ジョン・トルーマン・ワズディン(John Truman Wasdin , 1972年8月5日 - )は、アメリカ合衆国・バージニア州フォートベルヴォア出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は、MLBのオークランド・アスレチックス傘下AAミッドランド・ロックハウンズで投手コーチを務めている。のMLBドラフトでニューヨーク・ヤンキースから41巡目指名されるがこの時は契約せず、フロリダ州立大学に進学。のMLBドラフトでオークランド・アスレチックスからドラフト1巡目(全体25位)指名され、プロ入り。8月24日にメジャーデビューを果たす。1月27日にホセ・カンセコとのトレードで、金銭と共にボストン・レッドソックスへ移籍。7月27日にトレードでコロラド・ロッキーズへ移籍。6月5日にロッキーズを解雇され、FAとなる。2001年6月11日に、ボルチモア・オリオールズへFA移籍。2001年12月13日にクリス・ブロックとのトレードで、フィラデルフィア・フィリーズへ移籍。オフの12月21日に、FAとなった。1月1日、メジャー通算31勝の経歴を買われ、契約金と年俸合わせて220万ドルで読売ジャイアンツに入団した。コントロールはなかなか良く、低めに球を集めるタイプで、先発ローテーションの一角を担うことを期待されたが、味方の援護の少なさなどもあり10試合に登板して1勝4敗と振るわなかった。シーズン途中に怪我でファーム落ちすると、そのまま1軍に戻ることはなく1年で退団となった。4月7日にはピッツバーグ・パイレーツ傘下(当時)のAAA級ナッシュビル・サウンズで完全試合を達成した(この日はNCAA男子バスケットボールトーナメントの決勝戦があったことや、季節はずれの寒さもあり、完全試合を目撃したファンは750人ほどしかいなかったという)。同年、メジャーではトロント・ブルージェイズで3試合(先発2試合)に登板したが、0勝1敗・防御率23.40と振るわなかった。からまでテキサス・レンジャーズに所属。、パイレーツのスプリングトレーニングで親友でもある桑田真澄と再会。メジャー枠を争った桑田から、カーブや打者のタイミングを外す投球術を学んでいる。は、セントルイス・カージナルス傘下のAAA級メンフィス・レッドバーズでプレー。41試合に登板し9勝6敗3セーブ、防御率3.51。与四球が少なく、WHIPはチーム最高の1.11だった。1月5日に、埼玉西武ライオンズと契約を結んだ事が発表された。7年ぶりの日本球界復帰となった。1年契約で契約金・年俸合わせて5000万円。同年は、開幕してからは、なかなか勝ち星に恵まれなかったが、6月2日に2002年5月以来、7年ぶりの勝利投手になった。同年10月13日に、ウェイバー不請求で自由契約となった。その後、アメリカに戻り、大学のコーチとなった。140km/h台後半のストレートとスライダー・カーブ・チェンジアップを投げ分ける。
出典:wikipedia
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