度宗(たくそう)は、南宋の第6代皇帝。1240年、理宗の弟である嗣栄王趙与芮の子として紹興で生まれる。理宗には嗣子が無く、幼少より節度がある言動が認められ、1260年に皇太子に立てられた。理宗は儒教に傾倒していたため、度宗自身も理宗から厳格な儒学的教育を受けた。1264年、理宗の死去により第6代皇帝として即位する。即位後の実権は理宗時代からの外戚である賈似道が掌握しており、彼自身も年齢が若かったこともあり派閥抗争を抑制することができず、モンゴル帝国のクビライの侵攻を防止することができなかった。1273年には南宋の重要な防衛拠点であった襄陽が元軍に陥落させられ、南宋の滅亡が決定的となった時代である。1274年に35歳で崩御。死因は酒色による脳溢血とされる。その後は子の趙㬎(恭帝)が即位した。
出典:wikipedia
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