チチェン・イッツァ()は1988年に世界遺産に登録されたメキシコのマヤ文明の遺跡。ユカタン半島のユカタン州州都メリダの東、約120キロメートルにある「後古典期マヤ」の遺跡で総面積は約1.5平方マイル。半島のつけ根の密林にあるティカルは「古典期マヤ」の遺跡。現在、高速道路により分断されているが、北部はトルテカ期、南部にはプウク期の建物が残っており、南北での町の構成がはっきりと違いを見せている。マヤの最高神ククルカン(羽毛のあるヘビの姿の神。ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀るピラミッド。基底55.3メートル四方、高さ24メートル(頂上の神殿部分は6メートル)。通称の「カスティーヨ」はスペイン語で城塞の意。「ククルカンのピラミッド」、「ククルカンの神殿」とも呼ばれる。大きな9段の階層からなり、4面に各91段の急な階段が配されていて、最上段には真四角な神殿がある。ピラミッドの階段は、4面の91段を合計すると364段で、最上段の神殿の1段を足すと、丁度365段である。また1面の階層9段は階段で分断されているので合計18段となり、これらはマヤ暦の1年(18ヶ月5日)を表す。このことから「暦のピラミッド」とも呼ばれる。北面の階段の最下段にククルカンの頭部の彫刻があり、春分の日・秋分の日に太陽が沈む時、ピラミッドは真西から照らされ階段の西側にククルカンの胴体(蛇が身をくねらせた姿)が現れ、ククルカンの降臨と呼ばれている。カスティーヨ内部には初期のトルテカ=マヤ方式のピラミッドが内蔵されており、この神殿にはジャガーをかたどった玉座や生贄の心臓を太陽へ捧げたチャクモール像が置かれている。しかしこの像の目にはめこまれた翡翠は中国製である事が判明しており古代史の謎となっている。腰でボールを打ち、球戯場の石の輪にボールを通すと得点になる。今で言うサッカーのような競技で、試合が白熱するほど雨が降り豊作になると信じられていた。勝敗で生贄になる者が決まったとされるが、勝った側が生贄になったとも負けた側が生贄になったとも言われており、ここは現在でもはっきりしていない。雨が降らない時や豊作を願う時に、神の予言を伺うために、財宝や生贄の人間が投げ込まれたという。スペイン征服時のスペイン人の記録によれば、吉兆を占うために、定められた日に女性を放り込んだとしている。また、この記録によれば、この女性は後に泉から引き上げられ、吉兆を語ったとされている。後にアメリカの探検家エドワード・トンプソンがこの泉にもぐり、人骨やたくさんの財宝を発見した。なお、これに似たもので、人の心臓が捧げられた戦士の神殿がある。太陽暦の1年をマヤ人は365.2420日と計算していた。現代天文学がコンピュータで計算した1年は365.2422日。天体望遠鏡もないマヤ人はほとんど誤差なく暦を知っていた。カタツムリ型の天文台から何代にもわたり肉眼で観測した。これもすべて農耕や戦争の為である。この天文台は約9メートルの岩の上に建てられ、高さは約13メートル。中心部に螺旋階段が作られており、ドーム部には縦に細長い窓の作られた厚い壁で構築されている。なお、この窓は天体観測における重要な照準線になっており、西側は春分の日の日没、月が最北端に沈むときの方向2つを確認することができる。
出典:wikipedia
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