


西興部駅(にしおこっぺえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡西興部村字西興部にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)名寄本線の駅(廃駅)である。電報略号はコツ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。1986年(昭和61年)まで運行されていた急行「紋別」の停車駅であった。廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の南側(遠軽方面に向かって右手側)に存在した。そのほか1983年(昭和58年)時点では、名寄方から分岐し駅舎西側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。かつては単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する列車交換可能な交換駅であった。1983年(昭和58年)時点では、使われなくなった島式ホーム側の線路は交換設備運用廃止後も旧本線、副本線共に側線として残っていた。転轍機は遠軽方、名寄方の両方向とも維持されていた。また副本線の遠軽方から分岐した行き止まりの側線を1線有していた。無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の南側に位置しホーム中央部分に接していた。当駅の所在する地名(村名)より。地名は、興部の西に位置するため、「西」を冠する。旧駅名の瀬戸牛(せとうし)は、アイヌ語の「セツ・ウシ・ナイ」(鳥の巣の多い沢)に由来する。当線が延伸していた頃この地域は興部村に属し、七重(ななえ)と呼ばれていた。このため当駅名も当初は「七重」とする話があったが、既に函館方面に七飯駅があったため混乱するとの理由で、地域内の局所的な地名であった「瀬戸牛」を採用して駅名とした。このため七重は瀬戸牛を名乗るようになった。大正14年1月にこの瀬戸牛を中心地として興部村から分村した際に村名を西興部村としたが、当駅周辺の字名は瀬戸牛のままであったため駅名との乖離はなかった。ところが昭和20年頃の市街地改名で字名も西興部となったため問題となり、幾度か改名運動を行なったが、実を結んだのは16年後の昭和36年であった。2000年(平成12年)時点では駅跡地に町が経営するリゾートホテルが建設され、線路跡地に沿って行政施設が並んでいた。2010年(平成22年)時点では複合施設として美術館などもあり、2011年(平成23年)時点では診療所や保育所などもあった。駅舎が建っていた場所は道路になっている。また、2000年(平成12年)時点では駅跡の名寄方に、興部川の支流瀬戸牛川に架かっていた「瀬戸牛川橋梁」の鉄骨ガーダー橋が残存していた。2010年(平成22年)時点、2011年(平成23年)時点も同様で、国道横に確認出来、レールは撤去されたが金網や枕木は残存していた。遠軽方には興部川の支流に架かっていた橋梁の橋台が2000年(平成12年)時点、及び2010年(平成22年)時点には幾つか残存していた。2011年(平成23年)時点では橋梁の存在は確認出来なかった。
出典:wikipedia
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