ニック・ディアス(Nick Diaz、1983年8月2日 - )は、アメリカ合衆国の男性総合格闘家。カリフォルニア州ストックトン出身。シーザー・グレイシー柔術アカデミー所属。ブラジリアン柔術黒帯。元Strikeforce世界ウェルター級王者。元WEC世界ウェルター級王者。スペイン語で悪魔を意味する「ディアブロ」のニックネームを持つ。脇を大きく開いた独特の構えから繰り出す、出所の分かりにくいパンチで試合を組み立て、寝技では基本に忠実なガードワークからの攻めを得意とする。素行の悪さを揶揄して「暴力柔術」とも呼ばれる。総合格闘家のネイト・ディアスは実弟。母子家庭に育ち、幼い頃に空手、合気道、レスリングを経験。高校生の時は水泳をやっており、現在でもトレーニングの一環としてトライアスロンをする。16歳の時にサンボを始めた。学生の頃はいじめに遭っており、それが総合格闘技を始めるきっかけとなった。中学生の頃には喧嘩をしすぎたために、中学を卒業できなかったと語っている。2001年、プロ総合格闘技デビュー。2003年3月27日、WECで行われたIFC全米ウェルター級王座決定戦でジョー・ハーリーと対戦し、チキンウィングアームロックで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。同時に初代WEC世界ウェルター級王座に認定された。2003年7月19日、IFC米大陸ウェルター級タイトルマッチで王者ジェレミー・ジャクソンと対戦し、マウントパンチでTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。同時にISKA MMA米大陸ウェルター級王座に認定された。2004年4月2日、UFC 47でロビー・ローラーと対戦し、KO勝ち。2006年2月4日のUFC 57でのジョー・リッグスとの対戦においては試合前から舌戦を繰り広げ、公開計量でも睨み合い・罵り合いを止めないためダナ・ホワイトに引き剥がされるほどの犬猿の仲であった。試合はディアスが判定で敗れたが、試合後、治療と検査を兼ねた病院内で両者が大乱闘を繰り広げ、警察が駆けつけるほどの騒ぎとなった。2007年2月24日、PRIDE初参戦となったPRIDE.33でPRIDEライト級王者五味隆典と対戦。フットチョークで一本勝ち。試合後の薬物検査でマリファナの陽性反応が検出されたため、ネバダ州アスレチック・コミッションの裁定により、4月10日付けで当該試合は無効試合とされ、6か月間の出場停止処分が課せられた。2007年11月10日、EliteXC: Renegadeの世界ライト級(-73kg)王座決定戦でKJ・ヌーンズと対戦し、1R終了時に左瞼カットによるドクターストップでTKO負けを喫し王座獲得に失敗した。2008年5月11日、DREAM初参戦となったDREAM.3のウェルター級チャンピオンシップ代表者決定戦で井上克也と対戦し、タオル投入によるTKO勝ち。なお、従来のDREAMウェルター級リミットの76kgではなく、契約体重77kgで試合が行なわれた。2008年6月14日、EliteXC: Return of the Kingでムーシン・コーブリーと対戦し、3RTKO勝ち。この試合はディアスが契約体重から約4kgの体重超過をしたため、キャッチウェイトでの試合となった。ディアスはこの体重超過について「海に入ったので塩水を吸収しすぎた」などと弁明している。さらに、同大会で試合を行ったKJ・ヌーンズの試合後のマイクアピールに乱入し乱闘騒ぎとなった。2009年4月11日、Strikeforce初参戦となったでフランク・シャムロックと179ポンド(約81kg)契約で対戦し、2ラウンドにTKO勝ちを収めた。2010年1月30日、の初代世界ウェルター級王座決定戦でDREAMウェルター級王者マリウス・ザロムスキーと対戦。開始直後からの打ち合いを制し、右のショートフックによるTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。2010年4月17日、でダン・ヘンダーソンと戦った同チームのジェイク・シールズのセコンドを務め、試合後シールズが勝利者インタビューを受けている最中にジェイソン・"メイヘム"・ミラーがケージに入りシールズとの対戦を要求しようとした際にメイヘムに襲い掛かり乱闘騒ぎを起こした。2010年5月29日、ケージ開催となったDREAM.14のメインイベントで桜井"マッハ"速人と対戦し、腕ひしぎ十字固めで一本勝ち。2010年10月9日、の世界ウェルター級タイトルマッチでKJ・ヌーンズと対戦し、判定勝ちを収め王座の初防衛に成功した。2011年1月29日、で行なわれたStrikeforce世界ウェルター級タイトルマッチでエヴァンゲリスタ・サイボーグの挑戦を受け、腕ひしぎ十字固めで一本勝ちを収め2度目の王座防衛に成功した。2011年4月9日、で行なわれたポール・デイリーとのStrikeforce世界ウェルター級タイトルマッチで、開始直後にダウンを奪われるものの1RTKO勝ちを収め3度目の王座防衛に成功した。2011年10月29日にUFC世界ウェルター級王者ジョルジュ・サンピエールへの挑戦が決まっていたが、9月7日の記者会見を無断欠席したため、挑戦権を剥奪された。2011年10月29日、UFC 137で5年ぶりにUFCに復帰し、元2階級王者BJ・ペンと対戦、ペンの顔を変形させるほど殴り続け判定勝ちを収めた。この試合でファイト・オブ・ザ・ナイトを獲得した。試合後のマイクアピールでは観戦席にいたジョルジュ・サンピエールに「ジョルジュは俺を怖がっているんじゃないのか!?」と挑発をした。2012年2月4日、UFC 143で行われたUFC世界ウェルター級暫定王座決定戦でカーロス・コンディットと対戦し、手数で差を付けられ、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。その後、ネバダ州アスレチック・コミッションは薬物検査でディアスからマリファナの陽性反応が出た事を発表。2012年5月12日、World Jiu-Jitsu Expoで柔術家ブラウリオ・エスティマとグラップリングマッチを行う予定であったが、当日ディアスが会場に現れなかったため無効試合となった。ディアスはこの試合のファイトマネー全額を小児病院に寄付する予定であった。2013年3月16日、約1年ぶりの試合となったUFC 158でUFC世界ウェルター級王者ジョルジュ・サンピエールに挑戦するも、0-3の判定負けを喫し王座獲得に失敗した。試合後には総合格闘家としての引退を示唆する発言をした。2013年5月、新団体「WAR MMA」を主催する事を発表。2014年9月6日、カリフォルニア州ローダイで飲酒運転及び免停状態での運転により、逮捕される。さらに、留置所のトイレで警察官の制止を振り切り、嘔吐を試みた事によって、証拠隠滅、公務執行妨害の罪状が追加された。その後は保釈金25000ドルを支払い、保釈された。また、2013年11月にも飲酒運転、スピード違反により逮捕されており、出廷命令が出されるも、それをすっぽかしていた事が明らかとなった。2015年1月31日、1年10か月ぶりの復帰戦となったUFC 183でミドル級ランキング1位のアンデウソン・シウバとミドル級契約で対戦し、0-3の判定負け。試合後、薬物検査で禁止薬物に指定されているマリファナの陽性反応が検出された事が発表され、相手のシウバも薬物検査で失格したため、試合結果がノーコンテストに変更された。後日、インスタグラム上で引退を示唆した。2015年9月14日、ネバダ州アスレチックコミッションの聴聞会にて、UFC 183のファイトマネーの33%にあたる16万5000ドルの罰金と5年間の出場停止処分という極めて重い処分が科される事が決定した。しかし、試合当日に3回採取された尿サンプルの内、2つは世界アンチ・ドーピング機関(WADA)基準に従ったWADAの認証する研究所で検査が行われ陰性だったのにも拘らず、陽性だった残りの1つのみがWADAが認証しない研究所で検査が行われていたことで、ディアスの弁護士は、WADA基準で行われた2の検査が陰性だった以上、WADA基準でない研究所が行った検査は「まったくの異常値であり、科学的な信頼性に欠けていて、あまりに不可解。それにもかかわらずコミッションは恣意的に、WADA基準で行われた2度の陰性の検査結果を無視して、ディアス氏に懲罰を下そうとしているのです」と抗告、さらに、ホワイトハウスの請願サイトに、ディアスの処分撤回を求める署名が11万人以上集まるなどしたことで、コミッションは出場停止を1年6か月に大幅に短縮した。
出典:wikipedia
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