コンサートボーイ ("Concert Boy") とは公営ホッカイドウ競馬・川崎競馬場・大井競馬場に所属していた日本の競走馬である。1994年7月、旭川競馬場で2着馬に1秒8もの大差をつける圧勝でデビュー。その後6戦3勝という成績を残して川崎・鈴木敏一厩舎に移籍した。翌1995年の南関東クラシック戦線ではヒカリルーファス(浦和)・ジョージタイセイ(大井)と三つ巴の争いを展開するが、羽田盃ではヒカリルーファスの2着、東京ダービーではジョージタイセイの2着に敗れる。その後コンサートボーイは大井・栗田繁厩舎へ移籍して南関東クラシック最後のタイトルである東京王冠賞の獲得を狙ったが、伏兵ツキフクオーにゴール寸前で差されクビ差の2着となり、「南関東クラシック3冠全て2着」という不名誉な記録を作ることとなった。1996年には石崎隆之に乗り替わって報知グランプリカップ・金盃・マイルグランプリと重賞を3連勝して実力を見せつけたものの、その年の帝王賞でホクトベガの前にブービー負けを喫して以降は勝ち星から見放され、「善戦はするものの未勝利」という時期が続いた。1997年のマイルグランプリでは内田博幸の騎乗で1年ぶりの勝ち星を挙げて復活を果たしたが、帝王賞の枠順発表前日に内田が落馬事故を起こして騎乗停止処分を受け、急遽的場文男の騎乗で帝王賞に臨むことになった。的場は追い込み脚質だったコンサートボーイを一転して先行させる積極策でアブクマポーロの追撃を振り切り、この年から導入された統一グレードGIレースの初代王者となった。その後は故障がちとなって順調さを欠いたものの、この年のグランドチャンピオン2000でアブクマポーロの2着に入り、アマゾンオペラ(同レースに出走し6着)を抜いて、当時の地方競馬獲得賞金ランキングの歴代1位(4億2575万円)に立った。勝ち星としては、1998年の東京記念でサプライズパワーとのマッチレースを制したのが最後となった。2000年1月10日の東京シティ盃で8着したのを最後に引退。大井競馬所属時代に獲得した収得賞金は4億4120万円で、これは大井競馬史上歴代1位である。コンサートボーイの偉業を称え、大井競馬場では引退式が行なわれた。引退後はトヨサトスタリオンセンターで種牡馬となった。2年目には早くも種付け頭数が1頭になるなど人気は出ず、地方重賞勝ち馬を1頭出すにとどまっている。その後木田トレーニングセンターに移動。2010年に種牡馬を引退し、日高町の船橋牧場で功労馬として余生を送っている。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。