エルマン・モーリス・ド・サックス(, 1696年10月28日 - 1750年11月20日)は、フランス王国の軍人。ラ・ルート伯爵およびサックス伯爵。ド・サックス元帥()の通称でも知られる。年少の頃から軍務に就き、後にフランス王国軍人の最高名誉、フランス大元帥に上り詰めた。軍隊の編制、戦術、リーダーシップ、士気について著作があり、深い洞察を残している。ヴェッティン家の出身で、ドイツ読みではヘルマン・モーリッツ・フォン・ザクセン()。ザクセン選帝侯兼ポーランド王アウグスト2世の庶子で、アウグスト3世は異母兄にあたる。ポーランド王アウグスト2世(ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世)の354人の私生児の最年長としてゴスラー(現ニーダーザクセン州ゴスラー郡)で生まれる。12歳で少尉に任官され、翌年に初陣。17歳のときに騎兵連隊を指揮してフランドルで戦う。18歳の時に貴族の娘と結婚、1717年に21歳でプリンツ・オイゲンと共にベオグラード包囲戦に参加した。フランス政府に誘われ、1720年にパリへ出てフランス軍に入隊した。その後戦役に従軍して功績を立て、ルイ15世の公妾ポンパドゥール夫人の尊敬を受けたために認められ、フランス軍最高司令官となる。オーストリア継承戦争でフランス軍の指揮を任され1745年には元帥に任官され、1747年にフォントノワの戦いの功績によって大元帥に任命された。モーリス・ド・サックスの著書『我が瞑想』は1757年に出版されたものであり、戦争、士気、戦術について実践的な記述が記されている。まず同書においては戦争はあらゆる法則に支配されない予測不可能性に満ちたものであると述べられている。また戦闘においても士気が大きく戦況を左右するために偶然性が大きく関わるとも述べている。それ以外にも、部隊編制は寡兵、傭兵を集めて編制することが多いが、法律で兵役義務を定めることが望ましい。軍規は部隊編制が完了した直後に必要であり、厳正に守られなければならない。また軍服や帽子、ゲートルは実戦に不向きである。訓練は兵士に戦闘準備をさせて錬度を挙げるために必要であり、その基礎は脚力にある。ドラムがあれば行軍が整然と統制することができる。正確で迅速な前進は敵の士気を阻害する。戦闘が長引くと火力攻撃は有効ではなく、予は一回の一斉射撃と白兵戦を併用することとした、などの実戦を想定した記述が記されている。
出典:wikipedia
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