリアム王子の配偶者。同王子との成婚に際し、同王子がケンブリッジ公爵に叙任されたことにより、ケンブリッジ公爵夫人と称される。敬称は殿下("Her Royal Highness")。ケイトはキャサリンの愛称(短縮形)であるが、ウィリアムの恋人としてメディアに取り上げられるまで家族、友人からケイトと呼ばれたことはなかった。1982年1月9日にレディングの王立バークシャー病院で生まれた。父のマイケル・フランシス・ミドルトン(1949年6月23日生)は英国航空においてディスパッチャーとして、母のキャロル・エリザベス(旧姓:ゴールドスミス、1955年1月31日生)は客室乗務員として勤務していた際に二人は出会い、バッキンガムシャーのドーニー教区教会で1980年6月21日に結婚した。マイケルの父はパイロット、その先は数代にわたってリーズの事務弁護士であり中流階級に属していた。曾祖母のオリヴィアの実家であるラプトン家は羊毛商を営んでおり祖先の一人にはトーマス・フェアファクスがいるリーズの名家である 。母方の祖父母はそれぞれ工員と炭鉱夫の家系で労働者階級に属していた。そのために、ウィリアムとの結婚では誇張気味に「炭坑から王室へ」などと報じられた。英国航空を退職したミドルトン夫妻は1987年に玩具・パーティー用品の通信販売会社「パーティ・ピーシーズ」を設立した。会社は成功をおさめ、一家は富豪となった 。キャサリンの兄弟にはフィリッパ・シャーロット(ピッパ)(1983年生)、ジェームズ・ウィリアム(1987年生)がいる。妹のピッパ(エジンバラ大学卒業生)もキャサリンとの関係と彼女自身のライフスタイルへの関心からプレス報道を受けた。キャサリンはバークシャーで育ち、マールボロ・カレッジを卒業した後セント・アンドルーズ大学に入学した。大学で美術史の学位を取得後、ファッションブランド「ジグソー」のアクセサリー部門のバイヤーをしていたが、2007年に写真家になるためにその職を辞めたと報じられた。セント・アンドルーズ大学で、学友としてウィリアム王子と知り合う。大学内で開かれたファッションショーにモデルとして出演したキャサリンにウィリアムが一目惚れし、ルームメイトだったこともあり、親しく交際が始まった。在学中に他の友人も交えた共同生活で絆を深めた。ずっと交際の噂はあったものの、2人の関係が公になったのは2004年頃で、ウィンザー家毎年恒例のスキー旅行にキャサリンが同行したことで、「未来のプリンセス」として取り上げられた。2007年1月ごろ、イギリスのメディアが、キャサリンの誕生日の9日にウィリアムがプロポーズし婚約する、という報道を行った。この頃から報道合戦が過熱し、パパラッチが問題視され、報道規制がかけられる事態となった。2007年4月14日、英大衆紙「サン」はウィリアムとキャサリンの関係が突如破局したと報じた。理由に関しては定かではないが、BBCの王室担当記者は「2人の仲は問題はないように思えたので驚きだ」と語り、「王子は結婚はまだ早すぎると話していたが、王子の決断というよりは2人で合意したことだろう」と指摘した。一部メディアは破局の一因としてパパラッチの問題や、中流階級であるキャサリンおよびキャサリンの母親の言動を挙げ、階級差を指摘し王室に相応しくないと報じるマスコミの存在を指摘している。英大衆紙『News of the World』は、エリザベス女王が「(結婚の意思がないのなら)急ぐべきでない。ダイアナ妃の二の舞になることを望んでいない」とウィリアムに対し忠告したと報じている。2007年6月24日付けの英大衆紙「メール・オン・サンデー」がウィリアム王子との復縁を報じる。7月1日に行われたウィリアムとヘンリー王子主催のダイアナ妃の追悼コンサートに姿を見せた。既に同棲しており2009年には結婚、と伝えるメディアもあるが、公式には復縁の発表はなかった。2010年10月、2人は旅行先のケニアで婚約し、11月16日、王室より正式に公表された。婚約指輪はダイアナ元妃のものであった。挙式は2011年4月29日にウェストミンスター寺院で行われ、YouTubeでもライブ配信された。花嫁の付き添い人(メイド・オブ・オナー)を務めたのは、妹のピッパ・ミドルトンである。結婚式当日は公休となり、夜にはバッキンガム宮殿で祖母エリザベス女王主催のパーティーが開かれる模様で、各国から王室関係者や著名人などが参加する。日本からも皇太子徳仁親王夫妻が出席する予定であったが、東日本大震災の影響により取り止めとなった。キャサリンが身に着けたウェディングドレスは、アレキサンダー・マックイーンのサラ・バートンがデザインした。ティアラはエリザベス女王が18歳の誕生日のときに父ジョージ6世から送られたもので、1936年にカルティエがデザインしている。なお、結婚式で凱旋した馬車は1902年製のもので、ウィリアム王子とキャサリン妃の結婚式以前では1981年に王子の両親であるチャールズ王太子とダイアナがこの馬車を使用した。その他のイギリス王室結婚式では1986年にもアンドルー王子とセーラもこの馬車を使用している。余談ではあるが、イギリス王室の王位継承権を保持する人物が一般家庭出身の女性を妃に娶った例は、1660年にジェームス2世と、庶子から大法官にまで出世したエドワード・ハイド(後のクラレンドン伯爵)の娘であるアン・ハイドとの結婚以来、実に351年ぶりの出来事である。義理の父であるチャールズ王太子の後妻カミラとは犬猿の仲らしく、たびたび不仲の記事が新聞やニュースでとりあげられている。義父の再婚相手であって姑といえないのに義母のように振舞うカミラの態度もさることながら、キャサリン妃が亡きダイアナを尊敬している事も長く不倫関係を続けていたカミラを憎む要因とされている。2012年12月3日、イギリス王室がキャサリンが懐妊したことを発表。この一報にはデーヴィッド・キャメロン(イギリス首相)もTwitterで祝意を寄せた。2013年7月22日の午後4時24分(日本時間:7月23日の午前0時24分)、キャサリンはロンドン市内のセント・メアリー病院()にて第1子となる長男ジョージを出産。新王子は祖父のチャールズ、父のウイリアムに次ぐイギリス国王継承第3位である。2014年9月8日、ケンジントン宮殿より、キャサリンが第2子を懐妊中であることが発表された.。2015年5月2日の午前8時34分(日本時間:2日午後4時24分)、ロンドン市内の病院にて第2子となる長女を出産。長女には「プリンセス」の称号と「殿下(HRH)」の敬称が与えられ、5月4日には「シャーロット・エリザベス・ダイアナ」と命名された。結果、Her Royal Highness Princess Charlotte of Cambridge(シャーロット・オブ・ケンブリッジ王女殿下)のように呼ばれることとなる。王位継承順位は、祖父チャールズ皇太子、父ウィリアム王子、兄ジョージ王子に次ぐ4位となる。。キャサリンの正式称号・敬称は、"Her Royal Highness The Duchess of Cambridge, Countess of Strathearn, Lady Carrickfergus"(ケンブリッジ公爵夫人、ストラザーン伯爵夫人、キャリクファーガス男爵夫人殿下)である。2011年4月19日、結婚を控え、ミドルトン家の3人の子供に新たに紋章が付与された。青色のリボンは未婚の女性であることを示している。キャサリンの弟のジェームズは自分の子孫にこの紋章を継承することができる。結婚後は、この紋章とウィリアム王子の紋章を組み合わせた新たな紋章が作られ、キャサリン妃の紋章となった。
出典:wikipedia
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