イブキマイカグラは日本の競走馬である。伯父にアンバーシャダイ、他にも近親には活躍馬が山といる名牝系に属している。主な勝ち鞍は阪神3歳ステークス、弥生賞、NHK杯。阪神3歳ステークス最後の優勝馬である。※馬齢、グレード表記は旧表記で統一する。1990年7月、小倉競馬場の新馬戦でデビュー。血統的背景から圧倒的1番人気に支持されたが、スタート直後に見当外れの方向に走ってしまい、7着に敗れた。鞍上に南井克巳を迎え、連闘で臨んだ新馬戦に勝ったイブキマイカグラは野路菊ステークス2着、黄菊賞1着、デイリー杯3歳ステークス3着の後、最後の牡牝混合レースとなった阪神3歳ステークスをレコード勝ちした。だが、JRA賞最優秀3歳牡馬の得票では朝日杯3歳ステークスで14年振りにレコードを更新して優勝したリンドシェーバーに大差で敗れている。1991年春、イブキマイカグラは弥生賞から始動した。弥生賞では前年、最優秀3歳牡馬の座を争ったリンドシェーバーをクビ差で振り切り、クラシックの有力候補となった。皐月賞では、ここまで4戦4勝と無敗で皐月賞まで駒を進めてきた皇帝シンボリルドルフの初年度産駒・トウカイテイオーに人気が集中し、2番人気となった。レースはスローペースな上に直線で他馬が壁になる不利も重なり、トウカイテイオーの4着に敗れた。この後、イブキマイカグラは東京優駿(日本ダービー)には直行せず、東京競馬場でのレースを経験させるためにダービートライアルであるNHK杯に出走した。NHK杯では最後の直線だけで全馬を差し切り圧勝し、青葉賞を勝ったレオダーバンとともにトウカイテイオーの対抗馬に浮上した。しかし、ダービー直前に軽度の骨折が判明、ダービー出走はかなわなかった。骨折が癒えたイブキマイカグラは秋は当時菊花賞トライアルとして施行していた京都新聞杯から始動した。京都新聞杯ではナイスネイチャには敗れはしたものの2着を確保し、調子を上げて菊花賞に臨んだ。二冠馬トウカイテイオーが故障で離脱していた事と対抗馬と目されていたレオダーバンがセントライト記念で敗れていた事もあって1番人気に推されたが、逃げ馬不在の超スローペースに我慢し切れず折り合いを欠いてしまい、レオダーバンの2着に敗れた。古馬となった1992年は大阪杯から始動。2番人気に推されたが、復活したトウカイテイオーから0.9秒差の7着に敗れた。続く春の天皇賞では5着に終わったトウカイテイオーにこそ先着する3着であったものの、勝ったメジロマックイーンからは7馬身半、タイムにして1.3秒も離されていた。天皇賞後、イブキマイカグラは岡部幸雄とのコンビで安田記念に出走するが、11着と初めて二桁着順を喫した。この後、イブキマイカグラは屈腱炎を発症し引退、種牡馬となった。種牡馬としてはゴールデンイースト(埼玉新聞杯)、イブキライズアップ(高知県知事賞)などを出したものの、種牡馬登録を抹消となり、その後は北陽ファームで功労馬として余生を送った。2008年に北陽ファームがケイズ富郷分場となってからも同所で繋養されていたが、2009年6月24日に急性心不全により死亡した。
出典:wikipedia
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