坂口 征夫(さかぐち ゆきお、1973年7月26日 - )は、日本の総合格闘家、男性プロレスラー。東京都出身。坂口道場代表、DDTプロレスリング所属、土木施工管理技師、水道管工事会社代表。柔道出身でありながら、荒々しい蹴り技と打撃を得意にしている。元プロレスラーの坂口征二を父に、俳優の坂口憲二を弟に持つ。明大中野中学・高校と柔道を経験。柔道二段の腕前であり、父親が代表を務める坂口道場の柔道コーチも務めている。当初はプロレスラーを目指していたが身長が低く断念。高校卒業後、建設会社に就職し、土木作業員として勤務。2004年には一級土木施工管理技士免許も取得している。著名な父・弟と比較されコンプレックスの塊だったと語っている。27歳で空手を始め、東都空手道選手権で準優勝、ルーキーチャレンジカップで優勝した。30歳の時に、柔道時代の先輩にあたるGRABAKAの菊田早苗に相談し、総合格闘家になることを決意。2006年9月16日、パンクラスのアマチュア試合「パンクラスゲート」に出場。小野明洋と対戦し、2R膝蹴りによるKO勝利。パンクラスゲートでの勝利により、12月2日にプロデビュー予定であったが、練習中に右足薬指を骨折し、プロデビューが遅れた。2007年4月27日、パンクラスでプロデビュー。チェ・ヒュンソクと対戦し、左ストレートでKO負け。父のテーマ曲「燃えろ荒鷲」で入場した。33歳でのプロデビューとなった。2007年7月27日、パンクラスでチェ・キーソクとプロ第2戦目を行い、スタンディングでのチョークスリーパーで一本勝ち、プロ初勝利を挙げた。2007年10月14日、パンクラスで本田朝樹とプロ第3戦目を行い、喧嘩のような打撃戦を繰り広げたが、ヒールホールドで一本負け。2008年4月27日、階級をライト級に下げ、パンクラスで高橋渉とプロ第4戦目を行い、打撃・サッカーボールキックであと1歩のところまで追い詰めたが、腕ひしぎ十字固めで逆転の一本負け。2008年5月に自ら横浜市都筑区仲町台に、「坂口道場横浜」を設立。2008年6月1日、パンクラスで倉持昌和とプロ第5戦目を行い、膝蹴り・踏みつけで相手を追い込み、1RサッカーボールキックでKO勝ち。2008年6月28日、TRIBELATE vol.18で北崎鎮とエキシビションマッチを行った。2008年10月26日、パンクラスで同団体ライト級4位の五十里祐一とプロ第6戦目を行い、1Rに右フックでKO勝ち。試合後には、「実力が及ばないのは分かっている。でもお祭り的な要素として、呼んでいただけるなら出たい。憲二を担ぎだしてもいい」と年末年始のビッグマッチ参戦をアピールした。また、この勝利でパンクラスライト級4位となり、初のランキング入りを果たした。2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜でアンディ・オロゴンと対戦。右アッパーでダウンしたところにパウンドを受け失神、KO負けとなった。2009年6月7日、パンクラスで戦極ライト級王者北岡悟と対戦し、アキレス腱固めで一本負け。2009年9月19日公開の映画『カムイ外伝』(松竹配給)で俳優デビューし、「渡り衆」として出演した。2009年11月23日、修斗で行われた修斗 vs. パンクラスの対抗戦で朴光哲と対戦し、ストレートでダウンをとりあと1歩まで追い詰めたが、カウンターの左フックで大逆転の失神KO負けを喫した。2010年2月21日、パンクラス事務所で会見を開き、身体のダメージなどを理由に現役引退を発表。2010年4月4日、パンクラス興行で引退セレモニーが行われた。2010年7月、専務として勤務していた建設会社から独立し、水道管工事を主に手掛ける会社を設立。引退後は、2010年10月5日にドラマ『クロヒョウ 龍が如く新章』に地下闘技場ファイター、TOMOKIとして出演したほか、2010年11月に劇場公開される映画『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』に田崎被告役で出演するなど、俳優としての活動が主となっていたが、同年12月30日に行われる『戦極 Soul of Fight』にて格闘家として現役復帰することを発表。引退から8か月での復帰となった。なおスポーツ紙の取材に対しては「次にリングを下りるときは死ぬ時」と語っており、今後は生涯現役を貫く構えを示している。2010年12月30日、戦極 Soul of Fightでジョン・ジンソとSRCジャケットルールで対戦し、3-0の判定勝ちを収めた。2011年3月、東日本大震災の被災地である茨城県の水道管復旧工事を請け負い赴いた が、急遽、福島県小名浜地区での工事を依頼され快諾、5月までに地域全ての水道管復旧工事に従事した。DDTSEDアマチュアプロレス
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