『思えば遠くへ来たもんだ』(おもえばとおくへきたもんだ)は、海援隊の楽曲、松竹配給の日本映画、TBS系列で放映されたテレビドラマ。ここでは、同系列で放映されたテレビドラマ「続・思えば遠くへ来たもんだ」についても記述する。1978年(昭和53年)9月21日に「武田鉄矢(海援隊)」名義でポリドールからシングル発売(B面は『新宿シンデレラ』)。ついで11月21日発売のアルバム「堕落編」の7曲目に収録された。1980年(昭和55年)8月1日に、翌日の「思えば遠くへ来たもんだ」映画公開に合わせて海援隊名義で再びシングルとして発売(B面は『ダラクロン』)。ただしこちらは曲の回転数を若干上げており、オリジナルのものよりキーが少し高く、演奏時間も10秒ほど短い。翌年、テレビドラマ版の主題歌として古谷一行がカヴァーした。元々は所属事務所からの国鉄のキャンペーンソングを作れという命令で作られた曲であったが、同じ事務所の谷村新司の作った「いい日旅立ち」が採用され、この曲は不採用となった。1980年8月2日に公開された。93分。村田雄浩の映画デビュー作品。同時上映は「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」。青田喜三郎は九州から秋田県角館東高校に臨時教師として赴任した。秋田弁と九州弁の違いに加え、黒須(カラス)をはじめとする生徒たちから「北京原人」と囃されたりして散々なスタートを切る。しかし、青田がカラスのいる柔道部を受け持ち、実力を十分に見せ付けるとともに、熱心に稽古指導するようになると、生徒たちも徐々に信頼し始める。それから間もなく、高橋百合子という女性に一目惚れした青田は、その弟である松男(根性)が柔道部員で、現在登校していないことを知り、根性の家に説得に行く。その後何度も足を運んだかいがあり、根性は学校に戻り、柔道部に復帰する。青田の弟に対する思いやりに感激した百合子は、青田に密かに思いを寄せるようになる。青田とデートした百合子は、見合いを勧められて迷っていると相談をする。百合子は断れと言ってほしかったが、結局青田は何も言えずバス停で別れる。それからしばらくして百合子は結婚してしまう。それを見かねた本間茂が、青田の名前でラブレターを清水鹿子に出すが、二人の関係に進展はなかった。茂も、従姉妹の秋山道子から思いを寄せられているのに、もう一歩踏み出せなかった。しかし青田に励まされ、角館駅で思いを通しあう。角館に来て一年後、桜の季節が近い頃。角館の街の中では相変わらず稽古を続ける青田と柔道部員の姿があった。1981年(昭和56年)3月17日から全3話で放映された。制作は木下プロダクション。映画版とほぼ同一のストーリーだが、舞台は長野県上伊那郡高遠町(現・長野県伊那市)に変更され、青田が高橋百合子に最初に出会うのが赴任時のバスの中になっている。1981年10月6日から全6話で放映された。制作はドリマックス・テレビジョン。千厩校長の紹介で、青田喜三郎は宮城県気仙沼市の男子校に臨時教師として赴任することになった。しかし、待っていたのは全く覇気のない生徒たちであり、前任校のカラスによく似た百目木という生徒からは「ホヤ」とあだ名をつけられる始末だった。同じ市内に女子高があり、生徒同士は相容れない関係であったが、祭りの日の喧嘩がきっかけで何組もカップルが出来るようになるほど親しくなる。青田はその女子高教師の竜舞千鳥に恋してしまうが、何と千鳥は百目木の姉であり、家族の問題で小さな頃から別居していることがわかる。一方、青田は柔道部の顧問として部員の稽古指導に精を出し、生徒たちも見違えるように元気になっていくが、期待していた部員がやむを得ず学校を辞めたりしてなかなかうまくいかない。その間、青田は千鳥と交流を深めていった。柔道大会の日、レギュラーのひとり中赤田守が祖母の急病で大会に来られなくなり、代わりに指名した百目木は先鋒戦で敗れた。千鳥は青田に百目木を出してくれたことを感謝する。その頃、千鳥に婚約者がいるという噂を青田は耳にする。さらに校長から、正規の教師が復帰するので辞任を要請される。青田は生徒たちを混乱させないよう、誰にも言わずに気仙沼を去ることを決意する。辞任当日は奇しくも千鳥の結婚式の日でもあった。周囲がお祝いムードで盛り上がる中、青田は一人気仙沼駅へ向かう。
出典:wikipedia
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