中村 昇(なかむら のぼる、1967年1月10日 - )は元オウム真理教幹部。山口県出身。ホーリーネームはウパーリで、教団内でのステージは師長だったが、地下鉄サリン事件3日前の尊師通達で正悟師に昇格した。教団が省庁制を採用した後は法皇内庁幹部だった。岐阜県内の定時制高等学校を卒業し、神奈川大学に進学するが中退してオウム神仙の会に入信する。新実智光や杉本繁郎と同様、出家制度設立直後に出家。1989年ごろには林郁夫とその家族の入信の世話をした。教団の出版物には「対人恐怖症で修行を始める前は人とまったく話が出来ない状態だった」と紹介されている。1994年6月27日に発生した松本サリン事件ではサリン噴霧の際に実行現場の警備役を担当した。1995年7月9日、逃走先の埼玉県大宮市(現さいたま市)のウィークリーマンションで端本悟とともに埼玉県警察に逮捕された。サリンプラント建設事件、松本サリン事件、オウム真理教男性現役信者リンチ殺人事件、公証人役場事務長逮捕監禁致死事件の4事件で殺人や逮捕監禁致死などの罪に問われて、起訴された。裁判では検察側は死刑を求刑したが、2001年5月30日の第一審と2003年9月25日の控訴審で無期懲役判決が下された。高裁判決では「極刑と境界を接する無期懲役刑、言い換えれば終身刑、もしくは終身刑に近い無期懲役刑が相当」となっており、裁判所が「終身刑」に言及した判決として注目された。量刑不当などを理由に被告側が上告するも最高裁に棄却され、2006年9月4日に無期懲役が確定した。オウム真理教事件で、死刑を求刑されながら死刑を免れた唯一の人物である(一審段階では井上嘉浩が死刑求刑に対し無期懲役判決を言い渡された例があるが、井上は控訴審・上告審で死刑判決を受けた)。
出典:wikipedia
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