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京都大好きラジオ

京都大好きラジオは、KBS京都ラジオで1995年4月から2001年3月29日まで平日の午後に生放送されていたワイド番組ラジオ番組。KBS京都ラジオ平日昼ワイド番組である。番組を大きく分けるとに分けられる。開始当初のキャストは以下の通りである。第1回放送では月曜日担当のバーグランドが休むことになり、北村が月・火曜を担当することになった。以降もバーグランド・小米朝・茂山が休んだことによって、月~木曜まで北村が担当することもあった一方で、その北村も都合が付かなかったために水曜日にバーグランドが登場することもあった。当初は「祇園祭(1995年6月)」・「水(同年7月)」・「戦争(同年8月)」「商店街(同年9月)」「着物(同年10月)」など、1ヵ月に渡って1つのテーマをもとに、曜日別パーソナリティーがそれぞれの個性に沿った構成を採っていた。そのテーマに即応してリスナーからの電話・FAXで質問や意見を募集したが、日替わりで呼ばれたゲストが答えに窮したり、専門的すぎる質問にパーソナリティーやスタッフが対応できずに質問者に電話して教えを請うたりすることもあった。そして番組の最後に、パーソナリティーの独断と偏見によって1日に1人、番組特製の切絵風のテレホンカードが贈られた。翌年からはバーグランド執筆による「京都大好きラジオ!」との漢字ロゴ入りのTシャツも造られ、贈られた。月曜日はバーグランドの著書をサイン入りでプレゼント、木曜日の省エネのアイデアを投稿すると「市澤頒布のトウトバック」が贈られた。また、北村がリスナーをKBS京都4階の「ふれあいスタジオ(第2スタジオ)」に招いての公開放送(1995年10月10日)をしたり、大津祭の山車の前から生放送(1997年10月10日)。バーグランドが自らラジオカーに乗って出町商店街へ行ってのレポート(1995年9月)大文字山の送り火の火床から(1996年11月3日)・高台寺内(1997年4月29日)・堀川通り(一条戻り橋周辺・1998年3月31日)を歩きながら。茂山も下賀茂神社の糺の森・大原・定期運行中の琵琶湖汽船の遊覧船「ビアンカ」の船上などからの生放送をするなど、スタジオを飛び出して放送することが多かった。 1997年1月3日の放送、全曜日のパーソナリティー、下村、ラジオカーレポーターの二人がそろい、全編にわたって近鉄百貨店アトリウムから生放送された。さらに、放送の中で下村が「高校生時代に北村謙さんの追っかけをしていて、京都大好きラジオで一緒に仕事するための顔合わせの時、謙さんがメタボなおじさんになっていてビックリした」とコメント。バークランドは「小米朝さんの奥さん、小米朝さんと付き合う前から、私は知っていたよ。私の教え子やから」とコメントし、パーソナリティー同士がプライベートでも繋がっていて、アットホームな雰囲気の番組であった。1999年5月にプロデューサーも兼ねる町田寿ニディレクターの定年を迎える事から、同年3月末で終了する「ばんばひろふみのKYOTO Revolution」の前田ディレクターを迎えて、1999年4月に番組をリニューアル。前田ディレクターの担当する後期は、京都の番組であるにも関わらず、京都以外の関西地区を中心に活動しているタレントを数多くパーソナリティーとして起用した点が主な特徴であった。1996年4月5日より、それまで金曜日放送の「金曜情報館(午後2時~4時44分・担当ディレクターは高田正人)」を『京都大好きラジオ・金曜版』にタイトル変更し、パーソナリティーの池田、アシスタントの阪口、ラジオカーレポーターの青山・はりきり調査員の稲野、マック・市田の全員が、そのまま残る。内容も、それまで放送していた「週刊金曜日」「金曜情報館」とほぼ同じく、リスナーからの素朴な疑問や質問に番組で調査。併せて「回答を知っておられる方はおられませんか」とラジオで呼びかけ、疑問点の現場や回答者の所へラジオカーが駆けつけて現場から生放送。稲野が公的機関から回答を引き出し、リスナーからの回答を精査して、ラジオで回答した。例を挙げると『調べておきます』と言ったまま、回答する前に番組が終了してしまった。そして、2000年4月から『池田幾三のおたすけラジオ』として独立。2002年12月末まで「おたすけラジオ」として放送された。など

出典:wikipedia

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