ヴォルフスシャンツェ () とは、第二次世界大戦で東部戦線のドイツ国防軍の作戦行動を指導するため、アドルフ・ヒトラーが設けた指揮所である。また、第二次世界大戦中に各地に設けられた総統大本営の一つである。名称はドイツ語で「狼の砦」を意味するが、日本では英語の "The Wolf's Lair" の重訳である狼の巣という名称もよく知られている。建設された場所は、東プロイセン州のラステンブルク(現:ポーランド領ケントシン)の東約8kmの森林の中である。ラステンブルク周辺は東プロイセン時代から屈指の景勝地で、現在はポーランド・マズーリ湖沼地帯として知られる。この施設には居住棟、厚生棟(食堂・娯楽室・映画館など)、管理棟がおよそ40棟、コンクリート製の大型掩蔽壕(ブンカー)が7棟、小型のものが40棟があった。ブンカーのコンクリートの厚さは6mから8mに達していた。この他、鉄道引込線と航空機着陸場が2ヵ所があった。周囲は50mから150mの幅の地雷原に囲まれ、有刺鉄線は10kmに達し、面積は周囲の森林地帯を含め8平方kmに及んだ。警備する将兵は1944年時点で約2000名に達した。建設はアウトバーンの建設者フリッツ・トート博士の率いるトート機関が担当した。ソ連侵攻開始の2日後の1941年6月24日にヒトラーはベルリンよりこの地へ移ったが、工事は一部進行中であった。ヒトラーが1944年11月20日にこの地を去るまでの間、総統大本営の機能はこの地に置かれた。ヒトラーはオーバーザルツベルクのベルクホーフに滞在する以外のほとんどをこの地で過ごした。ヴォルフスシャンツェはヒトラー暗殺未遂事件の舞台としても有名である。国内予備軍参謀長クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐は、ヒトラーの臨席する戦況会議室に時限爆弾を仕掛けた(ヴァルキューレ作戦)。現在、事件現場となった会議室跡には記念碑がある。ベルリン陥落のおよそ3ヵ月前の1945年1月27日、ソ連軍が東プロイセンに侵入した時、ヴォルフスシャンツェのすべての施設は12tの爆薬を使ってドイツ軍によって爆破された。第二次大戦後、ポーランド領となったヴォルフスシャンツェ周辺は未処理の地雷が多数残され、一般人立ち入りは長く禁止されていた。ポーランド政府による地雷処理は、1955年に終了した。現在、ヴォルフスシャンツェ跡はケントシン市最大の観光名所となり、訪問者は見学料を支払った後、案内人(ポーランド語、ドイツ語、英語)に従い一巡する仕組みとなっている。入口にはホテルがあり、宿泊も可能。最大の見所はヒトラー暗殺未遂事件現場となった会議室跡、ヒトラー防空壕跡、ゲーリング防空壕跡である。暗殺未遂事件当日、シュタウフェンベルク大佐が国内予備軍司令部のあったベルリン・ベンドラー街と当地の往復に使用した飛行場もそのまま現存している。ヴォルフスシャンツェ跡は2008年公開のアメリカ映画『ワルキューレ』で認知度を上げた。地元では整備のための投資を募っている。アドルフ・ヒトラーの「アドルフ」は古高ドイツ語の "adal(高貴な)" と "wolf(狼)" に語源があるという。ヒトラーは1920年代よりお忍びで動く場合に偽名として "Wolf(狼)" を使用し、親しい仲間に "Herr Wolf"(Herrはドイツ語で男性への敬称であり、英語のMr.に当たる)と呼ばせていた。彼は大戦中、ヴォルフスシャンツェ以外にもヨーロッパ各地に総統大本営を建設したが、その名称のいくつかは下記のように Wolf(ヴォルフ)を含んでいる。
出典:wikipedia
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