秩序警察(ちつじょけいさつ、独:Ordnungspolizei)は、1936年から1945年まで存在したナチス・ドイツの警察組織。略して「オルポ(Orpo、Ordnungspolizei)」と呼ばれる。着用する制服の色から「緑色の警察(Grüne Polizei)」とも呼ばれていた。英語では「order police」とも訳されることがある。ナチス・ドイツ時代においては保安警察と並んで体制維持の二本柱の一つであった。1936年6月26日全ドイツ警察長官であるハインリヒ・ヒムラーの指令により、ドイツの警察はすべて親衛隊に吸収されることになった。これにより、市町村、州、国のすべての警察は一元的に親衛隊の支配下に置かれるようになった。警官組織は秩序警察と保安警察に二分された。保安警察は、私服を着用した秘密警察と刑事警察から構成されていた。秩序警察は通常の緑色の制服で法を執行した。秘密警察は政治警察のプロの集団であった。一方、刑事警察は、刑法犯罪の捜査を管轄した。1939年9月、国家機関の秘密警察と刑事警察は党機関の親衛隊情報部はそれぞれ、新設された親衛隊の国家保安本部の一部局となった。SS上級大将のクルト・ダリューゲ秩序警察本部長官 ("Chef der Ordnungspolizei") は、親衛隊全国指導者兼全ドイツ警察長官 ("Chef der Deutschen Polizei") であるハインリヒ・ヒムラーに直接報告を行なう立場にいた。ダリューゲは1943年8月31日に病により秩序警察本部長官職を事実上退任しており(形式的には終戦まで留任)、1943年9月1日付けでアルフレート・ヴェンネンベルクSS大将が秩序警察本部長官事務取扱として実質的な後任に任じられた。秩序警察本部 (Hauptamt Ordungspolizei) は、秩序警察の司令塔であり、また、親衛隊の本部の一つである。本部内には総局、外局、総監部、監察官室、副官・連絡将校部が置かれ、基本的には秩序警察本部長官が統括し、各局長、総監は長官に対して直接報告義務があった。秩序警察本部長官(Chef der Ordnungspolizei) 本部官房(Hauptbüro)総局は主に秩序警察指令局と管理・法務局が存在した。親衛隊・警察技術学校(Technische SS und Polzeiakademie)秩序警察長官法律顧問(Jurist beim Chef der Ordnungspolizei) 消防団局(Amt Freiwillige Feuerwehr)緊急技術支援局(Amt Technische Nothilfe)衛生局(Sanitätsamt)1944年10月1日に秩序警察指令局第3部(衛生)は衛生局に昇格した。植民地警察局(Kolonialpolizei-Amt)全国緊急技術支援庁(Reichsamt Technische Nothilfe)全国志願消防団庁(Reichsamt Freiwillige Feuerwehren)都市防護警察総監(Generalinspekteur der Schutzpolizei des Reiches)国家地方警察及び地方防護警察総監(Generalinspekteur der Gendamerie und Schutzpolizei der Gemeinden)秩序警察学校総監(Generalinspekteur der Polizei-Schulen)消防総監(Generalinspekteur des Feuerlöschwesens)消防団学校及び工場防火・査察総監(Generalinspekteur der Feuerwehrschulen, Werkfeuerwehren und Brandschau )消防警察及び消防団総監(Generalinspekteur der Feuerschutzpolizei und Feuerwehren)秩序警察官舎宿泊総監(Generalinspekteur für das Unterkunftswesen)秩序警察衛生総監(Generalinspekteur für das Sanitätswesen)特別防衛総監(Generalinspekteur Spezialabwehr)世界観教育監察官(Inspekteur für die weltanschauliche Schulung)歯科衛生監察官(Inspekteur für den zahnärztlichen Gesundheitsdienst)水上警察監察官(Inspekteur der Wasserschutzpolizei)防空監察官(Inspekteur der Luftschutz)消防警察監察官(Inspekteur Feuerschutzpolizei)通信監察官(Inspekteur für das Nachrichtenwesen)交通監察官(Inspekteur Kraftfahr- und Verkehrswesen)武器・装備監察官(Inspekteur Waffen und Gerät (WuG))獣医監察官(Inspekteur Veterinär)騎兵監察官(Inspekteur der Kavallere)防護警察(Schutzpolizei)は、ドイツの大都市と比較的大きな市町村の治安維持を任務としていた。都市警察は、更にいくつかに分けられていた。国家地方警察 (Gendarmerie) は、地方の村落や国境付近における法の執行機関であった。地方警察は主に、密漁を防止し、地方の安全のための山岳部隊を有していた。アウトバーンの発達により自動車化された地方警察の部隊が道路交通の安全を守るために1937年に創設された。これは (Verwaltungspolizei) は、秩序警察の管理部門であり、全ての秩序警察署を指揮する権限を持っている。また、管理局には中央記録保持部門、文民の法執行部隊の統率機関があり、衛生警察部門 (Gesundheitspolizei)、企業活動を監督する営業警察部門 (Gewerbepolizei)、建築警察部門 (Baupolizei)等がある。大都市では、秩序警察管理部門、都市警察、刑事警察が共に警察本部 (Polizeiprasidium あるいは Polizeidirektion) を構成し、地域おける警察力として機能していた。交通警察 (Verkehrspolizei) は、交通法規の執行機関で、ドイツにおける道路の安全を管理している。この組織は、ドイツの道路(アウトバーンは都市警察の自動車部隊により管理されている)をパトロールし、交通事故に対応する。交通警察は、車で長距離を旅行するナチスの高官を護衛する任務も持っていた。水上警察は、第三帝国の沿岸警備隊である。ドイツの川、海岸、内陸の湖における安全と保安も任務とし、港湾の保全を行う一般親衛隊の組織である「親衛隊港湾保全部隊」(SS-Hafensicherungstruppen) より上位の権限がある。鉄道警察 ("Bahnschutzpolizei") は、ドイツ国有鉄道の従業員でもある、パートタイムの警官により構成されている。鉄道警察は、鉄道の安全や、鉄道に関するスパイ活動やサボタージュを防ぐ任務を持っていた。郵便警備隊 ("Postschutz") は、約4,500人の構成員を持ち、ドイツの郵便局の警備と、電話や電報などの通信経路の保安を担当した。1938年にドイツの各地の消防隊は秩序警察に吸収された。消防警察 (Feuerschutzpolizei) は、国に属する消防士により構成されていた。また、秩序警察本部は、地方の自衛消防隊 (Freiwillige Feuerwehren) も管轄していた。第二次世界大戦中、ドイツの都市は度々空襲をうけたため、消防警察と自衛消防隊は合わせて二百万人を越えていた。保安救援機関 (Sicherheits-und Hilfsdienst、SHD) は1935年に創設され、1942年4月、防空警察 (Luftschutzpolizei) と名称変更された。この組織は、空襲に対応し、緊急技術援助隊 (Technische Nothilfe) と消防警察 (Feuerschutzpolizei) とで協力し空襲の犠牲者を助けるための機関である。防空団 (Lutschutzdienst) は国家防空連盟 (、RLB) により支援され、1935年から空軍大臣ヘルマン・ゲーリングの指揮下の組織であった。この機関は、建物や家々の安全を保つ空襲監視員の組織であった。緊急技術援助隊 (、TeNo) は、建設技術者や専門家の集団である。この組織は、1919年に創設され、違法なストライキが行われる場合に市民生活に必須の公益事業体等の機能維持する役割を持っていた。1930年にガス事故と空襲に対する緊急対応組織として拡大され、自然災害、例えば洪水等に対応する人員・装備を保有していた。1937年より、この組織は警察の補助組織となり秩序警察本部に吸収された。1943年には、構成員は10万人を越えた。無線保安部隊 (Funkschutz) はラジオ局への攻撃やサボタージュより守るための親衛隊と秩序警察から構成されていた。外国のラジオ放送の違法な受信の捜査も担当した。工場警察 (Werkschutzpolizei) の役割は、サボタージュや盗難から工場施設を守ることにある。警備員は民間人で多くは工場の関係者より構成されていた。秩序警察の指揮下にあり、親衛隊の制服を着用していた。1939年から1945年の間、秩序警察はドイツ国内の組織から独立した軍事組織を保有していた。最初の部隊は、警察大隊であった。これらは、占領地域の法的秩序の維持と対パルチザン作戦のため設けられた。警察大隊は、親衛隊や警察指揮官に指揮され、ポーランドのユダヤ人のゲットーの警備に投入された。警察大隊は、人員が必要な場合にアインザッツ・グルッペン (Einsatzgruppen) が人員を引き抜くための人的プールとして使用された。1942年に多くの警察大隊から28個の警察連隊が編成された。そのほとんどは、東部戦線でのドイツ軍の撤退時の戦闘に巻き込まれることになった。警察大隊はドイツ陸軍の通常の軍警察(憲兵)とは別のものであることを記しておく。秩序警察の準軍事組織としては、SS警察師団があった。主に、戦線後方の警備と予備部隊として存在しており、歴史的には訓練不足で戦闘技術を欠いていたことで知られている。師団は秩序警察の人員で構成される4つの警察連隊からなり、警察の人員を軍事的な状況に投入するために使用された。戦争の最末期に秩序警察のSS警察連隊のいくつかが第35SS警察擲弾兵師団編成のために武装親衛隊に移管された。秩序警察は親衛隊と別の徽章と階級名の仕組みを持っていた。警官は1936年来は組織上は親衛隊であるが、その任務には参加しないことが可能であった。戦時下にあっては親衛隊の一員である警察上級職員は親衛隊と秩序警察両方の階級名を同時に所有していた。例えば、警察中将 (Generalleutnant der Polizei) は、同時に親衛隊の一員であったため、警察中将兼親衛隊中将 (SS-Gruppenführer und Generalleutnant der Polizei) と呼ばれた。加えて、親衛隊及び警察高級指導者 () の職位にある秩序警察の将官は、ヒムラーが陸軍の国内予備軍司令官に任命された1944年8月に武装親衛隊の階級も手に入れた。理由は、彼らは戦時捕虜となる場合が生じており、警察の階級(文民)では軍隊の階級と異なり、捕虜の取り扱いが異なっていたためである。秩序警察に対するハインリッヒ・ヒムラーの最終的な構想は、徐々にこの組織をなくしていき、ドイツにおける通常の警察力を純粋な親衛隊の警備部隊 (Staatsschutzkorps) に置き換えることであった。ヒムラーの夢では、地方の法の執行は、軍機能と政治警察機能を有する武装親衛隊の下、一般親衛隊により行われる予定であった。第三帝国の歴史的な研究では、秩序警察の上級職員はヒムラーの計画を知っており、親衛隊が国家の警察となる案に賛成したが、秩序警察の廃止には反対をしていたことが明らかになっている。第二次世界大戦が終わると、秩序警察は廃止されたが、連合国の占領軍のための警察業務を行うたくさんの組織が一般警察業務を継続した。一方、秩序警察の伝統は東ドイツにおいて受け継がれ、そこでは、人民警察 (Volkspolizei) と呼ばれる国家警察機構が秩序警察や親衛隊の構造を見本にして設立された。また、ゲシュタポを見本としたシュタージも設けられた。ドイツ連邦共和国では、警察は中央集権を離れ、各州毎の地方警察 (Landespolizei) として独立した。地方警察の規則、手順、制服、徽章は、もともとの秩序警察が使用していたもの、すなわち、ワイマール共和国時代のものを利用している。緑色の制服には役職を表す徽章をつけていた。肩章は次のものを着用した。"尉官の階級の訳語は、警察組織の場合と軍組織の場合で2種類存在する。秩序警察自体、準軍事組織であるため、両者を併記した。"秩序警察将官の襟章は以下のように変化した。制服には次の襟章を着用した。
出典:wikipedia
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