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李鳳宇

李 鳳宇(リ・ボンウ、1960年 - )は、日本の映画プロデューサー。元映画配給会社株式会社シネカノンおよび株式会社シネカノンパブリッシャーズの代表。現在、株式会社レスペ(RESPECT)代表。1960年、京都府京都市東山区に在日朝鮮人として生まれる(1990年代に韓国籍取得)。李が「最も尊敬する」父親(1987年死去)は、「朝鮮労働党に身を投じた」朝鮮総連(在日朝鮮人総聯合会)の幹部であった。母親も「在日非公然組織・労働党員」を養成する朝鮮総聯中央学院で「缶詰教育」を受けた幹部だった。1972年、京都朝鮮第一初級学校卒業。1978年、京都朝鮮中高級学校を卒業し朝鮮大学校入学。1982年、同大学外国語学部卒業。1983年、朝鮮総連の機関紙・朝鮮新報社入社。1984年、フランス・ソルボンヌ大学留学。2年間を過ごす。帰国後、1986年、徳間ジャパンにて委託プロデューサーの道を歩み始め、1989年、映画配給会社シネカノン設立。1990年、ポーランド映画『アマチュア』(クシシュトフ・キェシロフスキ監督)で初めて配給を手掛ける。1991年には、シードホール他で「朝鮮映画祭」を開催、全国巡回上映をする。翌年、北朝鮮の朝鮮映画輸出入社との日朝合作映画『バード』を製作。同年9月、北朝鮮の平壌で開催された「第三回平壌映画祭典」で“朝日合作の話題作”として上映。このとき四方田犬彦ら日本の映画評論家たちを北朝鮮に招待している。1992年、『穴』(ジャック・ベッケル監督)など、アジア・ヨーロッパの作品を配給。1993年、『月はどっちに出ている』(崔洋一監督)で初の映画プロデュースを手掛け、キネマ旬報監督賞など国内外の50以上の映画賞を受賞。1994年、韓国映画『風の丘を越えて/西便制』を配給、劇場経営も手掛ける。2000年『シュリ』、2001年『JSA』をヒットさせ、韓流ブームの火付け役と呼ばれる。2005年、『パッチギ!』(井筒和幸監督)で毎日映画コンクール日本映画大賞、キネマ旬報ベスト・テン第1位、ブルーリボン賞作品賞など多数受賞。続く2006年には、『フラガール』(李相日監督)で日本アカデミー賞最優秀作品賞を受賞。インディペンデントで製作・配給した映画で初めての受賞となる。翌年には映画文化への貢献を評価され、第16回淀川長治賞を受賞。早稲田大学大学院国際情報通信研究科と東京大学大学院情報学環、京都精華大学人文学部にて映画製作の授業を受け持つとともに、世田谷ものつくり学校でのスクーリング・パッド映画学部長を務めるなど、人材育成にも積極的に取り組む。しかしこの頃よりヒット作に恵まれないようになる。また、「シネカノンの映画ファンドは、それを仕掛けた会社の粉飾決算にまで及んだこと」や「ファンド資金の流用が発覚」等の様々な理由で経営不振に陥り、約50億円の負債をかかえ劇場も廃館。2010年1月、東京地方裁判所へ民事再生手続申立。同2010年9月「再生計画案」で李は「新会社顧問に就任、プロデューサー能力を生かし新会社の事業に貢献する」と発表された。しかし2011年2月、新会社「ジェイ・シネカノン」の設立記者会見で丁廣鎮代表は「世の公序良俗性から李は、旧シネカノン債権者に対する処理をやらなければならない。新生シネカノンにかかわらせることは断じてありえない。」と説明。2011年、自身が代表を務める株式会社シネカノンパブリッシャーズ破産。2011年4月、映画製作会社SUMOMOを設立、代表取締役に就任。同年には移動映画館プロジェクト「MoMO」をプロデュース。9月16日 - 19日には、この第1弾として、東日本大震災の被災地を巡回して映画上映を行うイベント「東北映画祭2011 in 松島」を開催した。2012年11月、船戸与一原作、山本太郎主演の映画EDEN (映画)が公開され、各地でロングラン上映中(2013年9月現在)。山本太郎に出演の打診をした際「この時期にボクの主演映画ですか…。李さんは勇気ありますね。」と本人に言われた。。2012年12月から社名をSUMOMOからレスペ(RESPECT)に変更した。

出典:wikipedia

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