風巻 景次郎(かざまき けいじろう、1902年〈明治35年〉5月22日 - 1960年〈昭和35年〉1月4日)は、日本の国文学者。兵庫県に平田家の子として生まれ、生後すぐ京都の風巻家養子となる。第八高等学校を経て1926年東京帝国大学国文科卒業後、1927年大阪府女子専門学校(のちの大阪府立大学)教授、1932年長野県女子専門学校(のちの長野県短期大学)教授、1935年上京し日本体育会体操学校(のちの日本体育大学)教授、1938年東京音楽学校(のちの東京芸術大学音楽学部)教授、1942年文部省勤務、1944年清水高等商船学校(のちの東京海洋大学海洋工学部)教授、北京輔仁大学に赴任、敗戦によってこれを辞し、1946年帰国、法政大学などの講師を務めたのち、1947年北海道大学教授、1957年附属図書館長、1958年関西大学教授。明治期の正岡子規以来、『万葉集』を高く評価し、『古今和歌集』『新古今和歌集』を低く見る風潮に抵抗し、鎌倉幕府の下で逼塞していたとされる中世の宮廷に、平安朝以来の和歌を中心とする文学伝統があることを説いた『中世の文学伝統』が主著で、昭和初年、風巻による中世文芸の見直しにより、文壇にも谷崎潤一郎の「吉野葛」のような中世ものが流行をみた。保田與重郎『後鳥羽院』などもあり、南朝を吉野朝と呼ぶ南朝正統論と相まって、昭和戦前の文化全体に与えた影響は大きい。古今、新古今の見直しは、戦後、大岡信、梅原猛、菱川善夫らによって引き継がれている。また、数校の北海道の公立高等学校の校歌の作詞も手がけたことでも知られている。『風巻景次郎全集』全10巻(桜楓社、1969-71年)がある。埴谷雄高の吉祥寺の家の近所の親しい人の姪が春子夫人であったのが縁で親交があった。小学校中学校高校
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