マイケル・アンソニー・ナポリ(Michael Anthony "Mike" Napoli, 1981年10月31日 - )は、アメリカ合衆国・フロリダ州ハリウッド出身のプロ野球選手(一塁手)。右投右打。MLB・クリーブランド・インディアンスに所属。のMLBドラフト17巡目(全体500位)でアナハイム・エンゼルスから指名を受け、6月21日にプロ入り。プロ7年目となる5月4日にメジャーデビューを果たした。デビュー戦で史上92人目となる初打席初本塁打を放ち、その後も11打席連続出塁を記録。そのまま、正捕手の座を奪取した。7月下旬まで打率3割台を維持していたものの、シーズン終盤に極度の打撃不振に陥った。それでも99試合で16本塁打を放つ、素晴らしいパワーを見せ付けた。は開幕からフル出場し、前年を超える成績を期待されていたが、最終的にはいずれも2006年を下回る10本塁打・34打点という数字に終わってしまった。は、MLBシーズン試合数の半数以下である78試合の出場で20本塁打を放ち、長打率.586を記録。は、出場試合数が大幅に増加し、本塁打も2年連続で20の大台を超えた。はケンドリス・モラレスの故障以降、一塁手として起用された。最終的に、打率は5年間のメジャーリーグ生活で下から2番目の.238という数字に終わったが、自己最多の26本塁打・68打点を記録し、初めて規定打席に到達するなど、実り多きシーズンであった。これで、本塁打は3年連続で20本以上の数字を残している。また、2010年シーズン終了時点で通算92本塁打であり、100本塁打まであと8本に迫った。1月21日にバーノン・ウェルズとのトレードで、フアン・リベラとともにトロント・ブルージェイズに移籍したが、その僅か4日後の1月25日に今度はフランク・フランシスコとのトレードでテキサス・レンジャーズに移籍した。レンジャーズでは自慢の打撃力に磨きがかかり、故障による離脱がありながらも自身初の3割、30本塁打を達成。OPSは1.046と捕手としては驚異的な数字を記録した。課題であった守備でも、守備防御点がメジャー1年目以来のプラスを記録するなど攻守で充実したシーズンとなった。は、オールスターに初めて選出された。オフの10月29日にFAとなった。レンジャーズは1330万ドルのクオリファイング・オファーを提示したが、11月2日に拒否した。2012年12月3日にボストン・レッドソックスと3年総額3900万ドルの契約に合意と報じられたが、身体検査で股関節に懸念点が見つかったため、正式契約が保留となっていた。1月22日に1年契約で合意した。2013年はキャリアで初めて捕手を守らず一塁での出場に専念し、キャリアハイとなる92打点をあげ主軸としてチームのワールドシリーズ制覇に貢献した。10月31日にFAとなり、12月6日に2年総額3200万ドルで再契約。12月12日に球団が正式発表した。も開幕から正一塁手として43試合に出場していたが、4月15日のシカゴ・ホワイトソックス戦で左手薬指を負傷。翌日の試合は欠場したものの、17日の試合から怪我を押しての出場を続けていた。だが、5月25日に15日間の故障者リスト入りした。シーズン全体では、一塁手ないし指名打者として119試合に出場したが、打率.248・17本塁打・55打点に終わった。得点圏では打率.170と打てず、6年連続で20発以上放っていた本塁打も20本未満に終わるなど、不本意なシーズンとなった。一方、前年比-20試合で自己最高の78四球を選び、選球眼に磨きがかかった。、引き続き一塁のレギュラーを務めて98試合に出場したが、打率.207、13本塁打、99三振とこの年も打撃不振に苦しんだ。一方、守備面ではまずまずの働きを見せており、96試合で守りに就いて6失策・守備率.993・DRS + 2という成績をマークした。8月7日にウェイバー公示を経て金銭+後日発表の選手とのトレードにより、古巣・レンジャーズへ移籍した。レンジャーズ復帰1号弾は、ナポリにとっての通算200号本塁打であった。移籍後は打撃の調子を取り戻し、35試合で打率.295・OPS0.908という好成績で、持ち前の打力で貢献した。守備では一塁手以外に、キャリアで初めて外野(左翼手)も11試合で守った。なお、レッドソックスとの通算では、133試合の出場で打率.224・18本塁打・50打点・3盗塁という成績だった。同年11月2日にFAとなった。2016年1月5日、クリーブランド・インディアンスと1年契約を結んだ。
出典:wikipedia
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