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嶋田哲也

嶋田 哲也(しまた てつや、1967年5月13日 - )は、山口県出身の元プロ野球選手。現プロ野球審判員。柳井商業高等学校(現:山口県立柳井商工高等学校)から王子製紙米子を経て、1990年のドラフト5位で阪神タイガースに入団。1993年にプロ初勝利を挙げる。これが最初で最後の勝利であった。1996年に自身最多の22試合に登板。1998年に自由契約になり引退。スリークォーターからの力強いストレートを武器としたが、制球に苦しむタイプであった。ヤクルトスワローズ戦で古田敦也に対して死球すれすれの胸元を抉るビーンボールを四球続けたために古田が激怒、山田勝彦捕手とのもみ合いから両チームの選手が入り乱れての大乱闘騒ぎに発展したことがある。ストレートは最速135km/h程度。変化球はカーブ、決め球はシュート。自身の現役引退時の激励会的なパーティーで、招待客の一人で同郷、熱狂的なタイガースファンでもある松村邦洋がスピーチで「名球会まであと199勝と迫った中での引退は誠に残念であり……」というコメントを述べ、場内は爆笑の渦だったそうである。引退の翌年1999年にセントラル・リーグの関西審判部に入局。プロ野球審判員となる。審判員袖番号は24(入局以来、24は1988年初採用から1997年退職まで福井宏がつけていた袖番号である)。2007年5月25日のオリックス対阪神戦(京セラドーム大阪)で球審を務めた際、8回表に暴言を吐いたトム・デイビーに退場処分を下したことがある。2008年のクライマックスシリーズ第2ステージに出場し、ポストシーズン初出場を果たした。また、2009年にはオールスターゲームに初出場している。2011年4月28日の広島対阪神戦(マツダスタジアム)で球審を務める。6回裏の広島の攻撃無死一塁で石原慶幸のバント小フライを城島健司が捕り損ねる。ここで城島は、石原のバットに2回当たり、インターフェア(守備妨害)を主張したが、判定は覆らずファウルで再開した。2014年には、同期入局の深谷篤と共に日本シリーズ(阪神対ソフトバンク戦)初出場を果たし、10月28日の第3戦(ヤフオクドーム)で球審を務めた。(記録は2015年シーズン終了時)

出典:wikipedia

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