景宗(キョンジョン、けいそう、康熙27年10月28日(1688年11月20日) - 雍正2年8月25日(1724年10月11日))は李氏朝鮮の第20代国王(在位:1720年 - 1724年)。諱は昀。粛宗の長男であり、父の粛宗は彼の誕生を非常に喜んだとされ、側室の子にもかかわらず3歳の時に世子になり、次期国王の座を約束された。景宗は非常に聡明で、臣下の意表を突く質問が多かった。また、書道の造詣が深かった。しかし、1694年に母が中殿(正妃)から嬪の位に降格され()、1701年に刑死したことにより、自分の立場も思い知らされることになる。それは父粛宗の冷遇であった。それにより彼は憂鬱症になってしまったという。1720年、父王の死により即位する。彼の治世は老論派が権力を握っていた。そのため、老論の支持を受けた異母弟の延君(後の英祖)が1721年に世弟(王位継承者)になった。これは景宗自身に子が無く、また健康的な理由から子が望めないという背景もあった。しかし老論が世弟による代理聴政を主張すると、は老論を弾劾し、老論4大臣が流刑に処された。1722年にが、老論が景宗を殺害しようと計画したと告げたことから、老論は没落した()。これにより少論が権力を握ることになった。と少論は王族を養子に迎えて延君を取り除こうと企てたが、その前に景宗が急死して失敗した。一説によれば、当時の医学で相剋とされた蟹醤と柿を食べ、延君が医師の反対にもかかわらず参茶を薬として使ったといい、景宗は老論派の両班によって暗殺されたとも言われている。満35歳没。陵はソウル城北区石串洞にある懿陵。
出典:wikipedia
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