ラヴァマン (") はアメリカ合衆国の競走馬。おもに2000年代のアメリカ西海岸で活躍を繰り広げた馬で、2008年までの7年間の競走生活でG1競走7勝を挙げた。西海岸を本拠地とし、同地で非常に優秀な競走成績を残したことから「西海岸の帝王」の異名を持つ。2006年にはサンタアニタハンデキャップ、ハリウッドゴールドカップ、パシフィッククラシックステークスと、西海岸におけるダート中距離の主要レースをすべて優勝した。その反面、中部あるいは東海岸の競馬場では苦戦、国外では惨敗する傾向が強かった。2005年、日本で開催されたジャパンカップダートに出走し11着に敗れているが、その直後からG1を含めた西海岸でのレースで7連勝している。2007年にはネイティヴダイヴァー以来40年ぶりとなる、史上2頭目のハリウッドゴールドカップ3連覇を達成した。西海岸限定で芝のG1にも対応可能、オールウェザーも問題にしなかった。ラヴァマンはカリフォルニア州にあるポピュラーメドウズ牧場で生産されたサラブレッドである。母馬リルミズレオナルドは調教師ルーニー・アーターバーンの所有馬であり、ラヴァマンも同師の所有・管理のもとで競走馬となった。ラヴァマンは2歳になった2003年の6月に、カリフォルニア州ストックストンの小さな競馬場でデビューした。初戦の結果は4着と平凡で、その後もすぐには勝ち上がれなかった。この頃にアーターバーンは同じく調教師であるダグ・オニールにラヴァマンの所有権の多くを売り渡し、また管理もオニールが引き継いだ。ラヴァマンはその後、11月に迎えたゴールデンゲートフィールズ競馬場での未勝利戦で初勝利を挙げている。2004年8月、オニールはSTDレーシングステーブルのジェイソン・ウッドの要望に応じ、ラヴァマンの所有権を5万ドルで譲り渡した。以後もオニールが管理調教師を務めている。同年は芝路線にも挑戦して1勝を挙げているが、結局ダートに戻っている。9月のフェアプレックス競馬場で行われたダービートライアルステークスでステークス競走勝ちを収めると、同競馬場のポモナダービーにも出走したが、ここでは3着に敗れた。その後も勝てないながらも善戦を繰り返し、年末のマリブステークスではグレード競走初挑戦ながらも勝ち馬から半馬身差の2着と好走した。2005年は年初からサンシャインミリオンズクラシックなどステークス競走に果敢に挑むも、3戦してすべて凡走に終わっており、この頃からオニールはラヴァマンにブリンカーを装着させるようにした。この装備変更が功を奏したか、翌戦の一般競走を勝つと、続くカリフォルニアンステークスも勝ってグレード競走初制覇を達成した。さらに勢いに乗って出走した7月のハリウッドゴールドカップでは2着に8馬身3/4差をつけての圧勝を見せ、3連勝でG1タイトルを手にする大活躍を繰り広げた。しかし同年のその後はあまり振るわず、パシフィッククラシックステークスとジョッキークラブゴールドカップともに見せ場はなかった。11月にはジャパンカップダートに出走するため日本へと国外遠征したが、初の遠征、またこの間に左前脚に出た膿瘍の影響もあり、11着と大敗している。この日本遠征のときに鞍上がコーリー・ナカタニに乗り替わっており、以後しばらくナカタニとのコンビで競馬を続けていった。翌年の末から一転して、2006年はラヴァマンにとって飛躍の年となった。年明け初戦のサンシャインミリオンズクラシックでを快勝すると、続く大一番のサンタアニタハンデキャップにも優勝した。その後も快進撃を繰り広げ、チャールズウィッティンガムメモリアルハンデキャップ、パシフィッククラシックステークス、ハリウッドゴールドカップといったG1競走4勝を含む7連勝を達成する。この連勝劇でラヴァマンは西海岸競馬の主催者らから「Horse of the Meet(今季の主役)」と称えられ、名実ともに西海岸の頂点として君臨した。その勢いで出走した年末のブリーダーズカップ・クラシックでは、同年のプリークネスステークス勝ち馬バーナーディーニに次ぐ2番人気に支持された。しかしレースでは、位置取りの不利を被り、優勝したインヴァソールに遅れること16馬身差の7着と大敗を喫した。2007年も西海岸では強く、サンタアニタハンデキャップを連覇、ハリウッドゴールドカップを3連覇するなど活躍するが、遠征すると本来の力を発揮できず、ドバイデューティーフリーでは16着と大敗している。しかし、8月から11月にかけて3戦消化したが、6着とやや精彩を欠いた。2008年は4月のカーレッドステークスから始動し、3着だった。 その後、6月のチャールズウィッティンガムメモリアルハンデキャップも3着だった。そして、7月のエディーリードハンデキャップの6着を最後に一旦現役を引退した。2009年12月27日のサンガブリエルハンデキャップ (G2) にて現役復帰を果たしたが、7着と殿負けを喫した。このレースを最後に現役を引退した。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。