今尾『日本鉄道旅行地図帳』による磐城炭礦軌道線(いわきたんこうきどうせん)は、現在福島県いわき市となっている、石城郡湯本町と小名浜町を結んでいた鉄道路線(軽便鉄道・軌道線)。磐城炭礦(現在の常磐興産)が運営していた。当初は常磐炭田で採掘された石炭を船舶で輸送するため山元から小名浜港まで敷設された専用軌道であったが、1897年日本鉄道磐城線(現在の常磐線)の開通により石炭は山元から鉄道により運ばれるようになった。そのため、湯本 - 小名浜間の営業の特許をとり、旅客輸送を主体とした馬車軌道として生まれ変わった。磐城炭礦社(後に株式会社化)は、経営していた福島県小野田炭礦から採掘していた石炭を馬車や荷車で小名浜港まで運び船舶で輸送していたが、効率化を図るため、鉄道導入を決定した。そして、1887年5月(一説では9月)小野田 - 小名浜間に専用軌道(動力馬力)の運行を開始した。その開通により小野田炭礦の生産も拡大するようになった。その後1897年2月25日日本鉄道磐城線(現在の常磐線)が開通するのにともない、新たに小野田 - 湯本間に専用鉄道(動力蒸気)を完成させ石炭輸送を船舶から鉄道に切り替えた。そのため石炭輸送をやめた専用軌道は小野田 - 湯本間は物資輸送のためそのまま存続させ、また湯本 - 小名浜間は需要のあった一般客や貨物を取扱うべく特許をとり、1905年7月19日開業することとなった。湯本 - 小名浜間で一般営業を開始した磐城炭礦軌道線は大幅に減少した貨物輸送に対して、旅客輸送は好調で収入の7割から8割を占めるようになった。1922年には動力を蒸気に変更する計画を立てたが、併用軌道であることから沿線住民から交通事故や家屋への火災の恐れにより反対運動がおこり計画は断念せざるをえなかった。しかしその後関東大震災で市内交通に被害を受けた東京市がアメリカから輸入したT型フォード自動車(円太郎バス)に目を付け、15両払下をうけた。その内5両は軌道用に10両はトラックに転用し、1925年ガソリン動車の運転を開始した。この転換により1927年度には年間20万人を運び過去最高となった。ただその後乗合自動車の進出により乗客は減少することになるが、本業の炭礦は好調であり廃止されることもなく生き延びていた。だがそれも長くはなかった。太平洋戦争により石炭増産を強いられるなか、炭礦では金属など物資不足が深刻となっていた。そしてこの軌道線の資材を転用することとなり遂に1944年6月5日に廃止されることとなった。湯本駅 - 関船駅 - 下船尾駅 - 野田駅 - 住吉駅 - 大原駅 - 大根駅 - 枡形駅 - 小名浜駅 - 小名浜派出所今尾 (2008) による廃止時
出典:wikipedia
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