ビャウォヴィエジャの森(ビャウォヴィエジャのもり)は、ポーランドとベラルーシの国境にまたがる原生林。ヨーロッパに残された最後の原生林と言われる。貴重なヨーロッパバイソンの棲息地としても知られる。ポーランド側は1979年、ベラルーシ側は1992年に、ユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された。英語名に見られる は、森林域の中央に位置するポーランド東端の村の名前で、ポーランド語における発音は「」。英名 はしたがって「ビャウォヴィェジャ(村)の森」の意味。ユネスコによる世界遺産の旧登録名はさらにこれにベラルーシ語名 をラテン文字化したものを併記して、2ヶ国/2言語圏にまたがる事情を反映したものとなっていた()。ベラルーシ語名の意味も、やはり「ビャウォヴィェジャ(村)の森」である。日本語では2014年の再推薦前の名称を、日本ユネスコ協会連盟が「ベラヴェシュスカヤ・プーシャ/ビャウォヴィエジャの森」としていたほか、TBSの番組『THE世界遺産』でも同じく「ベラヴェシュスカヤ・プーシャ/ビャウォヴィエジャの森」と呼んでおり、これらはとくに世界遺産を扱う文脈から、併記型の世界遺産登録名をそのまま音写/翻訳したものだった。世界遺産名称の変更に伴い、日本ユネスコ協会連盟は「ヴャウォヴィエジャの森」に切り替えている。また、ポーランド政府観光局の日本語サイトでは「ビャウォヴィエジャ原生林」と呼んでいる。本項ではこれらの例や、併記型でない各国語名に準じて、「ビャウォヴィエジャの森」としている。ほかに、「ベロヴェーシ合意」のように、「ベロヴェーシ」という呼び方があり、「ベロヴェーシの森」という呼び方の例もあるが、。さらには本来のポーランド語発音から大きく離れた「ビアロウィーザ」との一種の慣用読みも一部で見られる。15世紀初めにポーランド王ヴワディスワフ・ヤギェウォが狩猟を行って以後、数々の君主らの狩猟地としてこの広大な原生林は開発されずに保護されてきた。一方でそこに棲息していた動物たちは密猟の横行もあって数を減らし、いくつかの種は姿を消した。1919年、森で最後のヨーロッパバイソンが撃たれ、野生種はいったん絶滅した。その後、動物園で飼育されていたものが人の手で繁殖され、森で再びその姿を見られるようになった。1979年、ポーランド側がユネスコの世界遺産に自然遺産として登録された。ベラルーシ側は1992年に追加登録されている。1991年12月8日、ベラルーシ側の森の奥にある要人別荘で、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの首脳らによる独立国家共同体創設に関する協定(ベロヴェーシ合意)が結ばれた。1979年の登録当初は自然美を理由とする基準 (7)が適用されていたが、2014年の再推薦で生態系や生物多様性を理由とする基準の変更が行われた。
出典:wikipedia
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