ファランヘ党(、)は、1930年代以降の複数の政治運動や政党の名称で、最も有名なのはスペインのファシスト政党である。「ファランヘ」()とは古代の陣形ファランクス (phalanx) のことで、団結の象徴である(フーリエの「ファランジュ」とも同源)。ファランヘ党の思想や運動はファランジズム(Falangism)とも呼ばれる。1933年に誕生して現在まで続く政党を「旧ファランヘ党」、1937年にフランシスコ・フランコが王党派と合体させた政党を「新ファランヘ党」(国民運動)とも呼ぶ。スペインの「旧ファランヘ党」は、1933年にプリモ・デ・リベラの息子であるホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラによって創設された。翌年、国家サンディカリスム政党の「攻撃的国家サンディカリスト同盟」(Juntas de Ofensiva Nacional-Sindicalista、JONS)と合併し勢力を伸ばしたが、党員の大部分は21歳以下の学生だった。1936年に人民戦線政府によって党幹部が逮捕された。同年、5月にスペイン内戦が始まると反乱軍側に協力し、このためホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラは獄中で処刑された。1937年、フランシスコ・フランコは王党派とファランヘ党を合体させ、「新ファランヘ党」の党首に就任した。1939年の党大会でスペインで唯一の政党となることが決議され、1975年のフランコの死まで形式的には独裁制を支えたが、やがて政権はフランコの個人独裁政権へと移行し、旧ファランヘ党のメンバーは1950年代から政権から完全に外され、非主流派となった。スペインが民主化されると、主流派である新ファランヘは中道政党「民主中道連合」と保守政党「国民同盟」を結成した。非主流派である旧ファランヘは現在でも全国組織として活動し、ホセ・アントニオ・プリモ・デ・リベラの思想を信奉し、フランコは評価していない。ファランジズムは、当初は一定の側面でイタリアのファシズムに似ていた。それはボリシェヴィズムや他の形態の社会主義を嫌悪し、民主主義を軽蔑した。しかしファランヘの国家サンディカリスムは、統合主義やアクション・フランセーズの影響を受け、ファシストのコーポラティズムの理念とは大きく異なる政治理念であった。それは1931年3月14日にスペインで Ramiro Ledesma Ramos が、彼の定期刊行物の La Conquista del Estado でマニフェストを発行し、最初に策定された。国家サンディカリスムは、ナショナリズムと、修正サンディカリズムによる支配的な労働組合の the Confederación Nacional del Trabajo (CNT) のアナルコ・サンディカリスムの間の相違の橋渡しとなることを試みた。他方ではファランヘは、ファシズムから複数の要素を借用した統合主義の傾向を持ったカトリックを抱き込んだ。
出典:wikipedia
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