ミゲル・ヘスス・カイロ(Miguel Jesús Cairo, 1974年5月4日 - )は、ベネズエラ・アンソアテギ州アナコ出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。本職は二塁手だが、一塁手、三塁手、遊撃手も守れる。左翼手と右翼手を守った経験もある。、ロサンゼルス・ドジャースに入団。その後、マイナー時代にシアトル・マリナーズ、トロント・ブルージェイズを渡り歩き、、ブルージェイズでメジャーデビュー。本格的にメジャーに定着し始めたのはタンパベイ・デビルレイズへ移籍してセカンドのレギュラーに定着したから。その後、ヤンキースやニューヨーク・メッツでプレイしてテレビ中継などにも登場することが多かったため、日本人にも比較的知られている選手である。オフにFAとなり、ニューヨーク・ヤンキースへ移籍。当初は内野のユーティリティープレイヤーとして期待される。しかし、正三塁手として考えられていたアーロン・ブーンが、トレーニングとして禁止されていたバスケットボールで左膝靭帯断裂の重傷を負い、開幕どころかシーズン中のプレーすら危ぶまれる緊急事態となった。そのため、カイロは三塁手としてプレーすると予想されていた。しかし、テキサス・レンジャーズが、史上最高年俸選手でメジャー屈指のスラッガーであるアレックス・ロドリゲスを放出したがっていることを知ったヤンキースは、アルフォンソ・ソリアーノとの交換でロドリゲスを獲得。ロドリゲスはチームの象徴であるデレク・ジーターと同じ遊撃手であったため、どちらかが二塁手もしくは三塁手にコンバートされると考えられていたが、結局、ロドリゲスが三塁手にコンバートされた。は上述のようなこともあり、ソリアーノ放出で空いた二塁手に同じユーティリティーでよりパワーのあるエンリケ・ウィルソンとのツープラトンで起用された。開幕当初はチームで唯一不安視されていたポジションであったが、このツープラトン起用がうまくはまり、シーズントータルで打率.292をマーク。二塁以外にも一塁・三塁・遊撃を守り、攻守において地区優勝への原動力の一端となった。同年オフにFAとなり、ニューヨーク・メッツへ移籍。ここでもユーティリティーとして起用された。1月にシアトル・マリナーズと1年契約を結んだ。ウィリー・ブルームクイストと共に、内野のユーティリティーとして期待された。2月15日、フィラデルフィア・フィリーズとマイナー契約を結んだ。シーズン途中にメジャーに復帰し、一旦メジャー契約を解除されたものの8月23日に再びフィリーズで昇格を果たした。シーズン前にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結び、開幕ロースター入りした。レッズにはまで在籍し、同年限りで引退した。ポストシーズンに相性が良く、通算打率は.328(61打数20安打)。特にカージナルスの一員として出場した2002年のポストシーズンでは打率.529(17打数9安打)の大当たりだった。個性的なバッティングフォームで、高目の球に強い。またかなりの俊足。セントルイス・カージナルス時代は盗塁数が減っていたが、2004年から2006年までの3年間は二桁盗塁を記録している。
出典:wikipedia
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