イラン航空655便撃墜事件 (イランこうくう655びんげきついじけん) は、1988年7月3日にホルムズ海峡に停泊していたアメリカ海軍のミサイル巡洋艦ヴィンセンスがバンダレ・アッバース発ドバイ行きのイラン航空のエアバスA300B2(機体記号EP-IBU、1982年製造)を撃墜した事件である。子供66人を含む6カ国あわせて290人の乗員乗客全員が死亡した。ヴィンセンスは、攻撃してきたイラン小型砲艦を追ってイラン領海内4kmにいた。事件後、アメリカ側は遺族に賠償金を支払った。犠牲者数は航空事故史上8番目に多く、ペルシア湾におけるものとしては最多である。イラン航空では犠牲者の祈念として、テヘラン・ドバイ間に655便の名を使い続けている。当時続いていたイラン・イラク戦争では、ホルムズ海峡を航行する交戦国以外の民間タンカーも攻撃の対象となったため、アメリカ海軍はその警護も兼ねてホルムズ海峡近郊で海軍の軍事演習を実施していた。それに対して、隣接する海域に位置するイランは挑発的な監視行動をとり、イラン空軍のF-14が連日発進した。その上、事件に先立つ1987年にはアメリカ海軍のミサイルフリゲート「スターク」がイラク空軍機に誤射されて乗員37名が死亡する事件も起きており、両国の間には緊張状態が続いていた。事件当時、ヴィンセンスは中東機動部隊司令官であるレス少将(バーレーンに停泊中の「コロナド」に座乗)の命令により、「サイズ」(FFG-14) および「エルマー・モンゴメリー」(FF-1082) の2隻のフリゲートを戦術統制し、水上戦闘群の指揮艦として行動していた。当日早朝より、北東50マイルを航行するパキスタン商船が、イラン海軍の戦闘艇13隻の追尾・威嚇を受けていたことから、救援のために「エルマー・モンゴメリー」を派遣した。以後、時系列順に列挙する。イラン当局が国際司法裁判所へ提出した資料によると、655便に搭乗していたのは乗客274名、乗員16名である。そのうちイラン人254名(乗員全員を含む)、アラブ首長国連邦人13名、インド人10名、パキスタン人6名、ユーゴスラビア人6名、そしてイタリア人が1名であった。第3シーズン第6話「誤認」
出典:wikipedia
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