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京極駅

京極駅(きょうごくえき)は、北海道(後志支庁)虻田郡京極町字京極にあった日本国有鉄道(国鉄)胆振線の駅(廃駅)である。電報略号はケフ。胆振線の廃線に伴い1986年(昭和61年)11月1日に廃駅となった。1980年(昭和55年)10月まで運行されていた急行「いぶり」の停車駅であった。廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と対向ホーム南東側を結んだ構内踏切で連絡した。駅舎側ホーム(西側)が下りの1番線、島式ホーム(東側)駅舎側が上りの2番線、外側が3番線(但し1983年(昭和58年)時点では側線扱い)となっていた。そのほか1番線の倶知安方から分岐し駅舎横までの行き止まりの側線を1線有していた。1970年(昭和45年)までは、脇方に至る支線の接続駅で、駅の南方で分岐していた。業務委託駅となっており、駅舎は構内の南西側に位置し単式ホームに接していた。明治28年12月、旧丸亀藩主家の京極高徳子爵によって京極農場がこの地に開かれ、この農場を中心に周辺に沢山の開拓農場が開かれて徐々に発展してきたため、明治36年に道庁が新市街地として京極農場の一部返還を求め、通称「東倶知安」市街地が形成された。明治46年に倶知安村からの分村の際にこの市街地名を冠して東倶知安村となったが、行政的には市街地や当駅付近は字ワッカタサップであった。一方、当駅は地名とは全く無関係に、本村の先駆者である京極子爵の名前を採って「京極駅」となったが、このために一部の村民から「村長と京極農場管理人の専横である」との強烈な反対運動が起こっている。後に東倶知安駅(後の東京極駅)が開設されると、その駅が村の中心地と誤解して当駅で乗り換えて向かう人が多くなった等、混乱をきたしていたため、昭和15年になって村名を京極村と改正した。市街地のはずれの、元讃岐丸亀藩主家京極子爵家の農場内に位置した。2001年(平成13年)時点では農協の貯蔵施設の敷地となっており、2010年(平成22年)時点でも同様であった。また2001年(平成13年)時点では当駅跡から倶知安方に行った所にトンネルの石積みの坑口がコンクリートで封鎖されながらも残存しており、2010年(平成22年)時点、2011年(平成23年)時点でも同様であった。このトンネルの名は「ガル川隧道」であった。

出典:wikipedia

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