水曜どうでしょうの企画(すいようどうでしょうのきかく)では、北海道テレビ放送制作のバラエティ深夜番組『水曜どうでしょう』(以下『どうでしょう』)、および『どうでしょうリターンズ』(以下『リターンズ』)『水曜どうでしょうClassic』(以下『Classic』)で放送された企画の中から、「レギュラー放送」時(1996年10月から2002年9月)に日本国内で収録した企画について述べる。企画名については番組内で多数の呼び方がある企画があるが、本記事においては「水曜どうでしょうDVD全集」として発売した映像に付与されたものを正式タイトルとし、DVD化が未定の企画については暫定的に放送時のタイトルを用いるものとする。鈴井貴之考案の企画のひとつ。『どうでしょう』を象徴する企画であり、多くの番組で類似企画が放送されている。番組開始からほぼ半年に1度のペースで放送されていたが、1999年12月に放送された「サイコロ6」を最後に実施されていない。6つのサイコロの目それぞれに移動手段と行き先を割り当て、大泉洋と鈴井が明治製菓のサイコロキャラメルのサイコロを振って出た目によって次の行き先を決定する。東京(第4弾は出雲大社)から北海道へ帰ってこられたらゴール。「宿泊」などの目が出ない限りはゴールするまでひたすら移動を続けなければならず、夜行バス(番組内では深夜バスと呼称)やフェリーでの長時間移動を余儀なくされる過酷な企画である。サイコロを振る際は、TV番組『ごきげんよう』の「何が出るかな? 何が出るかな?…」を掛け声にして踊る(主に大泉が振る際)のが通例。原則は「週末にロケを行い、月曜日の午前中がタイムリミット」となっていた。理由として、鈴井がパーソナリティを務めていたラジオ番組『GO・I・S』(AIR-G')が月曜日 - 金曜日の夕方(帯番組)に生放送されていたため、週終わりの放送終了から週明けの放送開始までのスパンで帰札を可能にするためである。ただし「2」「3(前編)」「4」「6」では「最後のサイコロで北海道にゴールできず、時間切れで終了」という形を取っている(その場合は千歳行きのある最寄りの空港からの帰札)。なお「2」以降においては、タイムリミットの直前のサイコロの目が高確率(3〜4項目)で“札幌”の目に差し替えられるチャンスタイムが行われる。チャンスタイムで札幌が出たのは、6回のうち「3(後編)」「5」の2回のみ(「3」は前編・後編を分けてカウント。また、「1」はチャンスタイム以前に札幌に戻れる目が出たため、「サイコロ韓国」は企画趣旨が異なるために除く)。1度だけ外国で行った「サイコロ韓国」がある(詳細は韓国食い道楽 サイコロの旅を参照)。2001年に発売されたパソコン用CD-ROM「水曜どうでしょう大辞典vol.2 サイコロの旅ゲーム」において、ゲーム化されている。その際に実際に乗車したりフリップにのみ記された深夜バスの名称にはすべてアレンジが入っている(例「おけさ号」→「おさけ号」)が、本編さながらの構成となっている。『どうでしょう』レギュラー放送最初の旅企画。当初の企画名は「アンルイスの取材で東京までせっかく来たんだから何かやってから帰りましょう企画」。2000年発売の『水曜どうでしょうビデオ』第1巻にも収録されている(数量限定発売。後の『Classic』での放送も『水曜どうでしょうビデオ』の構成が基になっている)。レギュラー放送版では冒頭でアン・ルイスとのインタビューが放送されたため、午前中の再放送や『リターンズ』では第2夜を「粗大ゴミで家を作ろう」第1夜と同時に放送し、『Classic』では全1回に再編集された。「1」と同じく「歌手とのインタビュー(西城秀樹との対談)」という名目を立て、大泉を六本木プリンスホテルへと向かわせたが、到着した先に待ち構えた鈴井から「サイコロの旅」であることが知らされる。『どうでしょう』においては導入部が初の「大泉だまし」となった。大泉が東京に行く経緯はリターンズまでは放送され、Classicでは編集されて省略されたが、DVD第2弾には収録されている。嬉野Dがテレビドラマ『なまらキッズ』監督のため不在となり、代理として藤村Dと同期入社の杉山順一D(「モザイクな夜」チーフD・のちの『鈴井の巣』チーフD)が同行。撮影は藤村Dが行った。「サイコロ3」はサイコロシリーズで最も長い旅となり、放送期間も一番長い。冒頭は「カントリーサインの旅の続き」という大泉へのドッキリで始まる。大泉の乗った車が「北海道212市町村カントリーサインの旅II」で最後に引いた生田原町ではなく、新千歳空港へと向かっていることにいつ大泉が気付くのかを追ったが、空港に着く直前に鈴井がネタバレとして「疲れてんじゃない?甘いもの食べなよ」と大泉にサイコロキャラメルを差し出す瞬間まで、「サイコロ」の収録と気付くことはなかった。この回は通例の東京スタートではなく、この当時「どうでしょう班が中国地方で唯一行っていない」のが島根県のみであったため、出雲市の出雲大社からスタートした。放送当時は「サイコロ6 ゴールデン・スペシャル」と表記。この企画の前に放送された「ヨーロッパ・リベンジ」の最終夜で高視聴率(18.6%、ビデオリサーチ調べ。この番組の歴代最高視聴率でもある)を獲得し、番組の人気が出てきた事からゴールデンタイムでの放送を敢行。19:00からの1時間枠で前編を放送し、通常放送の時間帯で後編を放送した。『リターンズ』では2週、『Classic』では3週に再編集されて放送された。なお、放送前日の夕方から、30時間にわたって放送を告知する生CMを放送し、その時の詳細な様子が「30時間テレビの裏側全部見せます!」にて後日放送された。粗大ごみを拾い、それを用いて札幌の一等地・宮の森に家(部屋)を建てる企画。粗大ごみは中央区内や西区琴似で集められた。企画の背景には、収録された1996年当時は札幌市の粗大ごみ回収が月1回のステーション収集で行われていたことも関係している。現在では殆ど見ることができない「ハイテンションな鈴井貴之」を見ることができる貴重な企画である。当時劇団「OOPARTS」を主宰していた鈴井が、過去に舞台上の小道具・大道具用に粗大ゴミを拾っていた関係で発案された、鈴井自らが所望した企画という。中期以降は旅中心のスタイルとなった『どうでしょう』としては極めて異端とも言える企画である。ちなみに、嬉野Dはドラマ撮影のためにこの企画の撮影・編集ともに関与していない。なお、レギュラー放送における放送分については、前編が堂島孝平のインタビューと抱き合わせになっているため、1.5週程度の内容である(午前中の再放送や『リターンズ』では「サイコロ1」後編+本企画前編・本企画後編の2回に分けて、『Classic』ではともに1回に再編集された)。放送当時の企画名は「激走!24時間 大泉洋くん闘痔の旅」。鈴井が考えた企画のひとつで、「『サイコロ1』で発覚した大泉の“痔”を治すため、24時間でいろいろな温泉を回る“湯治(闘痔)”」を目的としているが、企画そのものは藤村Dが「温泉に入りたい」という安易な発想から始まった。「この企画から大泉が(テレビタレントとして)自我を持った」と嬉野Dが語ったり、大泉が運転をし鈴井が後ろに座り車内で会話をするというスタイルが確立されたり、藤村Dがリアクションで“出演”し始めたりと、後の『どうでしょう』にとって大きなターニングポイントとなった企画となった。宮崎シーガイアから誘われ、すべての施設やイベントを体験してシーガイアの魅力を引き出すという趣旨の、いわゆるパブリシティ企画。放送時は「宮崎シーガイア」という企画名で放送された。現在は当時と経営母体が変わったため『Classic』では放送されないが(「2周年記念総集編」における一場面は除く。『リターンズ』では放送された)、「記録」として残すため、DVDには現在のタイトルで再編集・収録された。本放送において用いられたシーガイア側が準備した全景の空撮映像や、各種施設の広報用映像はすべてカットされており、どうでしょう班が撮影した映像のみで構成されている。なお、この企画の放送後、いつも体を張っているどうでしょうらしくない企画だったため、「何、楽をしているんだ」と、内外から苦情の声があったという。鈴井が考案した、初期を代表する企画のひとつ。鈴井・大泉が「北海道の各市町村にあるカントリーサインが印刷されたカードを引く」→「実際にその市町村に向かう」→「境界のカントリーサインの前で再び抽選を行う」を繰り返し、道内を回る企画。「北海道の番組であるのに、あまり北海道での企画がない」ことから地元・北海道に注目し、北海道212全市町村(当時)を巡る企画となったが、“道北から道南”など、効率の悪い移動が多いことから、内容としてはどうでしょう班による車内でのやりとりが主になる。道内を全て回るという膨大さを反省し、後に十勝地方限定で行なった「十勝二十番勝負」が生まれた。前作「サイコロ韓国」から中5日でのロケ。番組内で募集しHTBに集まった『どうでしょう』ファン約600人が、『どうでしょう』のマニアックな問題を解いていく企画。タイトルには「第1回」と銘打たれているが、この1回が開催されたのみで終わっている。その後「東北2泊3日生き地獄ツアー」の初日のフェリー内に於いて筆記クイズのみ復刻企画に近い形で行われている(未放送)。問題は「カルトクイズ」の名に相応しくどれも高レベルで、出演者として自ら立ち会っていたはずの大泉・鈴井でも分からないほどの難問が出題された。○×クイズ、筆記クイズを勝ち抜いた3人に大泉を加えた4人で、早押しクイズによる決勝戦を実施。『笑点』をイメージさせるセットと衣装が用いられ、正解した回答者の前には、得点の指標となる明治サイコロキャラメルの箱(白が1点、赤が5点)が置かれた。決勝では通常の問題に加えてVTR問題も加わって一層難易度が高くなった。その結果ほぼ一騎討ちの状態となり、大泉とトップを争っていた参加者の早押しボタンが突然効かなくなったり、早押しボタンを鈴井によって遠ざけられるなど様々な妨害もあった。最後の100点問題で大泉が問題を読み上げる前にボタンを押してしまい不正解、順当に回答を重ねていた一般人参加者が優勝した。優勝者への特典は「大泉が運転する車で家まで送ってもらえる」というものだった。前年からHTBのキャラクターとして使用されているonちゃん(着ぐるみ)が、この企画で番組初出演を果たす。また、本企画は『Classic』で全国放送が行われたが、2015年現在まで(現時点では唯一)DVDへの収録が見送られている。ただし2015年5月8日よりHTBの「北海道ONデマンド 水曜どうでしょう」にて本企画の有料配信が開始されたため、こちらでの視聴は可能である。本企画の『Classic』放送時の地デジ番組情報では「一般人ファン田鎖君の存在でかろうじてカルトクイズの体裁となった」と紹介されており、本編放送後の雑誌での「全企画解説対談 藤村忠寿D×嬉野雅道D」において、2人は「彼が居なかったらこの企画は成り立たなかった」と回顧している。2000年に発売されたパソコン用CD-ROM「水曜どうでしょう大辞典vol.1スーパーカルト」において、本企画をイメージした早押しカルトクイズが収録されている。ここでは本編と異なり司会が安田、回答者が鈴井・大泉・参加者(プレイヤー 男女別に選択可能)となっており、当時の決勝戦参加者をイメージしたグラフィックになっている。問題はすべて3択クイズで、回答の速さや正解率に応じてゲーム終了時の称号が決まる。大泉が企画の冒頭で「行きたい」として挙げた東京都の各名所を、“全て歩いて回る”という企画。テレビ放送時は「東京ウォーカー」という企画名で放送されたが、これは首都圏において発売されている雑誌「東京ウォーカー」(角川書店、現:KADOKAWA・角川マガジンズBC)を大泉が愛読している、ということからこの企画が生み出されたという伏線と、企画内容がそのままタイトルにされた。全行程を徒歩で移動すると知らずに長距離を設定し、寝不足の上に雨中を革靴で歩いた大泉は、2日目に宿泊したホテルで「番組を降りる」と発言。後述の「バス移動」宣言に繋がっている。初日は北海道新聞の取材班、2日目は「テレビブロス」(東京ニュース通信社)の取材班が同行取材。ただし、前者は「最後まで付いて行く」と発言しながら3kmでリタイア・離脱し、後者も六本木に到達した所で同行取材を終了した。放送当時のサブタイトルは『桜前線を捕獲する!』。名前のとおり、「桜前線の最前線」を見に行くという企画で、どんどん北上していく桜前線を追うため、仙台・岩手県内各地・秋田乳頭温泉へと向かう。だが、「桜前線の捕獲」は建前で、最終的には温泉に入り名産を食べるのがメインとなった。道中では「爆弾処理班」として、鈴井が苦手な甘いものを沢山食べさせられることになった。鈴井が考えた企画のひとつ。北海道十勝支庁(2010年4月1日より十勝総合振興局に改組)の20市町村のカントリーサインが印刷されたカードを引き、その市町村に移動し最初に出会った人にその市町村の名物を聞き、実際にその場所へ行くという企画。基本的に「この町のお薦めは何ですか?」という形式での質問しか出来ず、(例えば「お薦めの食事」といったような)目的に誘導するような聞き方は出来ない。しかし第2夜では鈴井が「十勝川温泉はどこですか」と聞くルール違反を犯しており、結局1泊したものの翌日大泉に「(池田町の名物である)ワイン城(の場所)聞くなよ!」と咎められている。基本的なルールは「212市町村カントリーサインの旅」と変わらないため、いわゆるマイナーチェンジ版と言える。また、鈴井・大泉共に「この企画は今後やらない」「ほかの市町村でもやらない」と公言している(『2周年記念! 秘蔵VTR一挙公開!!』より)。この企画において車両は「車内で泊まれるように」ということで、オートフリートップ(天井のテント)装備のマツダ・ボンゴフレンディを使用。実際に日勝峠にて大泉が使用して仮眠している。また、池田町のワイン城の後、車内でワインを飲んでいるシーンでもオートフリートップが上げられている。鈴井が考えた企画のひとつ。名前の通り「釣りをするだけ」の企画である。第1回目では北海道・門別沖での沖釣り、第2・3回は氷上でのわかさぎ釣り、そして第4回目は屋久島を舞台に24時間耐久の「魚取り」として対決が実施された。発展企画として、2005年の新作「激闘!西表島」がある。このシリーズ(特にわかさぎ釣り)は基本的に予算がかからないため「海外企画などの予算調整のため」行われる、と言われている。実際放送された4回とも、(一部は総集編をはさみ)企画の後に海外企画が放送されている。「北海道212市町村カントリーサインの旅」と「サイコロの旅」を合わせたような企画で、「旅番組に欠かせない綺麗な風景(絵葉書の写真)を探し、同じ風景を撮影する」というものである。なお、偶然ではあるがこの企画はサッカー・FIFAワールドカップの開催年(4年に1度のペース)に行われていた。このことから公式HPの「D陣のウラ話」では2006年に行うと掲載されたが、実際には行われていない。「アラスカの旅」で作った大泉の料理があまりにも印象的だったために企画されたもので、「車内でクリスマス・パーティー」と「夏野菜スペシャル」の2企画が放送されている。大泉本人の料理の腕(あくまでも包丁さばきなどの技術面)自体は悪くないが、やたらと時間を浪費する上に、調理器具の不備や限られた食材での調理、“毎回のフランベ(特に意味は持たない一種の「見せ場」)”“独自のメニュー構成”“雑な味付け”などに見られる大泉の独創性あふれる調理方法から、とんでもない料理が振舞われることが特徴。本シリーズ以外の企画でも大泉が料理を作る時があり、その際には料理の味や調理時間に対して文句を付けると大泉が逆ギレし、怒りの矛先があらぬ方向へ向かうのが一つのパターンとなる。大泉の料理そのものやそれを食べる行為は「おみまい」と称され、「夏野菜スペシャル」では大泉を“死刑執行人”と表現するなど、一種の罰ゲーム同然となっている。この他に「ピストル大泉」という二つ名も存在するが、これは大泉による「ビストロ大泉」の言い間違えを聞いた他3人によって、「完成した大泉の料理も拳銃で撃たれるような衝撃的な味である」ということを理由に用いられるようになり、そのまま定着したものである。この企画を通して「大泉は料理が下手」と思われている事もあるが、曰く“大満足の出来”だった「ヨーロッパ・リベンジ」での調理や、「釣りバカ対決!わかさぎ釣り2」で振る舞ったワカサギの天ぷらなど、上手く完成したものを放送上カットしているケースもある。ちなみに「釣りバカ対決 氷上わかさぎ釣り対決」の対決後もワカサギを使用した料理を作ったが、本当に食べられないほど酷かったため本放送で放映されず、総集編で放送された。放送当時の企画名は「新提案! 車内でクリスマス・パーティー」。同日には本来「絵ハガキの旅」の最終夜が告知されていたが、クリスマス特番の影響で2時間繰り下がることを理由に、急遽内容を次回(2週間後の1999年1月6日)にキャリーオーバーした上で放送された。“今から間に合うクリスマスの準備を紹介する”という触れ込みで、深夜から未明にかけてどうでしょう班(+安田onちゃん)・スタッフがHTBの駐車場においてクリスマスパーティーを行い、その模様を収録。パーティ会場は機材車・ロケバスなどのバックドアを開いて(屋根の骨組みの代用)頭上にブルーシートを張り、モールや折り紙の鎖などを飾りつけただけのもの(調理をする大泉を除き、機材車の中に座るレイアウト)、調理台はキャンプ用のテーブル、火はカセットコンロと網を張った薪火という内容だが、これは前述の理由で時間が繰り下げられたことから「誰も(番組を)見てない」として、非常に簡素なものにされたため。大泉はこのパーティ会場について、「この貧乏臭さ凄いね、これで放送するんだもん」「寒いよそらぁ。そりゃそうだよ、12月の外だもん」「こんなにねぇ、(天井が)低い厨房は初めて」などとコメントを残しており、特に最後は痔持ちで急性腰痛症(ぎっくり腰)持ちの大泉には厳しい条件なことから「悪いけどギックリって言ったら帰るよ」と宣言するまでに至った。提供した「シェフ大泉風エビチリ(鈴井の「こんなもの食えるか!ランキング」2位)」「食べかけおにぎりの鶏包み」などを、出演者はもちろん番組プロデューサーの土井やスタイリストの小松、当時放送されていた早朝の情報番組『発信!生スタ 早起きクマさん』の出演者である金子のりとし・吉田みどり両アナウンサー(当時)や、番組のスタッフなどに「おみまい」した。その後、泥酔状態の出演者陣が『早起きクマさん』が放送されているスタジオに行き、番組に飛び入り出演。その際、大泉・鈴井がonちゃん(安田)に対して殴る蹴るの暴行を加える、大泉が金子アナウンサーの頭に噛み付く(風のモーションを取る)などの行為を見せた。「夏野菜を使った料理を振舞ってほしい」と大泉を計3回呼び出し、1度目は夏野菜を栽培するため荒地の開墾を、2度目は料理を盛り付けるための皿の制作を、3度目でようやく調理を行った。開墾から調理・試食までロケ日数が通算69日という「日本一長い料理番組」(企画放映時のタイトルに使われた一文)。「第1回どうでミー賞」名企画部門のシリーズ別集計において、放送回数は4回と少ないにもかかわらず、堂々の第1位に輝いている(第2位の「対決列島」は全10回である)。3回に渡るロケのいずれにも、大泉は知り合いであるイタリア料理店(後に閉店)の店長に作ってもらったパイ生地を持参した。しかし、開墾編・陶芸編では調理が行われなかったためにパイ生地を腐らせることになる。第2週では二度も騙し討ちに遭ったことを知った大泉が、怒り狂ってonちゃん(安田)を殴り倒し、どうでしょう農園から陶芸工房へと向かう車中では、散々文句を発した後に藤村Dの家族をターゲットに脅迫。その時に残した「おい、パイ食わねぇか」の一言が「第1回どうでミー賞」名ゼリフ部門で第1位を獲得したなお、2013年に行われた「どうでしょう祭2013」の「シェフ大泉VS板長鈴井 料理対決」で、パイ生地を製作した料理店の店長が登場し、巨大なパイ生地を大泉に提供した。また同イベントのトークショーにおいて、ロケ当時に大泉に渡したのは「パイ生地」ではなく「ピザ生地」だったという事実が判明した。過去何度もドッキリを仕掛けられている大泉もこの時は車中において相当な憤慨を見せ、藤村Dは撮影後の編集作業を行った際に「本当に怒ってるのが視聴者に分からないように」と、放送版で車内のシーンを短く編集したことを副音声で明かした。また、DVD版では「12年(当時)経ったら笑い話になるから」として当該シーンが長めに編集されたほか、未公開の部分も特典映像に収められている。ちなみにこの時の車内は当初険悪なムードに包まれていたにも拘わらず、藤村Dが番組を盛り上げるためとは言え、腹を立て拗ねている大泉に対して煽るように辛辣な言葉を掛け続けた。そのため「残りのメンバーは内心冷や冷やだった」と鈴井が後の総集編で明かしている。「桜前線捕獲大作戦」でどうでしょう班が訪れた土地を『どうでしょう』ファンが巡るバスツアー「東北2泊3日 生き地獄体験ツアー」に、鈴井・大泉が「ツアーに帯同するとパニックが起こるため、それを避ける意味でバレないように(という建前で)扮装をして付いていく」という企画。DVDの収録に関しては、当時ツアーに参加したファン全てに連絡を取るのはかなり難しく、公式サイト上にてモザイク処理をしない旨がアナウンスされている。扮装用の衣装は全てスタイリストの小松が担当しており、企画にも同行している(DVD13弾では厳美渓から前沢ガーデンへ移動する途中、見切れの形で姿を確認できる)。企画中に登場していないものの、繋温泉ホテルでの一件にて安田が同行している事が言及され、一瞬ではあるが大泉の部屋へ藤村Dが乱入する際に安田の姿を確認することが出来る。なお、この企画はマイクの設定ミスから音声が割れており、第1夜の前枠で鈴井が断りを入れている。ちなみに、この「設定ミス事件」以降、事故の再発を防ぐためにカメラのマイクのスイッチをガムテープで固定している。大泉は2日目の扮装のため午前5時に起床する予定だったが、トークショー開催とそれに伴う打ち上げが行われたことで、就寝時間が午前0時まで押してしまう。そこから就寝体勢に入った所、泥酔状態の藤村Dが乱入して「腹を割って話そう」と部屋に居座り、大泉を就寝させないという案件が発生した。なんとか就寝時間を確保するため「何も話すことはない」と話を収める大泉に対し、藤村Dは「(大泉は)番組に対し不満がある」と主張。この押し問答は長時間・数回に渡って展開され、堪りかねた大泉が0時50分頃に藤村Dと同室の嬉野Dを呼び出し、藤村Dを連れ帰るように要請したが、「ああ分かった分かったじゃあカメラ回そう」と自身の判断で撮影を開始してしまう。後半には番組のブレーンである鈴井や同行した土井プロデューサーも藤村Dに起こされる展開になり、鈴井に至っては大泉・藤村Dらとのババ抜きへの参加を強制されている。また、前述のように大泉の同室には安田が就寝しており、大泉は副音声で「辛かったと思うよ、安田くんだってずっといたんだもん」とコメントを残した。最終的には大泉が「何の不満もありません」「迷いが消えました」と訴え、「番組に不満がない」ことを示すため「僕は一生どうでしょうします」と発言。午前3時にようやく藤村Dを退室させる。結局大泉は翌朝5時に起床後、扮装の準備をする中で藤村Dから「よく眠れましたか?」と聞かれ、「『よく眠れたか』って言われたらそら眠れたよ、2時間ぐっすり寝たよ」と低いテンションで返答した。この「僕は-」発言が最終回直前の「重大発表」にて、“『一生どうでしょう』する証拠”として放送された。大泉の扮装後、鈴井も繋温泉ホテル内のエレベーター前の踊り場で花瓶に扮装し、エレベーターから出てきた客を驚かせるというどっきりを敢行した。しかし大半の客は反応が薄く、逆に客から「ミスター頑張って」と慰められるなど予想を反する展開となる。このため藤村Dがどっきりを止めようとしたが、鈴井が「いや!まだやりますッ」と自ら進んで続行の意志を伝えたため、その後も5〜6回ほど続けられた。ドッキリの後、楽屋に戻った鈴井はメイクを落としながら「素顔に戻りたくない」「このまま(黒塗り)のままでいいかな、もう鈴井貴之として生きるのが嫌だ」などと発言。すっかり憔悴しきっていた。この場面は本編で放送されていないが、2002年6月5日放送の「未公開VTR&NG集」で公開され、DVD13弾の特典映像でも公開された。ただし、藤村Dが乱入したと思われるシーン以降は放送されることはなかった。地理歴史の入試問題を実際に現地で実習し、大泉が語呂合わせや寸劇を作って覚える「アカデミックな企画」。『どうでしょう』的な企画に見えるが、教科書や資料などでは見られない実際の風景やしくみなどがよくわかるように構成されている。第1回目は「クイズ! 試験にでるどうでしょう」として、司会に安田・鈴井、回答者に大泉というクイズ番組形式で行われ、第2.3回は予備校「どうでしょうゼミナール」の直前集中講義という設定で行われた。なお、すべての罰ゲームは「四国八十八ヶ所の完全巡拝」となる。「中学入試」「高校入試」「大学入試」の3カテゴリから出題。問題に正解すると、難易度に応じ10点から300点まで獲得できる。問題は地理科目だが、大泉へのチャンスタイムとして歴史問題も入っている。大泉が答えを間違えた場合は、フィールドワークと称して大泉を「拉致」して現地で学習。大泉と鈴井が現地でフィールドワークを行っている間、安田は大泉がクイズで200点獲得まで帰れず、スタジオの中に「監禁」されながら問題を出題する。大泉が48時間以内に200点を達成できなければ、四国八十八ヵ所巡礼の罰ゲームとなる。なお『Classic』において現在は放送されていない。DVDにおいてもカルスト地形においてウバーレ・ドリーネに関する部分はカットされている。大泉が校長・鈴井が講師となり、生徒の安田が試験を受ける。石川と富山になった理由は「“ヤマ”を張った」ため。3日間の「集中攻撃」の後、月曜日早朝に実力テスト。実力テストで10問中安田が1問でも間違えた時点で即大泉が全責任を負って四国へ行くことになった。今回は安田だけでなく、鈴井も何も知らされない状態で生徒として加わった。ディレクター陣は大泉に対し事前に大量の参考書、マンガを手渡し、3人で企画を進めていった。また、前回までは大泉・藤村D・嬉野Dだけが罰ゲームとして四国巡礼を行っていたが、今回は不合格となった生徒(鈴井・安田)も四国へ行くことになった。今回は大泉が「高校地理歴史」の教員免許を取得していること、また本人が「歴史が得意」という意見を採用し、日本史がテーマ。題材は「織田信長」。第2夜に出てくるテロップ「禅照寺」は北海道にある寺院であり間違い。正しくは善照寺、史実では一般に善照寺砦と言われ善照寺とは全くの別物である。また今川義元を討ったのは服部一忠(通称:小平太)と解説されているが、「一番槍をつけた者」であり実際は返り討ちにされ、その後毛利良勝が討ったとする説が有力。前述の企画「試験に出るどうでしょうシリーズ」における“合格点に達しなかった罰ゲーム”。通常は10日以上の日程を要する四国八十八ヶ所巡礼を、大泉とD陣が4 - 5日という弾丸スケジュールで敢行する企画であり、計3回行われた中で、交通機関の都合などにより一度で八十八箇所全てを回りきった事はない(中には、計3回行われたロケの中で、そのロケでしか巡拝していない寺(21番・太龍寺や60番・横峰寺、66番・雲辺寺など)もあるが、通算では全て回っている)。企画の苛酷さは別企画の罰ゲームとしても度々挙がるほどであり、各回で何かしらのアクシデント・怪現象といったトラブルが発生している。「番組を見ている受験生の合格を祈願して八十八箇所を回る」としているが、受験前に放送されたことは一度も無い(再放送版の『リターンズ』や『Classic』では稀に受験前に放送される事がある)。なお、時間が限られている上に短時間なこともあって、この企画では各霊場の門の前で写真を撮ることを「巡礼」したと見做し、一般的な遍路とは異なり霊場への参拝や納経などは行わない(一部の霊場は、予告編やオープニング映像などで参拝しているシーンが映る場合がある)。巡拝した寺によっては、大泉がコミカルな口調と特徴的な動きで寺紹介をする「珠玉の寺紹介シリーズ」が行われている。放送時のタイトルは「四国八十八ヵ所完全巡拝」。わずか3泊4日(74時間)という短時間での完全巡拝を敢行し、ロープウェイに乗れなかった21番・太龍寺と66番・雲辺寺、冬季通行止めの60番・横峰寺と20番・鶴林寺などを除きほぼ全部を巡拝した。このロケ中に大泉は体調を崩し、その後半年の間体調不良を抱えていたという(『試験に出る石川県・富山県』第1夜、『四国八十八ヵ所II』第1夜前枠および本編にてそれぞれ大泉本人が発言)。移動の際使用したレンタカーはトヨタ・イプサム。『試験に出るどうでしょう』のロケが終了した直後からロケ開始。12番焼山寺の巡拝後、大泉の最愛の祖父が亡くなったという電話があった。大泉の母親から「仕事はそのまま続けなさい」という連絡があったが、両ディレクターの判断でロケを一時中断し、札幌に帰させた。この1週間後に、ロケを一時中断した時間帯からロケを再開している。前回よりも1日増やした4泊5日となった。このロケのみ冬場ではなく春先に行われており、またしてもロープウェイに乗れなかった66番・雲辺寺、うどん屋に立ち寄った影響で飛行機の時間が迫ったため、参拝が出来なかった88番・大窪寺を除きほぼ巡拝を行った。使用したレンタカーはトヨタ・プリウス。44番・大宝寺から46番・浄瑠璃寺へ向かう途中、ショートカットで通った悪路で左後輪が脱輪によってパンクするアクシデントも見舞われた。また、前回のロケで大泉が体調不良に陥った反省を踏まえ、今回はD陣から大泉のために魔除けの数珠を購入していたが、38番・金剛福寺の前後で紛失してしまった。5日目の午前8時半時点で、前年の経験から高松市街は通勤ラッシュにより渋滞が起こる事を知っていたため、84〜88番にかけては大外回りのルートに変更し行く順番を変えた。83番から87番→86番→84番→85番→88番と巡拝し、昼12時50分に高松空港から出る札幌便に乗ることを目指した(実際は渋滞や踏切にも引っかかりルート変更は失敗)。また、「この旅最大の楽しみ」として85番八栗寺の麓にあるうどん屋「山田屋のざるぶっかけうどんを食べる」という目的があった。実は前年も同じ物を食べており、山田屋の10時開店と同時に入店し88番まで回って飛行機に間に合った経験があった。しかし、八栗寺に到着したのは午前10時で、20分おきに出るケーブルカーに乗らないと行けない。そのため10時10分ではなく10時30分のケーブルカーに乗るために先に山田屋へ行きうどんを食べることを選んだが、結果として88番大窪寺には行けず標識の前で撮影するにとどまった。ロケ中のアクシデントが1つの特徴となっているこの番組で、インパクトのあるアクシデントが多発した回の一つに挙げられる。それを象徴するものとして、ロケ4日目の深夜に巡拝した79番・天皇寺高照院でビデオカメラが異常な音を発して停止し、撮影したはずの映像が記録されなかったという現象が起きた(境内で撮影した写真は存在し、放送もされている)。車内でのカメラテスト後に再び撮影を開始したが、帰札後のチェックで映像が大きく乱れ、音声もほとんど録音されていないことが判明。さらに、カメラのバッテリーライトが消え(これは単なるバッテリー切れによるもの)、車のエアコンが壊れるというアクシデントが立て続けに発生し、その事件を元にドラマ『四国R-14』が制作、同年の秋に放送された。その後、「原付西日本制覇」のロケ中の湯布院温泉の宿で、嬉野Dから天皇寺高照院で起こったことの“真実”が藤村Dに伝えられた。それは、最初にカメラが異常停止した時、「撮影したはずの映像が記録されていなかった」としていたが、それは嬉野の嘘であり、実際には映像が記録されていたということだった。しかし嬉野は、一度車内に戻って確認をした際にその映像を見て、「誰にも見せちゃいけない」と感じてすぐに消去してしまった(詳細は 「番組スタッフからのメッセージ」 を参照)。なお、映像の内容は当初大泉や視聴者には伝えられていなかったが、代わりに安田が「対決列島」のロケ中に詳細を聞き、後にトークショーで大泉に伝えられた。それによると、問題の映像の中では、大泉の足から先が消えていたのだという。その後、DVD第1夜の副音声において、嬉野Dから「本当は映像が記録されていたがチェックしたところ、大泉の映っている映像全体が画面の下からセーターの糸がほつれるように消えて行き、目の前で全部消えてしまった」という真相が語られ、第4夜の副音声において大泉本人にも明かされた。天皇寺高照院の事件以外にも、など、怪現象が多発している。特に弥谷寺の一件では、大泉はもとより真相を知る藤村Dが余りの恐怖から走り出してしまう事態になった。また、ロケ4日目はこれらの怪奇現象や事件、脱輪事故などのトラブルがあまりに多発したため、悪夢の一日と称されている(第2夜の字幕より)。しかしながら、DVDの副音声において、藤村Dが「弥谷寺で大泉に触れたのは自分だった」と一連の流れは演出であったことを告白している。それを裏付けるように、放送では「間もなく怪現象発生」というテロップが出るが、DVDでは出ていない。一方で、常楽寺の一件については特に触れられていない。ちなみに、この企画でどうでしょう班が四国に滞在している間、鈴井は「ハワイで家族サービス」に勤しんでいたことを打ち明けている(第1夜前枠にて)。88番・大窪寺から回る『逆打ち』で巡礼を行い、大泉に加え、「試験に出る日本史」で不合格となった鈴井・安田も参加。使用されたレンタカーは「対決列島」同様、トヨタ・エスティマ(2代目)。しかし、鈴井はラジオの生放送(『GO・I・S』)、安田は『情報ワイド 夕方Don!Don!』の1コーナー「サビカラ選手権」に出演するため、松山の宿で離脱し帰札。結果的に当時は『どうでしょう』の撮影以外にほとんどスケジュールが無く、出演者の中で「最もヒマ」な大泉のみが巡礼を続けることに。ただし、第2夜では当時大泉が不定期で出演していた『パパパパパフィー』を蹴って『どうでしょう』にスケジュールを割いたことに触れ、「PUFFYを蹴らないで!ちょっと考えたら分かるでしょ!」と怒りを露にした場面もある。その直後に訪れた50番・繁多寺から、TEAM NACSのリーダー・森崎博之が旅に参加した。理由としては「森崎が晴れ男である」ことも一因である。森崎本人は「食事を摂れば雨が止み晴天になる」と自称し、本編中では44番・大宝寺の巡拝から43番・明石寺に向かう途中、森崎が空腹から食事を要求したために昼食を済ませたが、実際に森崎の食事後は悪天候から晴天へと見事に変わっている。冬季通行止めの60番・横峰寺、ロープウェイに乗れなかった21番・太龍寺を除きほぼ巡拝。また、66番・雲辺寺は前2回ともロープウェイの時間が合わなかったために巡拝していなかったが、今回の旅で初めて訪れている。本田技研工業の原動機付自転車「スーパーカブ」を使用し、長距離を走る企画。鈴井・大泉がカブを運転し、D陣は車で追走する。元々は鈴井の「スーパーカブにガソリンを1リッターいれ、札幌からどこまで走れるか」という話を大きくしたところから始まった。「原付東日本縦断」後は水曜どうでしょうの節目に登場する企画として「原付西日本制覇(2000年一時休止前の企画)」、「原付ベトナム縦断(水曜どうでしょうレギュラー放送休止前の企画)」が放送された。出演陣の後姿しか放送できないため、積荷が定番となっている。鈴井や藤村Dは趣味でオートバイの運転を行うほか、嬉野Dは妻の運転するハーレーダビッドソンでタンデム走行を行い、自らもスクーターに乗るということから、それぞれバイクに関係しているが、大泉はまったくもって初めての運転だった。なお、オートバイは「(企画開始の1ヶ月前に発注をかけて)買ってもらって乗って帰ってきた」ことになっていたが、その後はHTBの社用車になり、鈴井の監督作品『man-hole』では冒頭に登場するバイクのシーンに活用された。放送時のタイトルは「原付東日本縦断ラリー」。東京〜札幌間を1日目の午前9時から4日目の午前9時までの72時間以内に走破する。『Classic』においては一部の局では放送されていない。導入は鈴井が大泉とD陣を東京銀座に連れて行き、「銀座でお買物をしよう」という「大泉だまし」。番組からのご褒美を鈴井にだけ買うと話していたところに、大泉が自分の分もと食いついた。その後バイク店でスーパーカブ2台を購入中、持って帰る心配を始めた大泉に鈴井が「欲しいなら乗って帰りなさいよ」とけしかけ、半強制的に当企画に移行させた。タイムリミットが4日目の午前9時なのは、鈴井のラジオ生放送出演(4日目の午後5時)に間に合わせるため。なお、藤村Dの「勘違い」などによって76時間、さらには80時間(『GO・I・S』の番組開始時間)にまでタイムリミットが延長されたが、鈴井が自らの責任で72時間に戻した。ちなみに時間内に走破できなかった場合の罰ゲームは「四国八十八箇所巡礼」と決められたものの、この時間調整などもあって“時間内に”到着し、執行されなかった。なお、東京〜青森間の主要ルートは以下の3つがあった。その中から、などから半強制的に国道17号・国道7号ルートが選定された。この企画の前枠・後枠では「プロレスラー」に扮した大泉と安田、そしてonちゃんが登場するが、安田がレスラー役(基本的に覆面レスラー)なのにonちゃんがいたり、大泉がonちゃんに対して相当手加減して攻撃を加えたりしている。これは、onちゃんの中に別の人物が入っている為である。ロケ2日目、大泉らが国道345号を新潟県山北町(現:村上市)の勝木(がつぎ、国道7号との交点)まであと少しという地点を走行中に起きた事故。本件を放送した第4夜は第一回どうでミー賞の「名企画部門」で第一位を獲得した。なお、「だるま屋」とは大泉が高崎市に寄った際に購入し、後部の荷台に積んだだるまに由来する。走行中、大泉らは工事による片側交互通行信号に遭遇したため2分強の待ち合わせをし、信号機が切り替わる5秒前から大泉がカウントダウンを行う。信号が「GO」の表示に切り替わると同時に鈴井は問題なくスタートしたものの、大泉がギアをニュートラルに合わせていたためにスロットルを回したが前に進まず、焦ってスロットルを回したままギアを1速にしたところ、突如ウィリーしながら暴走し、目の前にあった「安全第一」のバリケード(実際にはその手前に置いてあった「→」(赤地に白文字)の案内板)に激突した。この間、信号は再び2分強の待ち時間表示に切り替わっていたため、鈴井のみが先行して進んでしまった。事故直後、大泉は(失笑しながら)心配する藤村Dに対して「何がですか?」などと事故が無かったかのように白を切っていたが、藤村Dが深く追求すると「大丈夫じゃねぇよ! なまら(北海道弁で「とても」という意味)恐かったよ!!」「死ぬかと思ったよぉ!」と発した。また、先行した鈴井が心配しているのではないかと思い、合流するなり「心配したでしょう? 大丈夫ですよ」と言ったが「何してたの?」と全然心配しておらず、それどころか大泉の説明に対し「いいなぁ おいしいなぁ」「見せるもの、ビジュアル考えているもの」と羨ましがっていた。この際、鈴井に対して説明した「動かないから アレッと思って ギアいじったっけ ロー入っちゃって もうウィリーさ」という発言は名台詞のひとつとなった。また、大泉は「オレ あの「安全第一」なかったらヤバかったぜ」「(海に)突っ込んでたよ」と続けている。京都を初めて旅する旅人・鈴井を「京都の達人」大泉が案内をするという設定で、「春を満喫グルメといで湯 ぶらり京都の旅」を決行。嵐山から京都旅行を満喫する。しかし、金閣寺駐車場にて「『カブの旅』で佐多岬まで向かう」という本当の企画発表が行われる。鈴井の映画撮影に伴う番組休止前の最後の大型企画のために、予告編では「Last Run」と銘打たれた。また、鈴井は1997年の「ヨーロッパ21ヶ国完全制覇」前後から番組における自分の立ち位置に悩んでおり、カブで走りながら「もうこの番組に戻ることはないだろう」と考えていた。しかし、「大泉くんや藤村くんをトップに立たせて、ロベカルのように『たまにボカン!と(ゴールを)決めよう』と思ったとき、またこの番組が好きになった」と後に語っている(2004年秋「ミスター大壮行会」にて)。途中立ち寄った山陰海岸国立公園内の鳥取砂丘で、砂丘に隣接するレストハウス周辺に吹きだまった飛砂を採取し(採取するシーンは放送されていない)、荷台に載せて走行したが、本放送から7年経った2007年7月、日本海テレビでの放送を見た視聴者から、この砂採取は自然公園法に反する行為ではないかとの指摘が鳥取市に寄せられ問題化した。同年8月8日にはHTBが公式サイトで謝罪し、番組のネット局に対して当企画を含む数企画の販売中止を決定する。また、『どうでしょう』の公式サイト上では藤村D・嬉野D連名の、「CREATIVE OFFICE CUE」の公式サイト内では鈴井・大泉連名の謝罪がリリースされ、さらに同月12日にはHBCラジオの『大泉洋のサンサンサンデー』内でも大泉より直接の謝罪があった。鳥取市から報告を受けた環境省は、当該レストハウスが既に無く行為の特定ができないことなどから砂採取については特に処分を下さなかったが、同企画内で鳥取砂丘に足跡で「水曜どうでしょう」と大書した行為が自然公園法で禁止されている広告などの掲出に当たるとして同月23日に文書で厳重注意され、HTBは改めて謝罪を発表した。一部報道でHTBは「同企画をDVD化も再放送もしないとコメントした」とされていたが、D陣は番組公式サイトで“今後もDVDは「すべての企画を網羅する」ことを目指して編集を続ける”と公表するに至り、2013年3月発売のDVD19弾においては、副音声で藤村Dが「DVDへの収録、発売が決定し、既に編集作業を開始している」を発表。同年10月に問題のシーンを削除する形での再編集版として発売された。「2000年のカレンダー用写真の撮影会」として、onちゃん(安田)・鈴井がモデル、大泉が撮影係となり、HTBの制作スタジオを用いて撮影を行う。「写真家・大泉洋」の初登場企画(衣装の基本スタイルは「登山家」と共通だが、こちらはピッケルを模したものや無線機を持っていない)。また、一瞬ではあるがオクラホマの河野真也がセットを運ぶ係で出演している。企画の開始時間である午前6時32分から、午前10時に開始される社内広報番組『TVぴかぽん』の収録までに撮影を終わらせなければならず(制作スタジオを使用するため)、準備を含めて一月あたり10分弱のペースで撮影を行う計算となり、ロケ企画ではないもののハードスケジュールの中で進行していった。一部写真を撮影する際には超望遠レンズ(愛称:バズーカ)が使われたが、これは金子のりとしアナウンサー(当時)の私物で、写真撮影に関する全ての機材は金子アナウンサーから貸与を受けている。しかし、この撮影会の実際の目的は"安田を海外に拉致する(「アメリカ 生き地獄体験ツアー」の一環として、ラスベガスで開催されたトークショーにゲストとして招く)ための前哨戦"で、11月をハワイ、12月をラスベガスで撮影(前述のトークショーのついでに撮影されたもので、11月のハワイは乗継ぎで立ち寄った際に撮影)し、大泉が拉致を実行する側に回る形になった。大泉が(完全な意味で)拉致の仕掛人となったのは、レギュラー版ではこれが唯一のケースである。安田はこのときが初の海外旅行であり、局預かりのパスポートは真っ白だった。このロケで大泉が撮影したカレンダー写真は実際に販売され(カレンダーの期間は、企画が1月から2月の初頭に放送されたために2000年2月 - 2001年1月の間となった)、さらに2004年、2012年には『復刻版』として販売された。ちなみに発売されたカレンダーでは、4月のメイン写真がスタイリスト小松が写されたものになっている(後述)。「ゴールデンスペシャル サイコロ6」の放送記念として1999年12月14日から16日にかけて放送された、24時間+6時間の生CMに密着したドキュメント。「四国八十八ヵ所」の収録中に大泉によって立案された企画だが、元々の大泉による「北海道版の24時間テレビのようなものをやりたい」という希望をD陣が脚色し、CMごとに鈴井・大泉が扮装して「これまでのどうでしょうのキャラクター(主に鈴井・大泉による物真似)が総出演する」というものに変更された。年末の繁忙期のためスタッフが少なく、生放送であるにもかかわらず、藤村D・嬉野D・技術スタッフ2名(カメラ・音声)・北海道共立の大道具1名・スタイリスト小松の6名のスタッフのみで運営された(土井Pや杉山Dなど、制作部のスタッフも一部協力している)。ちなみに待合と衣装の着替えはHTBの第3応接室で行い、副調整室は設けずに「定刻になると、HTBの駐車場にあるカメラの映像をマスターから自動的に送出する」ように設定。そのため、万が一画面上が「カラ画」になっても大丈夫なように、カメラ前には鈴井と大泉の等身大パネルが用意された。セットは屋外に設営され、背後には「ゴールデンスペシャル」放送までの時間が表示されるSEIKOの時計(主に陸上競技等で使われるもの)が横に置かれた。CMを流す時間帯に関しても、ゴールデンの時間帯はネットワークセールスのためにCMの差し替えが難しいことから、深夜から早朝あるいは昼間から夕方にかけて多く流され、当該時間帯において(後述の一覧のように)過密スケジュールが組まれる要因の一つになった。なお、放送が行われた14日の夜に大泉は劇団イナダ組の舞台「ホットロード」の本番を、15日の午後には鈴井がAIR-G'で『GO・I・S』の生放送を控えていたため、該当する時間帯のCMはどちらか1人が担当している。DVD版では、特典映像として「全放映CM(『早起きDon!Don!』出演パートを除く)+北海道のローカルCM」を収録。この企画は鈴井が初の映画監督作品「man-hole」を撮るために半年以上番組を休んだ後、正式に全員が復帰した第一弾の旅企画である。「団結の輪」を描くために鹿児島県の奄美群島にある喜界島を3日間かけて反時計回りに歩いて一周する事が目的。なお、出演者並びにD陣が怪我や病気などのアクシデントに見舞われた際にも大丈夫なように、リヤカー(ムラマツ車輌の『山田君』)を引っ張って歩くことになった。台本上ではあるものの「東京ウォーカー」の発展企画とも取れる。甘味を中心に食には目がない“魔神”こと藤村Dに安田を加えた「チームびっくり人間」と、藤村Dと対照的に甘味が不得意な鈴井に大泉を加えた「ミスターチーム」の2チームによって、日本各地を移動して名物(主に甘いもの)の早食い対決を行う企画。日本列島を1週間に渡って縦断する長期ロケとなったが、企画立案を担当した藤村Dによると「北海道から九州までを車で縦断する」ことがそもそもの原案で、「対決の要素やキャスティング面は後から構築された」「各地の温泉地を回り、夜は温泉に入ることが本当の企画の趣旨であった」ことをDVDの副音声で明かしている。当番組の企画といえば、内容を何も知らされていない大泉のリアクションを他3人が楽しむのが通例だが、今回は通常企画会議の段階から参加している鈴井も完全にシャットアウトされ、一切内容を知らされなかった。このため、企画発表時には鈴井が「(何も知らされない)大泉君の気持ちがよく分かった」と発言した。放送期間はレギュラー放送で最長全10回に及び、2001年後半の放送は本企画とその罰ゲーム、そして5周年記念に行われた「3夜連続深夜バスだけの旅」の3企画のみが放送された。そのため第1夜の前枠では、大泉が「今年後半の『どうでしょう』は、今日の企画発表を見ないとついてこれません」とコメントを行っている。企画で使用されたレンタカーはトヨタ・エスティマ(2代目)。この企画の前枠・後枠で、TEAM NACSのメンバー全員と鈴井が出演している(第1夜は音尾と鈴井が出演、その後第4夜から安田、第6夜から戸次重幸(当時:佐藤重幸)、第9夜から森崎と徐々に増えていく)。嬉野Dはカメラマンなので不参加。基本は中立の立場を取っているが、ディレクター側の人間であるためか魔神チーム寄りになることがある。各地の名物・名産を早食いし、早く食べ終わった方の勝ちとなる。原則として食べ終わったら口から舌を出すか口を開け、食べ終わったことを審判にアピールして初めて勝利が確定する。名産がいくつかある場合、アピールしなければ次の名産を食べられない。勝利した都道府県の面積がポイント(1km=1pt)として計算され、より広い領土(ポイント)を獲得した方が勝者となる。通過しない都道府県は“積み残し”とし、最終決戦である鹿児島対決で勝った方が総取りとなる。また、追加ルールとして関東、近畿、四国、九州では地方大会を実施し、各地方で通過した都道府県のポイントが獲得できる。この結果、罰ゲーム(ユーコン行き)が決定。レギュラー放送時としては最後となった、鈴井考案の国内オリジナル企画。タイトルの通り「深夜バスに3日間ひたすら乗る」(+バスの停車/休憩地点で鈴井・大泉の「やられっぷり」を報告する)という企画であるが、サブテーマとして「鈴井自身が『己の限界』に挑戦する」という趣旨も含まれている。
出典:wikipedia
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