ウィリアム・ハンナ(William Denby "Bill" Hanna、1910年7月14日 - 2001年3月22日)は、アメリカ合衆国ニューメキシコ州出身のアニメーター及びプロデューサーである。ウィリアム・ハンナはニューメキシコ州でアイルランド系アメリカ人の一家に生まれた。7人兄弟を抱える大家族出身であったが、喧嘩一つしない仲のいい兄弟であったという。一方でアイリッシュらしいタフな家風だったとも語っている父は建設会社で働いており、様々な現場に参加する為に一家で移住を繰り返していた。3歳の時に一家はオレゴン州へと移住、豊かな自然はハンナにとって貴重な経験となった。その後もユタ州など各地を転々とする生活を送り、1919年にはカルフォルニア州に住んでいた。学校ではボーイスカウト活動や音楽に熱中する子供だったという。しかし既に漫画好きの気質は育まれており、音楽活動も基本的に「漫画を描く気分になる」というのが理由だった。ちなみにボーイスカウトの方もかなり熱心に取り組んでおり、最上級のイーグルスカウトにまで上り詰め、後にスカウトマスターの称号を協会から与えられている。既にアニメーターとして著名だったハンナだったが、どんな賞よりもこの称号を誇りに思っていたと言われている。エルカミノ・コミュニティ・カレッジで土木工学を学んでいたが、世界恐慌の最中に退校している。1932年にワーナー・ブラザーズ向けのアニメーション作品を制作していたレオン・シュレシンジャー・プロダクションに入社し、アニメータとしてのキャリアをスタート。アニメータとしての特別な教育は受けていなかったが、程なくアニメーション制作部門のリーダー格となる。翌1933年にヒュー・ハーマンとルドルフ・アイジングが同社から独立し、ハーマン=アイジングを立ち上げ、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー (MGM) 向けの作品を制作するようになると、ハンナも彼らに続く。1937年にMGMはハーマン=アイジングからの外部受注をやめ、独自にアニメーション制作部門を立ち上げると、彼はMGMから監督という厚遇で迎え入れられる。同年に脚本家であったジョセフ・バーベラも入社。1939年よりそのバーベラとコンビを組み、トムとジェリーを共同制作し、同社の制作責任者(プロデューサー)であるフレッド・クインビーの下で日本でも知られる数多くの作品を生み出した。バーベラとのコンビは以後半世紀以上にもわたり続くことになる。アカデミー賞を7度受賞。1955年にクインビーがMGMを退職すると、バーベラと共に監督業と並行してプロデューサーとしてのキャリアをスタートさせ、MGMがアニメーション制作部門を閉鎖する1957年までの2年間、監督業との兼任となったトムとジェリーのほか、マイケル・ラーが監督するドルーピー作品の制作責任者となっている。MGM退社後もバーベラと共にハンナ・バーベラ・プロダクションを設立し、ここでもトムとジェリーなどの作品を生み出している。2001年3月22日にアメリカ合衆国ロサンゼルスで喉頭癌のため死去。90歳だった。
出典:wikipedia
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