アウディ80("Audi 80" )は、西ドイツ(1990年以降はドイツ)の自動車メーカー、アウディが1966年から1996年まで生産していた小型乗用車である。初代、2代目のモデルはフォルクスワーゲン・パサートと兄弟車の関係にあった。2代目-4代目モデルの上級仕様は「アウディ・90という名称で販売された。また、80/90は、北米、及びオーストラリア市場においては、1973年から1979年まで「フォックス("Fox" )」、1980年から1987年までは「A4000」の名称で販売されていた。1972年に発売された小型乗用車である。歴史的には1965年から生産されていたF103系(エンジン出力によりアウディ60-スーパー90と呼ばれた)の後継モデルであったが、フォルクスワーゲン・パサートの兄弟車として、フォルクスワーゲングループ内では、より大きな役割を与えられていた。フロントにエンジンを縦に搭載し、前輪(モデルにより前後輪)を駆動する。ボディ形状の基本は4ドアセダンであり、モデルにより2ドアセダンや5ドアステーションワゴンをラインナップした。またフロアパンを共用するアウディ・クーペ、アウディ・カブリオレなどの派生車種があった。1972年8月に登場。新世代の西ドイツ製小型大衆車として、それまでのビートルから脱却すべく開発され、1973年6月に登場するパサートのベースともなった。完全な新設計の水冷直列4気筒SOHCエンジンを縦置きし、前輪を駆動する。ルートヴィヒ・クラウスらによる簡潔なメカニズムとジョルジェット・ジウジアーロによる美しいスタイリングをもち、1973年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーにも選ばれた。本国では、「80」、「80L」、「80S」、「80LS」、「80GL」のグレード、1.3Lと1.5Lのエンジンに2ドアと4ドアがあり、1973年の第45回フランクフルトモーターショーで、1.6L、100馬力のエンジンを搭載した高性能モデル、「80GT」が追加された。また、同ショーでは、カルマンのブースにおいて、80シリーズをベースにジウジアーロがデザインしたショーカー『アッソ・ディ・ピッケ』が展示された。強いウェッジフォルムの4座のクーペボディは内外装とも近未来的で、円筒状のインストルメント・パネルには、各種情報がデジタル表示された。日本には1973年夏から、ヤナセを通じて販売が開始された。正式輸入されたモデルは、4灯式ヘッドライトをもつ「80GL」グレード1種で、1.5L、4ドア、右ハンドル仕様に限られた。価格は139.8万円で、当時最も安い輸入車のひとつであった。1976年モデルからは、1.6L Kジェトロニックインジェクション仕様エンジンの「GLE」が輸入され、50年排出ガス規制をクリア。これ以降、日本へ正式輸入される80シリーズは、すべてインジェクション仕様となった。1977年モデルは第2世代のアウディ・100を踏襲した外観にマイナーチェンジされ、「GLE」と「LE」の2つのグレードが日本へ正式輸入された。両者の外観の違いは、フェンダーアーチのモールの有無程度だが、「LE」には2ドアも用意され、マニュアルトランスミッション(MT)を選ぶこともできた。価格は、「GLE」のオートマチックトランスミッション(AT)が299.8万円、2ドアの「LE」でも269.8万円となった。一方、北米向けは「フォックス」と呼ばれ、ワゴンタイプのボディも用意された。この第1世代の80は1,103,800台が生産され、日本へは10,391台が正規輸入された。本国では1978年秋(日本では1979年)にフルチェンジした。デザイナーは初代と同じくイタルデザインのジウジアーロで、2ドアと4ドアの2種類が用意された。クリーンなデザインとスペース効率の良さが特徴で、当時日本の小型車寸法上限を大幅に下回る全長と全幅にもかかわらず、486Lのトランク容量を持つこととなった。また、メーター周辺にライトなどのスイッチを集中させた、いわゆる「サテライトスイッチ」を導入した。なお「サテライトスイッチ」はその後「100」や「90」も採用することになる。日本へは4ドアモデルを全年式に渡ってヤナセが輸入していた。日本仕様車だけの特徴として初期モデルには開閉可能な三角窓が存在していた(1981年モデルを持って廃止)。ベーシックグレードの「CL」と、メッキトリムやパワーウィンドウなど内外装の装備を充実させた「GLE」が用意された。両グレードともに4気筒1.6Lエンジンを搭載していた。1981年に4気筒は1.6Lから1.8Lに換装され「CLE」と「GLE」の2グレードとなり、「GLE」にはヘッドライトウォッシャーや間欠ワイパー、フロントフォグランプなどが標準装備となった。1984年には4気筒に加え、直列5気筒の「GL5E」とその4WD版「quattro(クワトロ)」が投入された。なおこの際に日本国内は「CLE」と「GL5E」、「quattro」の3グレードとなった。「CLE」の装備はこれまでの「GLE」と同様のものに格上げされ、「GL5E」と「quattro」にはロナール製のアルミホイールが装着されるほか、フロントセクションがチンスポイラー化されるなど外観の差別化を行っている。デビューから6年後の1985年にマイナーチェンジを行い、後期型となった。上級車種の「100」に倣い細部をフラッシュサーフェース化した結果、空気抵抗係数(Cd値)の軽減に成功している。特にリアセクションは変更が大きく、トランク開口部がバンパーレベルまで下げられ(従来はテールライトレベルである)かすかに角を立たせた結果、トランク容量が490Lに増加した。またメッキトリムを減らし「100」同様のブラックのプラスチックに変更する他、「100」同様のフルカバーホイールキャップを導入するなど、細部のデザインを変更することで「100」と近いイメージを演出している。インテリアはダッシュボードのパッドとシートの素材を「100」同様のものに変更したが、外観ほどの変更は行われなかった。同時にグレード構成が「100」と同様に「CC」と「CD」とされた。5気筒モデルは「アウディ・90」と改称され、大型一体バンパーを装備するなどより高級感を増したデザインに改められた。従来の「クワトロ」も「90クワトロ」に格上げされ、4気筒エンジンを搭載した「80クワトロ」も台数限定で販売された。1986年に新型に移行するまでの8年間に全期後期合わせて1,405,506台が生産されるヒット作となった。なお、アメリカとカナダでは「4000」の名で販売され、角型4灯ヘッドランプと当地の安全基準を満たす大型バンパーが装着されていた。また専用デザインのアルミホイールが用意されていた。1986年のマイナーチェンジ後は「90」が「4000」として販売された。1986年のパリ・サロンでデビュー。スタイリングは、ハルトムート・ヴァルクスらのアウディ社内デザインチームによるもので、1994年に登場するA4のチーフデザイナー、ペーター・シュライアーも担当した。インゴルシュタットに新設された工場で生産された。メカニズムは基本的に2代目モデルのものを踏襲するが、ボディは一新され、細部までのフラッシュ・サーフェス化と4.5度強く傾斜したウインドスクリーンにより(『80年代輸入車のすべて』三栄書房、36頁参照)、「100」を超えるCd値0.29の空力特性をもつ。ボディ鋼板には、100%亜鉛メッキを施された。トランクの荷室に入り込まない工夫されたヒンジや、ガイドピンにより開閉するドアウインドウ、90度近くまで開くドアなどが特徴。開発段階ではステーションワゴンタイプも計画されていたためか、トランク容量は2代目モデルよりも小さい。運転席からは、サテライトスイッチが姿を消し、ATにはスタッガードゲートが採用され、シフトレバーとブレーキペダルを連動させた安全機構が加わった。また、アウディ独自の乗員保護機構、プロコン-テンシステムが採用された。4WDのメカニズムに関しては、従来のベベルギアに代わり、トルクセンシング能力をもつトルセンデフになった。これにより、状況に応じて前後のトルク配分を変化させることが可能になった。トランクリッドにつく4輪マークは、1964年のアウトウニオンDKW・F102以来。当初、日本仕様のみの特注品であったが、のちに標準化され、現在のアウディ車まで続いている。日本へは1987年6月よりヤナセから販売が開始された。当初、1.9L、3速ATの1種で、ハンドルは左右とも用意され、価格は共に407万円だった。1987年夏からはスポーツシートやスポイラーを装備した「シュポルト」(3速AT)が追加。1988年モデルから待望の「80クワトロ」の導入が始まり、MT仕様のみで、価格は543万円。また、装備を簡素化した廉価版のヨーロッパ(381万円)が追加され、「シュポルト」は5速MT仕様に変更された。1988年夏には新型90シリーズが導入され、「2.3Eシュポルト」の単一グレードで価格は490万円。1989年モデルからは、80シリーズの排気量が2.0Lに拡大し、90シリーズにはAT仕様が加わった。1990年モデルでは「90 2.3E」に右ハンドル仕様が設定され、「80クワトロ」の輸入が中止された。1990年夏には、ようやく「90クワトロ20V」の販売が開始された(569万円)。1991年3月には「クーペ20V」が導入され、613万円で発売された。さらに、80シリーズの日本国内販売10万台を記念して、特別仕様の「80ジーガー」(Sieger)が500台限定で販売された(395万円)。なおSiegerとはドイツ語で「勝者」の意味。この第3世代の80は、1991年末までに約5万1千台が日本国内で販売された。1992年デビュー。前モデルで不評だった点を改良するためにホイールベースを伸ばし、室内空間の拡大を行っている。トランク容量についても、安全上の対策で後部座席裏にあった燃料タンクをリアシート下側に位置変更しトランクスルーが可能となった。同時に荷室の容量も拡大しフラットな状態に改善された。また、ワゴンボディのアヴァントが追加され新たな客層を取り込むことに成功している。先代B3の機械制御3速ATから電子制御の4速ATへと変更され、ロックアップ機構も加わった。ATはエコノミーとスポーツの2ウェイで使用が可能となった。エンジンは先代からのキャリーオーバーであるが、5気筒モデルの90が再び80へ編入し、V6エンジン搭載車が新たに加わった。V6モデルはフラッグシップのアウディ・V8を意識した専用のフロントマスクを与えられた。1995年に「アウディ・A4」シリーズにバトンタッチし、「アウディ・80」という名称は消滅することになった。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。