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龍尾寺

龍尾寺(りゅうびじ)は、千葉県匝瑳市大寺にある真言宗智山派の寺院。山号は天竺山。本尊は釈迦如来。龍尾寺の開創は斉明天皇7年(661年、飛鳥時代)とされており、所在地の地名「大寺」とは官寺があった名残とされている。こんにち龍尾寺に伝えられている縁起は、江戸時代の明暦年間(1655年-1658年)に再作成されたものであるが、その内容を要約した『略縁起』が昭和59年(1984年)に当時の住職によって刊行されている。『略縁起』によれば、龍尾寺の歴史は和銅2年(709年)にさかのぼる。この年は全国的に旱魃に見舞われ、元明天皇は釈命上人に雨乞いを命じた。雨乞いが始まると、惣領村の浜に龍神が現れて空へと昇っていったが、龍の尾の垂れ下がった所が尾垂惣領村である。龍神が空の高みへ登り詰めた時大きな雷鳴が響きわたり、龍神の体が3つに裂かれて落下した。直後に豪雨となり、雨は7日7夜降り続いたが、旱魃で乾ききった田畑は潤い農作物は勢いを取り戻した。龍神の頭は下総国埴生庄に、腹部は下総国印西庄に、尾は北條庄大寺郷に落ち、それぞれの場所で祀られた。尾が落ちた大寺の寺は、釈命上人によってその名を「天竺山尊蓮院龍尾寺」に改められた。龍尾寺は、頭を祀った龍角寺、腹部を祀った龍腹寺と共に「関東三龍の寺」と呼ばれるようになったという。その後の龍尾寺は、近辺のみならず遠方からも多くの参拝者が訪れる、七堂を備えた名刹であった。天暦年間(947年-957年)の旱魃の際には観宿僧都という法師が龍尾寺において雨乞いしたところ降雨があったという。以後も何度も雨乞いを成就してきたが、南北朝時代の応安3年(1370年)に火災に遭い、建物のほとんどを消失した。その後建立した堂宇がこんにちも残っている。大同2年(807年)に弘法大師が来山しており、境内にはその時掘られたというお手堀の井戸がある。その水は洗眼にも使えるとされている。また応安6年(1373年)の板碑が残されており、縁起にあるように南北朝時代の火災の後に再建されたものだということがわかる。前述のように、龍尾寺の開創は7世紀半ばの661年と伝えられている。しかし、これは白鳳仏の本尊を持ち極めて早い時期の創建とされる龍角寺を意識したもので、また古いのは隣接する大寺であり、龍尾寺の創建はそれより若干下るものと推測されている。なお、発掘調査で出土した瓦によって隣接する大寺廃寺は7世紀後半の創建であることが明らかになっている。龍尾寺跡からも7世紀第4四半期の瓦が出土している。

出典:wikipedia

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