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三重県立尾鷲高等学校

三重県立尾鷲高等学校(みえけんりつ おわせこうとうがっこう)は、三重県尾鷲市古戸野町にある県立高等学校。全日制課程と定時制課程を併設する。同県北牟婁郡紀北町に分校の長島校(旧・三重県立長島高等学校)があった。通称は「鷲高」(しゅうこう)、地元では「尾高」(おこう)と呼ばれている。明治時代には尾鷲から上級学校へ進む者は稀であったが、大正時代になると毎年20人前後が進学するようになった。しかし、当時尾鷲から上級学校へ進むには津市か宇治山田市(現在の伊勢市)まで出る必要があったことと、近隣の南牟婁郡木本町(現在の熊野市)でも県立中学校の設置運動が展開されていたことがあり、尾鷲町議会でも1915年(大正4年)6月より中学校設置問題が議論されるようになった。1919年(大正8年)に三重県が中学校を3校新設することを発表すると設置運動は過熱、三重県庁への嘆願や町民大会で設置経費を全額町民負担とすることを決議するに至った。しかし、同年7月11日に中学校の新設が決まったのは木本町だったため尾鷲町民は激昂、津市へ大挙して押し掛けようとして尾鷲警察署から巡査が駆け付け説得に当たる騒ぎとなった。結局、尾鷲町は県立中学校を諦め、郡立による中学校の設置に方針転換した。その後、尾鷲町民の中等教育機関設置の熱意に応じて時の北牟婁郡長・後藤一郎らは三重県知事・山脇春樹に働きかけ、三重県立尾鷲高等女学校の設立認可に漕ぎ着けた。1922年(大正11年)1月31日のことである。建設には土井八郎兵衛が多額の寄付を行ったため、尾鷲高女は「土井学校」と呼ばれた。入学試験は1922年(大正11年)3月30日に行われ、地元北牟婁郡は元より北勢の桑名郡や員弁郡、更に奈良県や和歌山県からも受験生を集めた。一方、男子のための中等教育機関は郡立で設置が試みられたものの、郡内町村の財政負担問題で遅々として進まなかったため、尾鷲町単独での設置を1923年(大正12年)2月23日に議決した。同年3月16日に設置認可が下り、4月24日・25日の2日間入学試験が実施された。

出典:wikipedia

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