メイショウホムラは日本の競走馬・種牡馬。1993年にJRA賞最優秀ダートホースを受賞。おもな勝ち鞍はフェブラリーハンデキャップ。馬名は冠名の「メイショウ」に「炎」の古語読みである「ほむら」。※馬齢は、当時の旧表記(数え年)とする。1990年11月、京都競馬場の新馬戦でデビュー。ダートの1400メートル戦で、2着に大差をつけての圧勝で初戦を飾った。続く格上挑戦の京都3歳ステークスを3着として阪神3歳ステークスに挑んだ。重賞実績の無い1勝馬ながら4番人気に推されるも、直線で伸びを欠きイブキマイカグラの7着に終わった。レース後に骨折を負い、長期休養を余儀なくされた。復帰戦となったのは、1991年11月のダートの500万下条件戦。2着に7馬身差をつけ久々の勝利を挙げた。翌1992年は、自己条件で着実に実力をつけていき、11月の花園ステークス(1500万下)に勝利し、オープン入りを果たした。年が明けて1993年初戦の平安ステークス (オープン) は、昇級初戦とあって7着と敗れたものの、続くフェブラリーハンデキャップでは好位から直線で抜け出すと、あとは他馬を寄せ付けず、2着に2馬身半差をつけて優勝。7番人気の低評価を覆し、重賞初制覇を果たした。当時は中央のダート重賞が3競走のみで、地方との交流競走も未整備だったため、活躍の場は限られていたが、ダートではオープン特別を4連勝するなど遅咲きの素質が完全に開花した。しかし、この年最終戦となった根岸ステークスで6着に敗れると、脚部不安で再び長期休養に入ることとなる。翌1994年10月に復帰したが、2戦して共に最下位という惨敗を喫し、1995年に競走馬登録抹消となった。引退後は、重賞を1勝したのみという競走実績ながら馬主の厚意もあって、日高町の日西牧場で種牡馬となる。種付け頭数には恵まれていないが、数少ない産駒の中からメイショウバトラーが小倉大賞典などの重賞を制するという活躍を見せた。2010年に種牡馬を引退し、日西牧場で功労馬として余生を送っていたが、2013年4月1日、同牧場で死亡。
出典:wikipedia
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