禁煙ファシズム(きんえんファシズム)とは、喫煙を擁護する言論や表現が封殺されていると考える立場の者が、ナチス・ドイツが一時期行っていた反タバコ運動に絡めて、嫌煙権運動を過激であると非難して用いる言葉。アメリカの場合、1960年代から1970年代にかけ、喫煙問題や分煙議論の場でたばこ規制をファシズム・ナチズムになぞらえることが行われ始めた。1980年代には、アメリカのたばこ会社がたばこ規制の論理を「健康ファシズム」(health fascism) と位置づけるようになり、1990年代以降これは世界的に使われる表現になった。日本では1980年代末より團伊玖磨、筒井康隆、山田風太郎などが嫌煙権運動をファシズムになぞらえて発言するようになった。1999年(平成11年)に斎藤貴男は、「禁煙ファシズムの狂気」において過剰防衛的な社会のあり方と批判し、2005年(平成17年)には同論文をも収録した小谷野敦・斎藤貴男・栗原裕一郎共著の『禁煙ファシズムと戦う』を刊行した。また、山崎正和、養老孟司、蓮實重彦、宮崎哲弥、小松美彦らも喫煙規制を禁煙ファシズムとして批判している。嫌煙権運動の広がりを危惧した團伊玖磨は、1987年(昭和62年)3月27日付けの夕刊コラムにおいて、「一斉禁煙などはファシズムにつながるのではないか」と述べて、初めて禁煙をファシズムになぞらえた。團は嫌煙権訴訟において、“体に良くない物を全て排斥するのだとすれば、一番体に良くないと極論できる生命活動そのものを排除しなければならなくなるし、本来は市民におけるマナー問題であるはずの物事に関して訴訟を提起し、賠償を求めることには疑問がある”と断じた。そして“タバコだけでなく香水や体臭と言った物にも同様のことを求め、禁煙があるなら喫煙もバランス良くあるのが、本来の意味での公平であると言える”とした。筒井康隆は1987年(昭和62年)10月、『小説新潮』において『最後の喫煙者』を発表し、嫌煙権運動が喫煙者への差別や排斥運動となってヒステリックに過激化していく様を、主人公である小説家の視点から描いている。健康ファシズムという表現で行われているが、世界保健機関に人権擁護局や赤十字・警察・自衛隊・マスメディア・国民と言った存在までもが、タバコを排斥する側に回っていったと作中にあり、風刺で表現されている。現在においても、全体主義的な禁煙運動の例えとしてこの作品が取り扱われることが多い。その後も筒井は、自身のコラムや作品中で禁煙運動について頻繁に触れている。山田風太郎は、1988年(昭和63年)に「“禁煙ファシズム”の今後は?」というエッセイを『文藝春秋』に発表している(『死言状』所収)。宮崎哲弥は朝日新聞の禁煙推進の社説内容に対し、「社説は喫煙の自由を政府の力で縛れと煽動している」「禁煙ファシストとの指摘は誇張でもなんでもない」「健康は国民の義務がナチスの厚生事業のスローガンであった」「露骨に国家統制を要求するとは一体どこのファシストか」「朝日新聞はタバコをやめたくない人もやめざるをえないよう政府が強制措置を採るべきだとでもいうのか」などと批判。個人の嗜好の問題に公権力の介入を許すのであれば、“反対論や喫煙者への配慮があるべきである”と語った。斎藤貴男は著書『国家に隷従せず』内「禁煙ファシズムの狂気」において、国家が国民の嗜好や健康を管理下におこうとすることを批判している。健康増進という立場から、“たばこにかかる医療費の費用などをあげ予防医学をすすめるのであれば、飲酒や読書やスポーツなども体に良くないと言えるのだから、同じくその対象になりうる”とした。医療費に関しては、“老人や重度障害者、難治性の患者、ひいては生産性を低下させるジャーナリストや評論家なども医療費削減の対象となるのではないか”と疑問を示した。斎藤は非喫煙者であり、たばこ嫌いを公言しているが、“個人の趣味嗜好や健康に国や行政が介入するのは「明らかに第三者へ致命的なダメージがあると、殆ど完全に確定された時」でなければいけない” との考えから、“疫学を根拠とした健康管理や全面禁煙については国・行政レベルにおける介入の妥当性がなく、個人での嫌煙権を主張するまでに留めるべき”とした。また、喫煙規制に海外からの外圧があると示唆し、“海外では喫煙と健康の悪化との間の因果関係の存在に関する議論はすでに決着したものとされ、それに異論や反論を唱えることすらタブー扱いがなされている”とした。さらに“アメリカにおける喫煙裁判の賠償金は禁煙活動には数%ほどしか使われず、州や世界保健機構、連邦政府を巻き込んで利権化した”とした。そして、日本の健康増進法の序文を提示し、プロクターの『健康帝国ナチス』を参考にして、ナチスの政策との間に国家による健康増進とたばこ規制という同一点が存在することをあげ、国家による全体主義への危惧を示し、禁煙ファシズムだとして批判している。小谷野敦は、「分煙」することで十分であるはずなのに、1ccたりともタバコの煙を吸いたくないという過剰な要求を嫌煙家は行っているとして、「中庸」を重んじる立場および喫煙者としての立場から嫌煙権運動に対する批判を続けている。また、“大気を汚すという点では自動車の方が大きく影響しているのに、なぜ自動車には甘いのか、また他人に迷惑を及ぼすという点では酒も同じなのに、日本では酒に対しても非常に寛容である”と述べた。2006年(平成18年)には、代議士の杉村太蔵が「若い人にとっては、タバコはくさい、汚い、金がかかるの3K」と発言したことを受けて、国家賠償法による損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。小谷野は法廷で国の政策を批判したが一審、二審で敗訴、上告は受理されなかった。なおこの際、弁護士を探したが引き受ける者がなかったところ、“法曹界でも禁煙ファシズムが広がっている”と主張した。2007年(平成19年)には、新幹線、特急などを全面禁煙にしたJR東日本に対して、差止め訴訟を行ったが敗訴した。2009年(平成21年)には、著書である『禁煙ファシズムと戦う』の問題点を指摘して小谷野との公開討論を要望したある個人に対し、損害賠償請求訴訟を起こし、敗訴した。2009年(平成21年)には続編『禁煙ファシズムと断固戦う!』を執筆・出版し、『喫煙者の人権は無視されている!!』『常軌を逸した禁煙ファシズムに、もはやフェアプレーは通用しない』と訴えた。小谷野は、哲学者カール・ポパーの、「社会をよくしようとする正真正銘の親切心から起こったものが多くの惨禍を生んだ」という語を援用し、その具体例としてフランス革命、ソ連、ピノチェット、ポル・ポトなどを挙げた。なお、小谷野は「ファシズム」の用語法について、山口定『ファシズム』の定義によれば政治学上のファシズムは極めて強力なものなので、この場合の「ファシズム」は比喩的用法だ、とした。山崎正和は、嫌煙権運動と一連の規制を過剰な公権力の介入であるとして批判した。月刊文藝春秋・2007年(平成19年)10月号では、養老孟司との対談「変な国・日本の禁煙原理主義」を掲載した。ベストセラー『バカの壁』の著者としても知られる、東京大学名誉教授で、医師であり解剖学者の養老孟司は、月刊文藝春秋・2007年(平成19年)10月号内の山崎正和との対談『変な国・日本の禁煙原理主義』において「『肺がんの原因がたばこである』と医学的に証明出来たらノーベル賞もの」 「タバコの害 並びに受動喫煙の害は科学的に証明がされていない」「禁煙運動家がタバコの取り締まりに権力欲から中毒している」「人間の文化から中毒性を取り除くと、何も残らない」などと、禁煙運動家を痛烈に批判した。これに対し日本禁煙学会は「たばこが害だという根拠が無い、という根拠を示せ」と同年9月に公開質問状を出した。一方の養老の所属事務所によれば「これまでも反対される方へ、反論のコメントを出すということはなく、質問状が手元に届いても見ずに捨ててしまうだろう」としている。フランスのエコノミストであるは、雑誌『』の1999年 vol.4 No.2に『Heil Health』という題名で論文を発表した。これはのちに編集され『Fascism and the Campaign to End Smoking』というタイトルで1999年10月2日のとに掲載された。彼はそこで現代の禁煙化をナチスの禁煙政策になぞらえて批判した。彼が折に触れプロクターの著書をふまえて発言していたために、プロクターからの反論がなされたがルミューも再反論を行った。ジェームス・エンストローム(James E. Enström)らは、「喫煙を擁護する言論を封殺する動き」がルイセンコ疑似科学(Lysenko pseudoscience)に見られた動きと同様であると批判している。2003年(平成15年)、エンストロームらは、他の多くの研究と異なり「環境たばこ煙と死亡リスク上昇の相関はかなり低い」と結論する論文(エンストローム論文)を発表したが、研究自体の疫学上の瑕疵(欠陥)と研究資金をたばこ会社関連の組織から得ていたことを学界や政府機関から激しく批判された。これに対しエンストロームは、“これらの不当な批判は正当な科学に対する政府からの弾圧であり、かつてソ連政府がルイセンコの提唱した根拠の薄い学説を支持して、他の学説を唱える学者を粛清したルイセンコ論争と同じ流れである”と主張した。パイプ喫煙の普及等に努めている「日本パイプクラブ連盟」は、同連盟のサイトのコラム『禁煙ファシズムにもの申す』において喫煙規制や禁煙団体、喫煙者の雇用をしない企業などに対する批判を連載しており、「禁煙狂連中のネチネチとしたシツコサはそれこそ正真正銘のビョーキです。インターネットのたばこ関係の膨大な書き込みの内容を眺めるだけで、連中のパラノイア症状の深刻さが覿面にわかります」等といった同コラムの内容がネット上で話題になっているとジェイ・キャストニュースにより報道された。同社がコメントを求めたところ、「一部の過激な嫌煙者の圧力を受けて、地方自治体や公共輸送機関などが、有無を言わさずに強引に全面禁煙を強制する昨今の社会風潮は、穏当を欠き、甚だしく危険なものだと考えます。JR東日本は、これまで分煙を掲げてきましたが、急に全面禁煙を利用客に強制するようになりました。喫煙者の利用客の立場を一方的に無視する傲慢な経営姿勢の現われだと受け止めております。従いまして全面禁煙の強制には当連盟は真正面から反対いたします」と表明した。この禁煙規制批判に対し日本禁煙学会理事長・作田学らは2007年9月13日付けで公開質問状を出した。作田らはそこで、肺ガンの主な原因が喫煙ではないという根拠、受動喫煙には害がないという根拠、タバコよりも大気汚染のほうが大問題だという主張の根拠の明示を要求した。また「疫学に信用はおけないとおっしゃっておられますが、対談中に2件の疫学データをもとに、ご自分の主張を補強されておられる箇所があります。疫学には良い疫学とダメな疫学の二種類があるのでしょうか。そうなら、それはどこで見分けるのでしょうか。お教えください」といった質問や、「つきましては、日本たばこ産業をはじめとしたタバコ業界から、講演料、顧問料、コンサルタント料などの金銭的報酬を受けておられますでしょうか」といった質問をした。後者の金銭的報酬に関する質問では、その質問を行う根拠として「利害関係の開示は、欧米先進国の学術雑誌の投稿論文の不可欠の部分となって」いることを挙げている。プロクターはナチス政権下の健康政策を詳細に述べた自身の著書にて、現在の国家主導の環境・健康保護運動を「ファシズム」とみなす態度を「誤解」だとして明白に否定している。嫌煙権訴訟に携わった、弁護士で嫌煙・禁煙活動家の伊佐山芳郎は、「禁煙はファシズムにつながる」といった非難について、「歴史認識のない人間による言葉の誤用」であるとしている。伊佐山は、イタリア、ドイツ、日本などに台頭した、対外的な侵略政策を特徴とする全体主義の政治的イデオロギーであったファシズムを嫌煙権の批判に用いることは、的はずれであり議論に値しないと述べている。
出典:wikipedia
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