日高神社(ひたかじんじゃ)は、岩手県奥州市水沢区に鎮座する神社。旧社格は郷社。重要文化財の本殿や、日高火防祭りで知られる。名称には諸説あり、この地が古来より日高見国と呼ばれ、日高見国勢力の中心地であったことや、前九年の役の折に源頼義が祈祷したところ、雨が急に止み日が高く昇り、未の刻(午後2時ごろ)に安倍貞任を討ったことに因むとされる。妙見菩薩を祀る宮として「日高妙見」や「日高妙見神社」とも呼ばれている。天之御中主神、火産霊神、大年神、御年神、若年神、水波乃売神、大国主神、倉稲魂神の8柱を祀る。因みに天之御中主神は妙見菩薩と習合する事の多い神である。日高神社の創建は弘仁元年(810年)に第52代嵯峨天皇の勅命によりこの地に勧請した事が始まりとされる。この地の首魁であったアテルイが降服し、延暦21年(802年)に胆沢城が坂上田村麻呂によって造営されてから8年後の創建となり、日高見国の信仰を継承する形で中央政府の神々を祀る胆沢鎮守府の神社にされてきたと推測されている。征夷大将軍源頼義・義家父子が前九年と後三年両度の役で戦勝祈願に訪れたと伝えられており、伊沢氏(後の留守氏)を始めとする東北鎮護の国司、奥州藤原氏、伊達氏などから崇敬を受ける。嘉応2年(1170年)には藤原秀衡が再造させている。慶長年間(16世紀末)には伊達政宗が再興させ、社領の寄進と社殿の造営を行い、参拝の記録も残る。寛永9年(1632年)現社殿を初代水沢城主留守宗利(伊達宗利)が改築している。明治2年(1869年)胆沢県が置かれると、同4年には県の総社として郷社に列した(郷社の社格は昭和21年(1946年)の神社制度の改廃により消滅している)。例祭は4月22日。かつては陰暦正月22日に行われ、当日は防火を祈る火防祭(ひぶせまつり)が併せて行われたが、火防祭は現在4月28、29の両日に行われている。火防祭は水沢城主留守宗景が江戸在府中に明暦の大火を体験した事から帰国後に消防隊を組織し、日高神社の「日」を火に、境内社瑞山(みずやま)神社の「瑞(みず)」を水に通じるとして両社に火防の祈願をしたのが始まりといい、県無形民俗文化財の日高囃(ひたかばやし)という囃子を奏でながら囃子屋台が城下を練り歩く(詳しくは「日高火防祭り」参照)。本殿は三間社流造銅板葺(もと茅葺)。寛永9年(1632)の留守宗利による改築と伝え、蟇股や台輪、向拝の頭貫等に特色ある形式が見られるとともに岩手県下では江戸時代前期に遡る数少ない神社本殿であり、また独特の虹梁と蟇股等には室町時代の手法もうかがわれる事から、県下における神社建築の歴史を知る上でも貴重とされる。平成2年(1990年)に国の重要文化財に指定された。本殿には幣殿と拝殿が接続するが、これらは昭和24年(1949年)の造替。その他、昭和39年落成の神楽殿等がある。1,518坪(約5,000平米)の境内には寛文8年(1668年)5月初3日の紀年銘を有す石燈籠(市有形文化財)や、水沢城主の留守宗利(初代)、宗直(2代)父子の墓所(市史跡)、源義家が安倍貞任を討った太刀を洗った場所と伝わる「太刀洗川の碑」(別名、勝負川)、昭和49年9月に建立された留守宗利の銅像等がある。また姥杉(うばすぎ)と呼ばれる2本の杉が聳える。1本は前九年の役で安倍一族を征討した事を祝す宴が開かれた際に、源義家が使った杉の箸を地面に刺したものが根付いて巨木になったという伝説があり、そこから別名「義家杉」とも呼ばれる。樹高24メートル、目通り幹囲5.8メートル、推定樹齢は約550年以上(文化財指定当時)。昭和32年に市の天然記念物に指定され、もう1本も同47年に市の天然記念物に指定されている。重要文化財(国指定)岩手県指定文化財奥州市指定文化財
出典:wikipedia
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