野沢 雅子(のざわ まさこ、1936年10月25日 - )は、日本の声優、女優、歌手、ナレーター。本名:塚田 雅子(つかだ まさこ、旧姓:野沢)。所属事務所は青二プロダクション。劇団ムーンライト主宰。東京都日暮里出身。身長157cm血液型はO型。役者仲間からの愛称はマコさん。夫は同じく声優の塚田正昭。声優としての代表作に『ゲゲゲの鬼太郎』(鬼太郎)、『いなかっぺ大将』(風 大左衛門)、『ど根性ガエル』(ひろし)、『銀河鉄道999』(星野鉄郎)、『ドラゴンボール』シリーズ(孫悟空)など。声優業の創生期から活躍しており、青二プロダクション創設メンバーの一人でもある。現在は劇団ムーンライトの主宰・演出も手がけている。父は画家の野沢蓼洲(のさわりょうしゅう)。叔母は松竹の女優である佐々木清野。3歳のとき、子役として映画デビュー。父が尾瀬を描いた作品で日展に入選、その縁で群馬県に移り住み小学3年生から高校卒業までを過ごす。中学のときに劇団に入り、学校が休みになると東京で女優の仕事を行うという日々を送る。高校は群馬県立沼田女子高等学校に在学。高校生時代は、バスケットボール、陸上競技、ソフトボールなどのスポーツに励む生徒だったという。高校卒業後、上京し本格的に芝居に打ち込むようになる。また、劇団の経営を支えるため、10代の終わり頃には声優業も始める。ただし、当時は声の吹き替えも生放送だったため、正確な声優業デビュー作品は本人も覚えておらず不明である。アニメデビュー作は、『鉄腕アトム (アニメ第1作)』のゲスト出演。初主演作は『ゲゲゲの鬼太郎(第1作)』(鬼太郎役)となる。1969年の設立当初から青二プロダクションに所属していたが、その後ぷろだくしょんバオバブを経て、81プロデュースに移籍。長きにわたって在籍したが、2006年4月1日に「オフィス野沢」を設立し、独立した。この際、すでに声優業を引退していたが、現役時代には野沢との共演も多かった吉田理保子がマネージャーを担当していた。2012年4月30日にオフィス野沢を廃業、同年4月1日より再び青二プロダクション所属となる。2013年、第7回声優アワード「功労賞」を受賞。2014年、東久邇宮文化褒賞を受賞。新人時代、当時のアフレコ環境はまだ録音機材が充実しておらず、収録中のNGは全て最初からの録り直しとなった。そのため、NGを出すと「(申し訳なさで)気を失いそうになった」と回想しており、簡単にNGを出す最近の若手声優に対し「緊張感が足りない」と苦言を呈している。この状況について、同じくテレビ草創期から活躍し「『NG大賞』なんて、当時の感覚からしたら信じられない」という黒柳徹子と『徹子の部屋』出演時に語りあった。専業声優確立以前から活動しているベテランの中では数少ない声優をプロと考えている人物であり、「声優」と呼ばれることには抵抗がなく、むしろ誇りに思っていると語っている。一方で「声優以前に俳優である」という考えは他のベテラン達と同様で、デビュー間もない頃は「声優」と呼ばれることを嫌い、インタビューのたびに「舞台女優です」と訂正を求めていた。「キャラクターのイメージを壊す」という理由で、テレビの顔出し出演を拒む声優が多い中、アニメ関連に限らず、バラエティ番組などにも本人登場で出演することが多い。生放送の『笑っていいとも!』にも登場し、キャラクターの声を披露している。アニマックスで放送されたトーク番組『創ったヒト』では第一回目放送のメインゲストとして、司会進行のケンドーコバヤシと、過去の出演作品についてトークを繰り広げた。もらい火で自宅が半焼した際には「仕事に穴をあけるわけにはいかない」と、近所から服を借りてスタジオに行き、火事のことはスタッフ・共演者の誰にも告げずにアフレコに臨んだ。また、草尾毅は「体調が悪くても、一言も弱音を口にしない方」と語っている。関智一に演技指導していた時期に、生徒の間で話題になっていた「関の悟空の物真似」を芝居の一環として真剣に見聞し、評価と分析を行ったことがある。関はそのエピソードについて「生徒の遊び心にも真摯に対応してくれた」として語っている。長年「一番印象的な役は?」という質問には、一貫して「どれを選ぶということはできない」と答えていたが、2005年のインタビューでは『ドラゴンボール』シリーズの孫悟空、悟飯、悟天、『ゲゲゲの鬼太郎』(1期-2期、墓場鬼太郎)の鬼太郎、『銀河鉄道999』の星野鉄郎の3役だけは欠かせないと語った。この3作はすべて原作者によって選ばれた役である。洋画を生アフレコでテレビ放送することになったが、時間的に子役を使えず、解決策として「女性の声帯が子供に近いのではないか」という番組プロデューサーの意見で、オーディションが行われた結果、野沢が選ばれた。以降、少年キャラの吹き込み、吹き替えは女性が担当する風潮が定着し、少年役の依頼が多くなった(後に出てきた神谷明が『荒野の少年イサム』『バビル2世』と2度も主役の少年役を務め、今でも神谷とはこの話になると苦笑し話題が絶えないという)。『ドラゴンボールZ』では孫ファミリー3役をはじめ劇場版・TVスペシャルを含めると計6役を、後にOVA『戦ー少女イクセリオン』においても1人4役を演じており、役により声の抑揚、高低、強弱などを全て使い分けている。少年役以外では『ONE PIECE』のDr.くれは、『愛少女ポリアンナ物語』のパレー、『ぜんまいざむらい』のだんごやおばば、『ふたりはプリキュア』の雪城さなえなど、中年女性や老婆役を演じることが多い。洋画吹き替えでは、『普通の人々』のメアリー・タイラー・ムーアや『ミッシング』のシシー・スペイセクなど母親役や中性的な雰囲気の女性を担当している。野沢が思い入れ深い映画はフェイ・ダナウェイを吹き替えた『ネットワーク』であり、息遣いが自分と全く一緒でとてもやりやすかったという。また、ベッドシーンも嫌らしくなく演じており、本当に素敵な芝居をする女優だと評していた。インタビューなどで「お姫様の役をやってみたい」と度々発言している(『コサキンでワァオ』より)が、吹き替え・アニメを通し、『オズの魔法使い』のオズマ姫が、主要キャラクターでは唯一のお姫様役である。しかし、オズマ姫は少年の姿で登場し、最後に元の少女の姿に戻るという役どころであり、実質的には少年役とも言える。数少ない少女役として、他には、人形劇『ざわざわ森のがんこちゃん』では、ケロちゃんというカエルの女の子を、『アタックNo.1』では、卑怯で気が強い女子高生、飛垣を演じた。また飛垣の他にもサブキャラクターで女子高生役を演じている。また、ラジオ番組『野沢雅子がよむこどもの詩 きのう・きょう・ずーっとあした』では少年役のほか、少女役も演じている。作品は5度のアニメ化をはじめ、何度も音声・映像化されているが、テレビまんが版を含めて、初めて鬼太郎の声を担当した人物であり、また、野沢にとっては初めての主役であった。放映当時、原作者の水木しげるの趣味の「墓場の散歩」に触れ、「私もお墓を散歩するのが好きなんです」とコメントしている。なお、2008年現在では、シリーズ中、最も多く鬼太郎を演じている。後に出演した『オールナイトニッポン』でも非常に思い入れの深い役として、時には鬼太郎になりきりながら軽快に語っていた。『ゲゲゲの鬼太郎』第三期以降においては、キャストが一新され、鬼太郎役は第三期では戸田恵子、第四期では松岡洋子、第五期では高山みなみが担当した。キャスト変更を当初はがっかりしたが、その後『ドラゴンボール』で孫悟空役に決定した際、当時は、同じ局系列で2作品の主役はできないという不文律があり、この件がなければ孫悟空を演じることができなかったため、「今思うと凄くツイていた」と振り返っている。新作の『鬼太郎』が放映されると、必ず第一話を見るという。当時、戸田恵子は大先輩の役を引き継ぐということでプレッシャーを感じていたといい、40周年映画で歴代のキャストが勢揃いした際は「野沢さんが来るからオファーを受けた」と冗談めかして語っている。2007年8月にNHKにて放送された『鬼太郎が見た玉砕 〜水木しげるの戦争〜』では、短いシーンの登場であるが数年ぶりに鬼太郎の声を演じ、2008年放送の『墓場鬼太郎』で再び主役を担当した。この際、デザインも性格も以前のものと違う貸本時代の不気味な鬼太郎を見て、怖いもの好きなことから、「可愛い」と思ったという。本来の鬼太郎に関しては「正義感が強く、普通の可愛い男の子」と考えているという。アニメ化の際、キャストのオーディション選考で居合わせていた原作者の松本零士が野沢の声を聞いて「この声だ」と、星野鉄郎役に決定した。ある時、収録の時に「メーテル〜!」と叫んだ際に、かなりマイクから離れてたにも関わらずそのマイクを壊してしまったことがある。あるときメーテル役の池田昌子の機嫌が悪く、理由を尋ねたら「(野沢が)他の女性と仲良く話していたため。」と言われたことがあった。同様に野沢もいつの間にか、池田が男性と仲良くしゃべっているのを見ると不愉快になるほど、お互い、役にシンクロしていったといい(『徹子の部屋』のゲスト出演時およびNHK BS2『週刊お宝TV』スペシャルでの宇宙特集で『銀河鉄道999』が取り上げられた際のインタビューにて)、その後も顔をあわせると、つい「鉄郎」「メーテル」と互いを呼び合ってしまうとのことである。アニメ化の際、メインキャラクターのキャスティングはほとんどが指名だったため、オーディションで決まったのは野沢とブルマ役の鶴ひろみだけだった。選考は役者の名前シールを外したテープを聞いて行われ、当時、声優に詳しくなかった原作者・鳥山明が野沢の演技を聞いて「悟空だ」と感じたことで決まったという。後日、鳥山は野沢の著書で「あんなに大活躍している方だとは思わなかった」と述べており、他にも「執筆中、悟空が野沢さんの声でしゃべってくる」「悟空の声は、今では野沢さん以外には考えられない」と語っている。鳥山に選ばれたことを知った野沢は、作品の世界を描いている原作者に認められたことがとても嬉しく、悟空役は「宝物だ」と思ったという。それから25年以上経て、映画『ドラゴンボールZ 神と神』のときに野沢は初めて鳥山本人に確認する。鳥山は「すぐに決めた」と言い、次に「ギャラ高いでしょ」と聞かれる。鳥山は、野沢に決めた後も制作陣から他の声優を何人も薦められていたのだという。その話は初耳だったと野沢は語っている。なお、野沢は『Dr.スランプ』の絵を見たときから「可愛い絵を書く漫画家さんだなぁ」と鳥山作品を好きになり、『ドラゴンボール』のオーディションで悟空を見たときは「かわいい、絶対やりたい」と臨んだという。その時点での役柄になりきるため、事前に原作を読まずにアフレコに挑んでいた。スタジオにいるスタッフや共演者が、原作の先の展開を話そうとすると「野沢さんは読んでいないから」と止めが入っていたという。また出演者には、野沢に同調する形で、原作を読まずにアフレコに挑むメンバーも多かった。悟空達の代表的な必殺技かめはめ波を放つシーンの収録では、野沢自身もポーズを取りながらの演技で「スカートだと足が開けなくて気合が入れられない」ため、いつもパンツスタイルで臨んでいるとのことである。フランスでも同作が大ヒットし、現地テレビ局にゲストで招かれ、フランス版の声優と共演する企画があった。その際、コンマ秒単位でセリフを合わせるアフレコ技術を披露した。また、復活の「F」のアメリカプレミアの際、着ぐるみの孫悟空と北米版の孫悟空役の声優であるショーン・シュメルと3人でかめはめ波のポーズを披露した。さらに、2014年11月28日放送の「めざましテレビ」にゲスト出演した際、視聴者に向かって「10倍界王拳だー!」と叫んだり、「めざましテレビを見ているみんな、おはよう!」と挨拶していた。更に野沢は、「声が出せる限りうんと長生きして、100歳位まで生きて、ギネスブックに載れたらなぁ」とも語っていた。同シリーズで次回予告の前フリである「オッス、オラ悟空!」というセリフは、野沢のアドリブによるものである。『【男性編】永遠の美声!! 声優が代わってほしくないキャラランキング』で一位に選ばれた。野沢の姪が、友達に「伯母が悟空の声を担当している」と言ったところ、なかなか信じてもらえず、野沢に電話を掛け「友達に悟空の声で自己紹介をして欲しい」と頼み込んできた。普段、仕事以外で悟空の台詞をしゃべることは断っていたが、姪の頼みとあって承諾し、電話に出た友達に「オッス! オラ悟空! よろしくな」と言った。しかし、野沢にアニメのキャラクターの台詞を頼むのは親戚内ではご法度であり、姪はこれを知って激怒した母親にひどく叱られたため、以後は同様の出来事はなかったという。講談社発行の『トリビアの泉?へぇの本?』第VIII巻のトリビアNo.459にこのエピソードについての詳細が書かれている。林原めぐみの著書『明日があるさ?SWEET TIME EXPRESS』によると、『ドラゴンボール』放映時、作品の大ファンだった甥の偏食を見かねた林原は、野沢に頼んで孫親子3人から甥へ「野菜を食べて強くなろう」と語りかけるメッセージテープを作成したが、甥は「ヤダ!」と拒否し、林原は「あんたは悟天君が言っても食べないの!?」と叱ったという。あるとき、白血病にかかった少年の親から「『ドラゴンボール』ファンの息子が、医者から余命1ヶ月と宣告されている。どうか力を貸してほしい」との手紙が来た。そこで、鶴ひろみ、古谷徹、田中真弓など、共演者にも呼びかけ、「次の映画を絶対見に来い」「待ってる」などキャラクターの声で励ましのメッセージテープを送った。少年は宣告より半年後、映画を観賞したあと他界したという。また、共演者だった内海賢二の逝去の際、孫悟空の口調で「オッス、オラ悟空。おめぇ、どうしたんだよ。神龍だろ?こっちの世界に来いよ。頼むぜ、みんなを見守ってくれよな。」と涙ながらに語りかけた。「神と神」の会見では、共演した中川翔子に孫悟空の口調で食事に誘ったり、SMAP×SMAPの「ワンピース王決定戦」に出題者として出演した際、孫悟空の口調で「オッス!オラ野沢雅子だ!」と自己紹介していた。悟空の息子の悟飯も演じることを『ドラゴンボールZ』1話のアフレコ収録当日に知らされ、更には悟天までとは全く考えてもいなかったため非常に驚いたという。スタッフは「悟空の息子だから野沢さんで」と、決めたとのこと。「三人は一見似ているようだけど育った環境が違うので、そんなに大変ではないし、絵を見るとすっと役に入れる。悟空と悟天はやや似ている部分があるが、悟天には親がいることで違いを出している。」とのことである。また成長した悟空に関しては「生々しいおとなの男性じゃなくて、世間のことを知らない年齢不詳の感じでやっています」とのこと。一人が複数のキャラクターを演じる場合、2人目は別録りするのが常だが、台詞が重複する場面以外は、瞬時に切り替えながら通したという。尚、一度も代役は入れずに、3人を演じきれたことを誇りだと語っている。思い入れが一番強いのは悟空で、特に尻尾が生えているときが好きであり、悟飯・悟天は「悟空の血を継いでいて可愛らしい」と話している。劇場版『ドラゴンボールZ 地球まるごと超決戦』では、悟空、悟飯、ターレスの一人三役を演じた。同作で脚本を担当した小山高生は、故意に野沢を困らせてやろうと、三人の会話を増やしたが、まったく動じることない演技に驚いたと述べている。共演者からも「凄かった」「見どころ」と評され、野沢も「役者として最高に幸せです」と述べている。2人の声優が同時に声を発する合体キャラクターを演じたときも、同時収録だった。ゴテンクスでは草尾毅、ベジットとゴジータでは堀川りょうがそれぞれ画面を見てしゃべり、野沢が相手の口に合わせてしゃべっていた。本人いわく「そういうのは得意」であり、2014年に収録されたアートネイチャーのCMでもフリーザ役の中尾隆聖と同時発声で演じた。野沢自身が印象に残っているシーンは『ドラゴンボール』1作目のアニメオリジナルシーンにて、悟空がスノの家でトイレに行ったとき、レッドリボン軍にドア越しに銃で撃たれ「いててて!」と言って出てくる場面を挙げている。悟飯のエピソードで好きな話は、アニメオリジナルストーリーである、悟飯とロボットの交流を描いた『ドラゴンボールZ』の9話「ゴメンねロボットさん 砂漠に消えた涙」だという。キャストが野沢と、ロボット役の塩屋浩三の2人のみという回は初で、制作サイドでは反対意見も出たが、視聴者からは「感動した」という手紙が多く来たという。塩屋も印象に残っている話として同じく『ドラゴンボールZ』9話を挙げている。悟空以外で好きなキャラクターはピッコロとのことである。ピッコロについては、「最初は大魔王と違い、すごく憎たらしくてキザで、なんて嫌な奴だと思っていたが、段々といい人になっていた」と語っている。幼い悟飯をピッコロが指導しているときに、ピッコロ役の古川登志夫に「いい加減にしてくれない!? 子ども相手に」と怒り、古川を困らせてしまった。また、初代チチ役の荘真由美が出産と育児休業で降板を余儀なくされたときは残念がっていったが、プーアル役で世界観を熟知していた渡辺菜生子が、代役から後任につながったことで安堵したといわれている。一方、嫌いなキャラクターは、悪役に徹した初代ピッコロ大魔王およびフリーザだと語っている。また、ベジータが幼い悟飯を痛めつけた場面では「子供になんてことするんだ!」と、本気で腹を立てたという。フリーザとセルについては「大人になりきれない部分が残っていて、憎らしいけどカワイイみたいなところがある」とも語っている。『ドラえもん』(日本テレビ版)では降板した富田耕生に代わり主人公ドラえもんの声優を務めたが、2013年3月放送『1億人の大質問!?笑ってコラえて!』のインタビューでは同作を白黒作品だったと勘違いしている。同番組ではアニメ好きの外国人と中川翔子の前で「ぼくドラえもん」とドラえもんの声を演じた。『あらいぐまラスカル』では、どうしてもラスカルを演じたいとオーディションに参加。役に決まりアライグマをよく理解するため、時間を見つけては上野動物園に行き観察した。10日間ほど通いつめたが、鳴き声を聞くことはできなかったが、直後約に、当時放映していたテレビドキュメンタリー番組『野生の王国』で、偶然にもアライグマが登場して鳴き声を知り、それを参考にしたことを、GyaO『溜池Now』での野沢雅子特集の際に語っている。また、ラスカルの収録は他の声優陣と別録りだったが、鳴き声を演じる上で他の人の演技を確認するために、初めから収録風景を確認していた(他の声優陣と同じ時刻に集合していた)。『いなかっぺ大将』の風大左衛門の声をノイローゼだったゴリラに聞かせ、治したことがある。また、私生活において当時劇団のあった高田馬場までの切符を買う際に「高田の馬場だス」と大左衛門の口調で喋ってしまったり、子供の学校のPTAで他の子の親と会話している時に途中で喋り方に気をつけたにも関わらず「そうだス」と言ってしまい、悩んだ末に田舎言葉を混ぜることで地方出身だと思い込ませようとしたなど、『いなかっぺ大将』では役が抜けずに苦労したそうである。『デジタルモンスター』の映像作品で、デュークモンの声を全作品で担当している。「歌は苦手」とのことだが、主演作の『怪物くん』や『ビリ犬』、『はたらキッズ マイハム組』では主題歌を担当しており、『ドラゴンボール』『デジモンテイマーズ』でもキャラクターソングを歌っている。私生活ではかなりおっちょこちょいとのこと。『徹子の部屋』出演時には、内線電話と間違えて館内放送のマイクに向かって話してしまった話、リモコンから送信される赤外線を身体に有害なレーザー光線と勘違いしていた話などを披露した。『週刊TVガイド』1969年4月4日号でのインタビューで、当時幼稚園児だった娘に対しての子育てについて「ものの良し悪しは自分で覚えるものと思うので、自分は干渉せず、何事も自分でやらせようという方針」と語り、“アンチ教育ママ”を自称していた。独身時代に劇団仲間と車で移動中にバイク事故を目撃する。全員が「あのバイクに乗っていた人は死んだ」と思うほどの激しい事故だったが、その当該者が後に夫になる塚田正昭だった。迷惑電話がかかってきたときは、子供の声で「パパ、ママ今いないから分かんない」や、家政婦のふりをして「今、誰もいねぇからわかんねぇんだ」と言うとあきらめてくれると言う(2008年3月27日ゲスト出演した『うたばん』より)。映画『ONE PIECE』の主題歌『またね featuring ルフィ、ナミ、ゾロ、ウソップ、サンジ、チョッパー、ロビン、フランキー、ヒルルク、くれは』でくれはの声で出演したためゲスト参加している。その曲のオリコンチャート最高位が8位だったため、71歳4ヶ月としてオリコンチャート10位以内の女性最年長記録(当時)であった。著作で「可愛い後輩」の1人として戸田恵子の名前を挙げている。井上和彦は後輩でありながら、野沢に車で送り迎えをされていたことを雑誌の対談で述べている。気配り上手で気さくな人柄に対し、鶴ひろみは「本当に可愛い人なんです」と語っている。養成所時代に野沢から指導を受けた三石琴乃は「役者としても女性としても尊敬している」と発言している。神谷浩史は、まだレギュラー役を持っていない新人時代、アシスタントを務めていたラジオ番組に松本零士を伴いゲスト出演してくれた等、現在でも野沢の気配りや親切に恩義を感じている。『ドラゴンボール』シリーズの収録現場は、キャスト陣やスタッフの雰囲気が非常になごやかで和気藹々としていたことが、多くの人物から語られている。このことに対しベジータ役の堀川りょうは「主演の野沢さんが新人や中堅たちに目を配り、雰囲気作りに努めていたことも要因ではないか」と語っている。また少年期に『ゲゲゲの鬼太郎』など野沢が出演していた作品を多数見ていたといい、「業界で最も尊敬している人物の一人」であるとも発言している。少年トランクスを演じた草尾毅は子供役に不安を感じていたが、大人の悟空から子供の悟天を演じる野沢の演技を見て勉強になったという。また、ゴテンクスで野沢と声を合わせたことは「何ものにも代えがたい価値があった」と語っている。野沢は草尾のことを「親子ほどの年齢差だけど、弟のように可愛い」と発言している。野沢と同じく親子二役を演じることになった皆口裕子は、野沢の三役を見て気合を入れていたという。メルセデス・ベンツのEクラスを20年近く乗り継いでるが、切っ掛けは矢尾一樹に「まこさんは僕らの大切な人だから、丈夫な車に乗らないといけないよ」と言われたことである。仲の良い声優仲間としては、田の中勇、池田昌子、永井一郎、肝付兼太、富山敬、内海賢二・野村道子夫妻、鶴ひろみ、八奈見乗児、神谷明、古谷徹、吉田理保子らの名が挙げられている(著書『ボクは、声優』より)。※太字は主役・メインキャラクター。1963年1965年1966年1967年1968年1969年1970年1971年1972年1973年1974年1975年1976年1977年1978年1979年1980年1981年1982年1983年1984年1985年1986年1987年1988年1989年1990年1991年1992年1993年1994年1995年1996年1997年1998年1999年2000年2001年2002年2003年2004年2005年2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年2014年2015年2016年1985年1990年1992年1993年1994年1995年2001年2003年2007年2010年2011年2014年1967年1969年1970年1972年1978年1979年1980年1981年1982年1983年1984年1986年1987年1988年1989年1990年1991年1992年1993年1994年1995年1996年1997年1998年1999年2000年2001年2002年2005年2006年2007年2008年2010年2012年2013年2014年2015年1967年1977年1984年1993年1994年1995年1996年1997年1998年1999年2000年2001年2002年2003年2004年2005年2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年2014年2015年
出典:wikipedia
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