クレイグ・アンドリュー・ブレスロウ(Craig Andrew Breslow, 1980年8月8日 - )は、アメリカ合衆国・コネチカット州ニューヘイブン出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。現在は、フリーエージェント(FA)。ユダヤ系アメリカ人である。、MLBドラフト26巡目(全体769位)でミルウォーキー・ブルワーズから指名を受け、6月6日に契約。この年は傘下のパイオニアリーグのルーキー級で23試合に登板し、6勝2敗2セーブ・防御率1.82だった。はA級で33試合に登板し、3勝4敗2セーブ・防御率5.12だった。はA+級ハイデザート・マーベリックスで23試合に登板し、1勝3敗・防御率7.19と振るわず、7月6日に自由契約となった。自由契約となった後は独立リーグ・ノースイーストリーグのニュージャージー・ジャッカルズに加入。19試合に登板し、3勝1敗1セーブ・防御率4.10だった。3月3日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結んだ。7月23日にパドレスとメジャー契約を結び、この年は14試合に登板。防御率は2.20だった。オフの12月21日にノンテンダーFAとなった。2月1日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ。開幕をAAA級ポータケット・レッドソックスで迎え、7月13日にレッドソックスとメジャー契約を結んだ。この年は13試合に登板し、0勝2敗・防御率3.75だった。3月17日にAAA級ポータケットへ異動し、開幕を迎えた。この年はAAA級ポータケットで49試合に登板し、2勝3敗1セーブ・防御率4.06だった。3月6日にレッドソックスと1年契約に合意した。2008年3月23日にウェーバーでクリーブランド・インディアンスへ移籍した。開幕後は7試合に登板したが、5月23日にジョー・ボロウスキーの復帰に伴ってDFAとなった。2008年5月29日にウェーバーを経てミネソタ・ツインズへ移籍した。移籍後は42試合に登板し、0勝2敗1セーブ・防御率1.63だった。は17試合に登板し、1勝2敗・防御率6.28だった。2009年5月29日にウェーバーを経てオークランド・アスレチックスへ移籍。移籍後は60試合に登板し、7勝5敗・防御率2.60だった。3月8日にアスレチックスと1年契約に合意。この年は75試合に登板し、4勝4敗5セーブ・防御率3.01だった。1月25日にアスレチックスと140万ドルの1年契約に合意。この年は67試合に登板し、0勝2敗・防御率3.79だった。2011年12月9日にライアン・クック、コリン・カウギル、ジャロッド・パーカーとのトレードで、トレバー・ケーヒルと共にアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍した。2月8日にダイヤモンドバックスと179万5000ドルの1年契約に合意。開幕後はトレードまでの間で40試合に登板し、2勝0敗・防御率2.70だった。2012年7月31日にスコット・ポドセドニック、マット・アルバースとのトレードで、古巣のレッドソックスへ移籍した。移籍後は23試合に登板し、1勝0敗・防御率2.70だった。1月24日にレッドソックスと総額625万ドルの2年契約(2015年・400万ドルの球団オプション付き)を結んだ。左肩腱炎のため開幕から故障者リスト入りしたが、5月7日からセットアッパーとして復帰し、右腕の田澤純一、上原浩治投手等と共にレッドソックスのリリーフ陣を牽引した。このシーズンは61試合の登板で、5勝2敗・防御率1.81(ア・リーグ左腕の救援投手3位)、WHIP1.12と優秀な成績を残した。特に後半戦は自責点2と、クローザーの上原と遜色の無い成績だった。ポストシーズンにおいてもその活躍は衰えず、ディビジョンシリーズでは3試合に登板し、2安打無失点4奪三振2四死球、WHIP0.82の成績でレッドソックスの勝利に貢献。続くリーグチャンピオンシップシリーズでも4試合に登板し、1安打無失点2奪三振4四球、WHIP1.50の成績を残し、対戦相手であるデトロイト・タイガースのジム・リーランド監督から、“レッドソックスの先発投手陣は良いが、救援陣は圧倒的だ”と賞讃された。しかしながらワールドシリーズでは、4試合の登板で、3安打3失点3四死球、WHIP15.0という散々たる成績に加え、アウトは第2戦での犠飛1つしか奪えておらず、しかもその際には三塁への暴投により2点目を献上するなど、絶不調に陥った。しかしながらチームは踏ん張り、レッドソックスはワールドシリーズを制覇した。3月27日に左肩の故障で、15日間の故障者リスト入りした。4月3日にリハビリのため、AAA級ポータケットへ異動した。同月9日にメジャーへ昇格。以降リリーフとしてコンスタントに登板を重ねた。8月までは防御率4.65であったが、9月は8試合に登板して11失点(自責点10)、防御率22.5、WHIP3.75と絶不調に陥った。6年連続の60試合登板を達成した一方で、終盤の不調が大きく響き、防御率5.96、WHIP1.86はそれぞれ自己ワースト記録を更新した。オフの10月31日にレッドソックスが球団オプションを破棄したため、FAとなった。1月6日にレッドソックスと200万ドルの1年契約で再契約した。不振からの脱却を期する同シーズンは、45試合に投げて通算500試合登板を達成した。投球内容は、0勝4敗と未勝利に終わったが、防御率を4.15まで低下させて、やや復調の兆しを見せた。一方、65.0イニングで、自身初の二桁被弾となる12本もの本塁打を打たれ、球の軽さが目立った。11月2日にFAとなった。2月12日にマイアミ・マーリンズとマイナー契約を結んだ。開幕メジャー入りするも、5月11日にDFAとなり、13日に40人枠を外れる形で傘下のAAA級ニューオーリンズ・ゼファーズへ配属された。7月18日に自由契約となった。2016年7月24日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだ。8月9日に自由契約となった。速球は最速148km/hほどであり、ツーシームとフォーシームを投げる。また、変化球としてはスライダーを得意としており、以前より球速も上がっているため、カットボールと思われやすい。他には、100km/h台のカーブと、約120km/hのチェンジアップを投げる。奪三振は多くなく、K/BBは2.00、ゴロ/フライ比率は1.00程度であり、打たせて取る傾向のある投手である。名門イェール大学出身であり、2010年にスポーツ専門メディア『Sporting News』が特集した“20 smartest athletes in sports”(スポーツ界で最も賢い20人)では、堂々の1位に輝いた。同僚のライアン・ラバーンウェイ捕手もイェール大学出身であり、2013年8月18日にはMLB史上初となるイェール大学出身者同士のバッテリーが実現した。イェール大学出身者がチームメイトになるのは、63年ぶり2度目であった。また、“Strike 3 Foundation”というチャリティ財団を自ら設立、運営しており、2013年9月には、ロベルト・クレメンテ賞にノミネートされた。
出典:wikipedia
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