マリア・アマーリア・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン(Maria Amalia von Habsburg-Lothringen, 1746年2月26日 - 1804年6月18日)は、オーストリアの「女帝」マリア・テレジアと神聖ローマ皇帝フランツ1世の六女で、パルマ公フェルディナンドの妃。イタリア語名ではマリーア・アマーリア・ダズブルゴ(Maria Amalia d'Asburgo)またはマリーア・アマーリア・ダウストリア(Maria Amalia d'Austria)となる。プファルツ選帝侯の一族であるプファルツ=ツヴァイブリュッケン公子カール・アウグストとの恋愛結婚を認められず、1769年に粗野なフェルディナンドに嫁がされた。姉のマリア・クリスティーナが恋愛結婚を認められたこともあり、マリア・アマーリアはパルマで荒れた生活を送った。再三の母からの注意を無視したため、オーストリアへ帰国禁止となり勘当された。なお、フェルディナンドの姉マリア・イサベラは、マリア・アマーリアの兄ヨーゼフ2世に嫁いでおり、二重結婚になっていた。マリア・アマーリアとフェルディナンドの間には7人の子供がいた。マリア・アマーリアとカール・アウグストの結婚は身分違いを理由に反対されたが、この人物は1775年から1795年に没するまで、義理の伯父カール・フィリップ・テオドール選帝侯(プファルツ選帝侯、のちバイエルン選帝侯を兼ねた)の推定相続人(筆頭継承権者)であった。カール・アウグストの弟マクシミリアン・ヨーゼフは1799年に選帝侯を継ぎ、のち1806年にバイエルン王となっている。
出典:wikipedia
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