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四国五郎

四國 五郎(しこく ごろう、本名同じ。戸籍上の正しい表記は四國五郎。著作によって四国、四國の両方の表記が使われている。1924年5月11日 - 2014年3月30日)は、広島県広島市出身(生まれは、現・広島県三原市大和町椋梨)の画家・挿絵画家・絵本作家・詩人である。広島平和美術展を広島の画家仲間達と創設。絵画と詩を描きながら、広島を拠点にして戦後の平和運動を推進した。特に原爆をテーマにした絵本『おこりじぞう』(金の星社)の装丁と挿絵が有名。この絵本は全国の小学校や劇団などで、平和教育の副教材、および演劇の素材として幅広く活用されている。原爆詩人の峠三吉が死没するまで常に共に活動しており、「ちちをかえせ」で著名な『原爆詩集』(1951年出版オリジナル版)の表紙装丁、中の挿画も全て四國の作品。この詩集は官憲の弾圧を恐れた東京の出版社が全て出版を拒否したため、詩人・壺井繁治の勧めもあり、広島で急遽ガリ版刷りで500部出版したもので、原爆文学作品として記念碑的存在。現在では一部の博物館でしかオリジナル版の実物は目にする事はできない。広島市平和公園内の峠三吉の「ちちをかえせ」の慰霊詩碑のデザインも彼によるもの。また、広島市内には大田洋子の文学碑もあるがこれも四國のデザインによるもの約3年間シベリアに抑留され、公の全ての記録はソ連により剥奪されたが、四國は生死を彷徨う体験をしながらも、自分で豆のようなノートを作り、それに克明に記録を取り靴の中に入れて密かに日本に持ち帰った。帰国後すぐに記録を絵と共に1,000ページ近い絵日記として復元し、シベリア抑留の貴重な生の記録となっている。また、自らの飯盒にシベリアの仲間達の名前を60名近く彫りこみ、その上からペンキを塗り文字を隠し日本に持ち帰った。シベリアから記録を持ち帰ることはスパイ罪と見なされ、厳しく制限されたが、四國は持ち帰ることに成功している。シベリア抑留者の中で、四國のように、豆のような日記や名前の彫りこまれた飯盒を日本に持ち帰った例は、他にないと言われている。また、1950年の朝鮮戦争前から、峠が入院するまで約3年間、『辻詩』(つじし)と題して、絵は四國、詩は峠が担当し、一枚モノの手書きのポスターのような表現物を100種類近く手書きで作成。市内のあちこちにゲリラ的に掲出した。GHQが厳しい言論統制を敷く中、当時としては逮捕覚悟の反戦活動だった(貴重な歴史資料だが、現物は8枚しか残っていない)。戦争によって、意味もなく最も被害を受けるのは、何の罪もない母や子供たち、との考えから、平和の象徴として「母子像」をテーマに、誰にでも分かりやすく平和の尊さを訴える、多くの作品を油絵や水彩で残した。また、広島の橋や川を中心に、原爆から逞しく復興して行く広島の街の姿を数多く作品にした。NHKが主導する形で広島の被爆者に対して、被爆経験を絵にして残そう、という運動が1974年に始まったが、四國はNHKの番組に出演し、被爆者に対して、自分たちの経験をどのように絵に描き、描き切れない所は文章を添えるよう、番組から応募を呼びかけた。その効果もあり、4,000点近い絵がNHKに寄せられ、現在その多くは広島平和記念資料館で見る事ができる。後年これらの被爆者の絵はNHKから出版されたが、アメリカでも英語版が出版され、その後押しをしたのがジョン・ダワーだった。現在ダワー名誉教授のサイトでも被爆者の絵が多く掲載されている。近年、広島で活動する清掃員画家としてNHKで特集が組まれ反響を呼んだ『ガタロさん』が、一貫して敬愛し、私淑したのが四國五郎。何度も四國に励まされて絵を続けた様子が『ガタロ』(NHK出版)に書かれている。アメリカ・マサチューセッツ工科大学(MIT)教授のジョン・ダワーが設立した、画像で歴史を学ぶラボ(MIT Visualizing Cultures)のサイトに、広島の被爆者の詳細な体験記が電子紙芝居の形式で掲載されており(Ground Zero 1945 A Schoolboy`s Story)、その絵は全て四國五郎の作品。世界各地からアクセスされて、原爆の実態を学ぶ素材として活用されている。ドイツ・ハノーファー市では、小冊子にされて学校などで配布された。また、広島県内ほぼ全ての公立学校や図書館で彼の作品を見ることが出来る。現在の広島市立図書館共通貸出利用券のデザインなど、公的機関刊行物、挿絵、装丁、カレンダー等、多くの作品を残した。四國の死後、彼が残した膨大な作品をどのような形で次の世代に引き継いていくか、ボランティア的に市民の間で有志の会が組織され、作品展等、作品を公開・保全していくための様々な事業が計画されつつある。2015年1月から2月にかけて、中国新聞において、戦後70年大型企画として、四國の業績を振り返る異例の5回連載記事が掲載された。またNHKでも四國のドキュメンタリー特番(「`母子`に捧げた人生 画家 四國五郎」)が制作され、中国地方(2015年4月10日、11日再放映)でまず放映され、好評を博し、その後全国でも放映され(5月7日)、ままたNHKのネットワークを通じて、世界100か国でも放映された。2015年には、故郷広島において、市民有志の力により、「優しい視線・静かな怒り 四國五郎追悼・回顧展」と題して、被爆を生き延びた歴史的建築物である旧日本銀行広島支店において開催され、この場所における歴代の記録を塗り替える動員記録を作った。またこの追悼展には上記のジョン・ダワーも、特別にメッセージを寄せた。また、同年10月には、広島にて「四國五郎のシベリア抑留記」と題して、四國のシベリア抑留に絞った形の3回目の追悼展が開催され、メディアでも大きく取り上げられた。また、埼玉の丸木美術館において、2016年6月~9月までの3か月間、四國の展覧会「四國五郎展 シベリア抑留から『おこりじぞう』まで」が実施され多くの入場者を集めた。また、もとNHKプロデューサーで「クローズアップ現代」等を手掛けた永田浩三によって、四國の初めての本格的な評伝「ヒロシマを伝える 詩画人・四國五郎と原爆の表現者たち」(WAVE出版)が出された。以下は主に挿絵・装丁担当

出典:wikipedia

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