零式小型水上偵察機と通称されることもある零式小型水上機(れいしきこがたすいじょうき)は、十二試潜水艦用偵察機として空技廠が開発し、1940年(昭和15年)12月日本海軍により兵器採用された、潜水艦搭載用の水上機である。略符号はE14Y1。連合国コード名は“Glen”(グレン)。第二次世界大戦中においてアメリカ本土空襲を実行した唯一の機体として有名である。乗員たちからは「金魚」と呼ばれた。昭和15年12月兵器採用時の名称は内令兵により「零式一号小型飛行機一型」と定められた。昭和17年の海軍機の名称付与体系変更に従い昭和17年内令兵第25号により「零式小型水上機一一型」と改称された。1937年(昭和12年)に、それまで使用されていた九六式小型水上機の後継機として空技廠で開発が始められたのが十二試潜水艦用偵察機で、1938年(昭和13年)に初飛行した。機体は木金混製の骨組に羽布張で、金属製の双フロートを持つ単葉機だった。潜水艦の格納庫への格納に配慮し垂直尾翼の高さは低く押さえられ、又主翼の折りたたみやフロート・支柱類の結合が容易になるよう様々な工夫がなされていた。このため、組み立て開始から発進までの時間は10分強であった。試作機では重量過大のために航続力が低下したうえ安定性が悪かったため改良が続けられ、1940年(昭和15年)12月に兵器採用された。生産は九州飛行機で行なわれ、試作機(垂直安定板が胴体上面のみのタイプ)を含めて全部で138機生産された。零式小型水上機は、巡潜甲型に搭載されて要地偵察を実施することを運用目的として開発されたが、続いて建造された巡潜乙型にも搭載された。、南方や千島方面の偵察に活躍し、後述する様にアメリカ本土に空襲を加えている。伊10の搭載機が1944年(昭和19年)6月12日に実施したメジュロ泊地の偵察作戦が、本機が運用された最後の記録である。これ以降は潜水艦の活動範囲が狭められたこともあって、本機が活躍する場はほとんどなくなった。また母艦たる潜水艦ごと撃沈された機体も多く、終戦時の残存機は17機とされる。1942年(昭和17年)9月に伊25の搭載機が2回にわたってオレゴン州の森林に焼夷弾を投下し火災を発生させた。これは、大戦中のみならず現在にいたるまで軍用機がアメリカ本土の攻撃に成功した唯一の事例となっている。被害は殆どなかったものの、アメリカ政府に与えた心理的な影響は大きいものがあった。
出典:wikipedia
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