ピーターボロ(英語:、発音:[pē'tər-bŭr'ō, -bûr'ə, -bər-ə])はカナダのオンタリオ州南部、ピーターボロ郡に位置する都市。オンタリオ州東部中央を流れるオトナビー川 () がピーターボロ市内の東を流れている。トロントから北東へ125kmほどの場所に位置し、都市の人口は2006年統計で、およそ7万5,000人。広域都市圏のグレーター・ピーターボロ・エリア (GPA) では人口11万6,570人。ピーターボロ郡の郡庁所在地(行政府)が置かれている。現在の市長はポール・エイオット (Paul Ayotte)。ピーターボロはカワーサ湖群 ()周辺を始めとした「コテージ・カントリー」への玄関口として知られ、州内でも 規模の大きい保養地となっている。1万1,000年前、氷河期の後退に伴って先住民族の集団がこの地に流れてきた歴史をもつ。ウッドランド族が紀元前約1,000年から西暦1,000年頃まで定住していたとされ、1740年年頃、イロコワ族やミシサガ族がこれに続いた。1615年、サミュエル・ド・シャンプランがピーターボロの少し北、現在のブリッジノースの近くに短期間滞在した。1818年、アダム・スコットがオトナビー川の西岸に入植し、製材工場と製粉所の建設を始め、「スコットズ・プレインズ (Scott's Plains)」という名の町を築いた。工場は現在のキング通り (King St.) に建てられ、動力となる水源はジャクソン入江から水を引いていた。1822年、イギリスの国会がアッパーカナダへアイルランドの貧しい人々を試験的に移住させる計画を承認したことに関連して、1825年には、この地にアイルランドのコークからの移民が2,000人を超えた。この基本構想は当時の政治家ピーター・ロビンソン () によって管理され、彼の功績を称えスコットズ・プレインズを「ピーターボロ」(ピーターの都市の意)に改名した。世界時(標準時)を提案し、カナダ最初の切手をデザインしたサンドフォード・フレミング () が1845年、ジョン・ハチソンとその家族と一緒に暮らすため、この地に移住し1847年まで滞在した。ジョン・ハチソンはピーターボロに住む最初の医者のひとりであった。ピーターボロは1850年に町制として組織された(当時の人口2,191人)。初期の1850年代後半、町と周辺に数多くのカヌー製造業者が生まれ、1893年にアダム・スコットの工場跡地にピーターボロ・カヌー会社が設立された。1930年時点で、カナダ国内のボート製造業に従事する従業員のおよそ25%がピーターボロ周辺で働いていた。1928-36年の期間にジョンソン・モーターやアウトボード・マリン(ボートエンジンの製造会社、現ボンバルディアの傘下)が従来の産業から新しく誕生した。ピーターボロはナイアガラの滝の発電所よりも早く、カナダ国内で最初に水力発電所が運転された場所のひとつ。このため、この都市では電力業界を通しても町の発展をみることができる。安い電力資源が手に入ったことから、この利点を生かすため、エジソン・ゼネラル・エレクトリック(後のゼネラル・エレクトリック・カナダ)とアメリカ・シリアル(後のクエーカーオーツカンパニー、2001年にペプシコが買収)が進出した。1904年、オトナビー川の東岸に位置するアシュバーナムの村 (Village of Ashburnham) がピーターボロに併合された。このエリアは現在でも地元の人々の間では東町 ("East City") と呼ばれる。このため、時折、地元民の間では地元経済や住宅地において、「イースト・シティ」と市中心部を比較して区別することがある。1905年、カナダ建国記念日のドミニオン・デー(現在のカナダ・デー)にあたる7月1日に、ピーターボロは市制となった(当時の人口およそ1万4,300人)。市の旗と紋章は1951年に採用された。1970年代、オンタリオ州政府がオンタリオ・ダウンタウン・リニューアル・プログラム (Ontario Downtown Renewal Programme, ODRP) の一環として、州の助成金をもとにピーターボロ・スクエア (Peterborough Square) が建設された。このモールは旧イートンセンター () を主体としている。コールセンターICTカナダが大部分の空き店舗スペースを手に入れ、他の残されたエリアはオフィススペースに割り当てられた。最近になって、連邦政府は天然資源省の本部をダウンタウン(通りを挟んでピーターボロ・スクエアの向かい)に移転させた。2006年のカナダ国勢調査に基づくと広域の都市圏 (CMA) の人口は11万6,570人で、市内中心部の人口は7万4,898人。都市圏人口ではカナダ国内33位に位置する(オンタリオ州内14位)。5歳未満の子供の人口は定住者人口の4.8%(州内5.8%、全国5.6%)。65歳以上の高齢者人口は18.1%(州内13.0%、全国13.2%)。平均年齢40.6歳(州内37.2歳、37.6歳)となっており、カナダ国内、オンタリオ州内の平均と比べ高齢化が進んでいる。都市圏 (CMA) の人口密度は85.4人/km² (221.2/sq mi) で、州平均の12.6人/km² (32.6/sq mi) より高い。2001 - 2006年の人口増加率は市内、都市圏ともに州内平均の6.6%よりやや低い。この地域最大の産業は製造業で、ゼネラル・エレクトリックやクエーカーオーツ(ペプシコ)が大きな工場を運営している。また、ゼネラル・モーターズ・カナダで働く従業員のベッドタウンとしても機能しており、産業界ではピーターボロ市民最大の雇用先がGMオシャワオートプレックスである。市内最大の雇用先はピーターボロ・リージョナル・ヘルス・センターで、ピーターボロ教育委員会 (school boards)、ピーターボロー市と続く。ゼネラル・エレクトリックやアウトボード・マリンなどの製造業は給与が高い雇用先であったことから、市の発展に大きく関与した。後に、施設の老朽化と高い労働賃金が途上国の安い労働市場との競争にさらされるようになる。1970年代から1980年代、ジャストインタイム生産システムなどの革新によってより低価格の製品を作る必要性が増し、多国籍企業に大きな影響をもたらした。1990年代初期に合意したNAFTAは多くのカナダ企業の貿易形態を変え、今日のGE、ペプシコ・クエーカー、シーメンズを始め、多くの中小企業は飛躍的な成長を経験する。ミニッツメイド(コカ・コーラ)が近年2,000万カナダドルを投じて新しい倉庫と生産ラインを建設した。1991-2001年、製造業の雇用創出は州の平均と同じペースで増え続けた。低コスト、質の高い労働力、すぐれた高等教育機関がピーターボロの優位性を支えている。2004年の終わり、オンタリオ州内でビジネスを行うのに最も適した場所として、カナディアン・ビジネス・マガジンで一番にランクされた。ピーターボロ市の公共交通機関は、当初、路面電車を運営したことに始まり、1893年から1898年まで運営されていた会社ピーターボロ&アシュバーナム・ストリート鉄道 (The Peterborough and Ashburnham Street Railway Company) を前身とする。これがピーターボロ・ラジアル鉄道 (Peterborough Radial Railway Company) に受け継がれ、1902年から1927年まで運営されたが、路面電車の時代はここで終わることになる。ピーターボロ・ラジアル鉄道が廃止された1927年の始め、市内にはクーニーとジョプリンの2社のみしか市内交通を提供する運輸会社がなく、限定されたものであった。1927年の末、ボーダー・トランジット (Border Transit Limited) が設立され、1978年に現在のピーターボロ・トランジット(ピーターボロ交通局)となった。現在、39台のバス(19台追加予定)を運営しており、11の主要ルートとトレント大学へ向かう4つの快速ルート(エキスプレス・ルート)に加え、別の快速ルートが2つ、他、小型の乗り合いバスやタクシーを運営している。現在の路線は以下の通りとなっている。メインルート:トレント大学エキスプレス・ルート:エキスプレスルート:基本料金は大人や高校生、学生、高齢者、子供(2歳から12歳)は均一で2ドル。2歳未満は無料。一日乗車券は6ドル。市内の中心部、シムコー通りに位置する中央ターミナルからバスは運営されている。このターミナルはコーチカナダ(旧トレントウェイ・ワーガー)が市外から市内に入ってくるルートの終着駅を兼ねており、グレイハウンドのターミナルもすぐ隣に位置する。ピーターボロ市は地勢的にピーターボロ郡に属するが、行政は郡の管轄に含まれず、郡から独立した単一層自治体に分類される。これはアメリカの独立市と形態が類似している。地方行政システムは市長制を採用している。市長は市の最高責任者として直接投票による選挙で選ばれる。市議会は一院制であり、5人の市会議員が市内5つの地区をそれぞれを代表する形で構成している。現在の地区は以下のとおり。ピーターボロ市庁舎はダウンタウンの 500 George Street North に位置し、ピーターボロ・ソーシャル・サービスのオフィスも施設内にある。ピーターボロ公立図書館は1911年に設立され、当初はカーネギー図書館と呼ばれた。現在2つの図書館がある。ピーターボロ公立図書館は外部のネットワークを通じてカワーサ・パイン・リッジ学区、ピーターボロ・ビクトリア・ノーザンバーランド&クラリントン・カトリック学区、アスフォデル・ノーウッド公立図書館システムとデータベースを共有している。このグループの図書館はPACLAN (Peterborough and County Library Automation Network) と呼ばれる。トレント大学は以下の系列下のカレッジに区分けすることができる。ピーターボロとカワーサ地域には様々なアトラクションやイベントがあり、老若男女問わず楽しむことができる。豊かな歴史遺産と博物館に加え、展示会、美術館、劇場などがあり、芸術活動が盛んな場所でもある。歴史的観光名所として先住民遺跡で知られるペトログリフス州立公園がある。このほか、ホッケーチームではオンタリオ州ジュニアAホッケーリーグのピーターボロ・スターズ (Peterborough Stars) がある。ラクロスも盛んな場所で、ピーターボロ・レイカーズ (Peterborough Lakers) とピターボロ・ジュニア・レイカーズ (Peterborough Jr. Lakers) がある。ピーターボロ・イグザミナ () は地方日刊紙で、この地域で独自に出版する新聞社のひとつ。1847年から発刊。この地に住み、カナダ人作家として著名だったロバートソン・デイビース () が1942年から1955年まで会社を所有者し、編集も行っていた。1980年代後半、タブロイド・スタイルのピーターボロ・ディス・ウィーク () が市場に参入し、イグザミナは広告シェアを大きく落とした。ピーターボロ・ディス・ウィークはフリーペーパーの提供を始め、ほとんどがピーターボロ郡の住民に配られている。その一方で、トレント大学の学生によって学生新聞が設立され、大学キャンパス内とダウンタウンにおいて無料で配られている。1994年からコネクション新聞(旧コーズウェイ・コネクションとして知られる)がピーターボロ郡の中心部、スミス・エニスモア・レイクフィールド (Township of Smith-Ennismore-Lakefield) に設立された。フリーの月刊誌で郵送で地域の家庭に配られている。2002年にピーターボロでは初めて無料のオンライン・マガジン・ディレクトリー「ノウ・アバウト・ネットワーク」 (KnowAboutNetwork) が立ち上がった。それ以降、20以上のマガジン・ディレクトリーを提供するようになり、ノウ・アバウト・ダウンタウン、ノウ・アバウト・カワーサズなどが含まれる。全紙面カラー印刷のニュース誌があり、商品広告やサービスの情報も含まれている。ポストや無料配布棚、地元のイベント先などで配布されている。コラス・エンタテイメント () 所有のと支局の2つの地元テレビ局がある。TVコジコはコジコ・ケーブル・カナダ () が所有・運営しており、ケーブル加入者に放送している。チェックス (CHEX) はテレビ放送局としては国内では最も古い放送局のひとつで、創立者メンバーに作家のロバートソン・デイビースとその父ウィリアム・ルパート・デイビース () が含まれる。送信機を備える電波塔が市内東部にあり、以前はテレビ放送だけでなくラジオ放送にも使われていた。ピーターボロのラジオ業界の特徴として他の大きな都市ブランプトンやオシャワより多くのラジオ局をもち、グレータートロント (GTA) からのラジオ放送を聴くことができる。
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