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サンデーベスト

サンデーベスト(Sunday Best)は、RSKラジオで放送されていた音楽番組である。愛称は「サンベス」。主として扱っていた音楽ジャンルは洋楽ポップス・ロックである。毎週日曜22時15分 - 25時に生放送。ただし時代により開始・終了時間は前後していた。前番組「ジャックあまののGO!GO!あまのじゃく」が放送されていた頃は22時30分、もしくは22時45分スタート。終了時間も25時15分、30分、26時の頃があった。「Heavy Metal Syndicate」がスタートするまでは1週間の最終番組という位置づけで、放送終了後は間髪入れずにクロージングに移っており、周波数(全県1490KHZ→1494KHZ)・中継局の出力アナウンスを同番組に寄せられたリクエスト曲をバックに生放送していた(その後「ヘビメタ」スタート以後は事前の録音になった)。番組の生みの親でもある初代ディレクターの河田兼良は、リスナーからのリクエストを主体にした洋楽専門の音楽番組を発信するのは開始当時でもかなりの冒険であった、と述懐している。しかし、第1回放送後翌週放送までに寄せられたハガキは(プレゼントすら出していないのに)実に600通に及んだ。地元主体の深夜番組を岡山の若者達が希求していた事の現れであろう。その後一ヶ月程で番組の人気は定着したという。兵庫(神戸)と広島に挟まれた地理的条件により特に洋楽アーティストは岡山を素通りする事が多かったのだが、番組を通じてプロモーターを動かし、ビー・ジーズ、ミッシェル・ポルナレフ、カーペンターズ、Mr.Bigを岡山に招聘する、という快挙を成し遂げた。また、岡山県岡山市に本社がある音楽プロモーター「夢番地」設立のきっかけにもなった。放送期間約29年という歴史の深い番組ゆえにB'zのボーカル稲葉浩志や、ザ・クロマニヨンズの甲本ヒロトなど岡山県出身のミュージシャンの中には、学生時代に熱心なリスナーでこの番組に影響を受けて音楽の道を選んだ者も多い。また、この番組を聞いて放送関係の仕事を志した者も多く、岡山の若者達に多くの影響を与えつづけた番組であった。岡山・香川のローカルタレントとして知られる相田翔吾(RSKテレビ「ユタンポ」出演中)や「百ます計算」で知られる陰山英男も元リスナーである。'70年代には初代プロデューサー河田兼良の人脈で岡林信康、吉田拓郎、井上陽水、高田渡、なぎら健壱、アリス、アルフィーなどの国内ミュージシャンが洋楽番組にもかかわらずよくゲストとして登場していた。特になぎらは、最終回のゲストでも登場した。各時代によって細かいコーナー変更はあるが以下のコーナーのいくつかは基本的に変更なく最終回まで続いたものもある。基本的に放送局である山陽放送の男性アナウンサーがメインパーソナリティを務める。番組のナビゲーション役でもある事から一定以上のポピュラー音楽、特に洋楽に関する知識を要求される為か定かではないが、石田好伸や鍋島昭茂のように、サンベスパーソナリティになりたくてもなれない者もいた。(鍋島は安田時代の'91年9月に1週だけ代役を務めた事がある)また、'89年4月〜'91年3月にパーソナリティとなったバロム1(早川治)はアシスタントからメインパーソナリティとなった。基本フォーマットは不変であったが各歴代パーソナリティによって番組のカラーが多少は違っていたため、以下ではパーソナリティ毎にそれぞれを「時代」としてひとくくりに表現する。※着任/降板月日を記入している物は確認済。パーソナリティのアシスタントとして「サンベスガール」がいた。滝沢時代までは素人の女子大生が担当していたが、安田時代に就任した榎崎朱子以降、RSKの若手女子アナウンサーが担当するようになった。また、サンベスガールは番組オープニングのタイトルコール(昔の20世紀フォックスのオープニングロゴテーマの後ドラムロールに乗せて「Now, We Present You, Sunday Best !」とコールする)やサンベスベスト20での曲名の読み上げを担当していたため、英語が堪能な者が起用される事が多かった。滝沢時代に頻繁に実施されていたPOP TOWN(ポップタウン)は、毎週日曜15:00からRSKのラジオ第1スタジオ(現在のテレビニューススタジオ)でリスナー達を集めて行われていたいわゆる公開録音イベントであった。イベントに参加した常連リスナー達の中から後に「お茶汲み隊」を結成する椿屋京豚などを輩出した。集まったリスナーの中から希望者を募りニューリリースの曲を紹介してもらっていた。当然そのときの曲紹介コメントは本放送時に放送された。瀬戸大橋が開通した'88年にはJR児島駅前で開催されていた瀬戸大橋博のイベント会場でPOPTOWNが開催されている。ポップタウン誕生のきっかけは、一時降板しながら1年で復帰する程リスナーからの人気・信頼が高かった島田博から後任として番組を引き継いだ滝沢に対して当然の如くリスナー達からの反動的な意見が殺到し、滝沢が「それならこんな事を書いてよこす奴らの顔を見てやろう」と思い立った事にあった。最初のポップタウンの参加者はたった7人と少なかったが後に整理券を配らなければならなくなる程リスナーが殺到するようになる。この時の思いつきが後に番組の代表的な人気イベントとしてリスナーとの間の絆を深める重要なファクターとなり「サンベスといえばポップタウン」とこの時代の多くのリスナー達の良き思い出としてその後20年以上経っても記憶に留める助けとなったのある。その後、滝沢はリスナーから島田以上の人気と信頼を獲得したのは言うまでもない。そんな中、洋楽、ひいては音楽とは全く関係ない趣旨でポップタウンに参加する集団があった。後にお茶汲み隊のメンバーとなる椿屋京豚が操山高校時代に参加していたプロレス愛好家集団「ストロングマチーン軍団」である。彼らは主にポップタウン開始時のタイトルコールとなる「雄叫び」を受け持つようになる。後に彼らのうちの数人(京豚含む)が(かつての)学生プロレス集団「O.P.G.(俺たちプロレス軍団)」を結成する事になるのである。番組の代表的イベントへと成長していったポップタウンもバロム1時代以降は予算等の事情により開催の頻度は極端に減り、毎年末に行われる「サンベスオールナイト」の先行イベントとして当日の午後にRSK本社ロビーで開催されるもののみとなっていったが、地元密着型のローカル音楽番組として番組(パーソナリティ)とリスナーの絆を深めるための重要な役割を果たしていたといえよう。そんな年末POP TOWNも横須賀時代を最後に行われなくなってしまった。また、滝沢時代の倉敷市笹沖のデパート「サブリーナタウン」特設ステージでの夏のポップタウンやバロム時代の県営グラウンドでの缶蹴り大会、安田時代の岡山市民会館でのイベント(エコーズのライブあり)、横須賀時代のRSKメディアコムでのポップタウン、藤が鳴フルーツパークでのデイキャンプ、武田時代の津山市吉井川河川敷・後楽園入口でのリスナーミーティングなど、不定期もしくは一回限りのイベントもその時々によって行われたりしていた。このような地道な小規模のイベントがパーソナリティとリスナーとの距離を近づける良い機会となり、リスナーを獲得するきっかけとなっていたのである。サンベス最大のイベントは毎年クリスマス前後の日曜日の20時前後〜翌朝4時まで放送する「サンベスオールナイト」であった。島田時代には「はやくりぱ(早めのクリスマスパーティの略)」と呼ばれており、若手時代のアリスがゲスト登場したこともあった。最大の目玉は毎週のランキングからポイントを集計し年間ランキングを発表する年間ベスト50。年間ベスト3を予想するクイズも実施されていた。その他、椿屋京白らアシスタントが放送中県内を巡りリスナー宅を探しまわったり(訪問はせず放送を通じて自室の電気をつけたり消したりさせる事で起きている事を確認)新岡山港の駐車場でテンポよくリズムを刻む車やブティックホテルに吸い込まれる様に入っていく車など年の瀬ならではの模様をレポートしたり、リスナーが事前に自宅の電話番号をハガキに書いて投稿し、放送中にリスナーが起きて聴いているか電話をかけて確認する「起きてるか電話(別名:二度ベル)」など、盛りだくさんの内容で一年を締めくくっていた。このオールナイトも横須賀時代以降は年を追うごとに縮小傾向に陥り、午前4時まで放送する事も少なくなっていった。決してリスナーの番組離れがあった訳でもなく、また洋楽がトレンドでなくなった訳でもない。番組終了の最大の要因はスポンサー獲得が困難になってきた事によるといわれている。番組では、例えば「サンベスシアター」では岡山メルパの母体である福武観光、「LMスタジオ」は太田洋行(現在のヤマハミュージック瀬戸内・岡山店)といった具合に各コーナーごとにスポンサーをつけていたが実際スポンサーがついていないコーナーもいくつかあった。番組開始30周年を前に番組は終了したのであるが、終了後も不定期で突如復活する事がある。パーソナリティーは武田博志と中村恵美。終了から半年も経たないうちに放送されたこの番組では洋楽を各方面から取り上げた初心者向けコーナーが設けられた。また電話参加による洋楽のイントロクイズも行われたが、リスナーの勢いに呑まれたパーソナリティーが脱線する余り答えのヒントを間違えるというハプニングもあった。クリスマスイブという事もあり少し豪華に二部構成で放送された。また、「百ます計算」で知られる陰山英男や相田翔吾も登場。滝沢、森田、京白、京豚ら黄金時代の面々が一堂に会しほとんど黄金期の同窓会状態の放送となった。後にこの回の放送は2007年7月に"リスナーとの間の絆を保ち続けた番組"として放送業界から表彰される。前回の実績および放送を聴いたかつてのリスナーからの反響が大きかった事もあって、再び「初夢サンベスPOPTOWN」として特番が組まれた(6日=ロックの日として、懐かしのロックのリクエストを放送)。なお、この放送に先んじて当日の昼過ぎにおよそ10年ぶりとなる山陽放送社屋内・実際に番組が放送されるスタジオでの公開録音が実施された(スタジオでの公開録音はそれこそ20年以上ぶりとなる)。収録には、ポップタウンに実際に参加していた元リスナーが多く参加し、その中にはポップタウンで知り合い、その後結婚し銀婚式を迎える夫婦や、会社の社長になり当日の番組のスポンサーをかって出た者、モンゴルに恐竜の化石を発掘しにいった者、滝沢時代の歴代サンベスガールなどの錚々たる顔ぶれもあった。当の本番ではラスト5分前に元サンベスガールの流王(旧姓)満美子が突如登場するといったハプニングも交え、また、番組中でかけられたリクエスト曲やCMなどを除いた番組中のスタジオの模様をリアルタイムでストリーミング配信したため県内だけでなく東京や姫路・北海道など県外(フィンランドなど国外も含む)で活躍している元リスナー達からもオンタイムで聴いている旨のメールが多数送られた。全面的な番組の復活となると編成上/制作上のハードルがあると考えられるが年に一度程度の特番としての復活であれば今後も継続していけるのではないか、という雰囲気を匂わせながら結果的に前回以上に大きな反響を及ぼしつつ無事に終了したのであった。前年の実績と反響の大きさもあり、また、前回放送中のパーソナリティ滝沢の「年に一度くらいは復活できるかも」発言の通りに一年後に復活した。今回はリクエストも“70〜80年代のロック”に限定し募集した。前回ラストにちょっとだけ登場した流王満美子が番組冒頭から登場。現在妊娠中で3月に出産予定であることを報告というおめでたい話から番組は始まった。また、放送中に寄せられたメールなどでもフランスで聴いている元リスナーや、ファジアーノ岡山の代表取締役、木村正明(流王の幼なじみであることが判明)からのメールも届く。昨年以上のリスナーからの反響により2時間ではとても収まりきれないほどの充実ぶりで無事に番組は終了した。山陽放送開局60周年記念プレミアムウィークと題して10月1日からの一週間に放送される特番のうちの一つとして3年10ヶ月ぶりに復活。これまで本放送も終了後の特番も夜の放送であったが今回は午後1時から午後3時までの昼間の放送である。12年ぶりのレギュラー復活ということで日曜昼に1時間番組として放送。パーソナリティーは滝沢と内尾仁子が担当。最終回は山陽放送の玄関ロビーでの公開生放送だった。

出典:wikipedia

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