ルーク・アップリング(Lucius Benjamin "Luke" Appling, 1907年4月2日 - 1991年1月3日)は、1930 - 1940年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグの選手。ポジションは遊撃手。ノースカロライナ州生まれ。右投げ右打ち。ニックネームは"Old Aches and Pains"。いつもチームメイトに、あそこが痛い、ここが痛いと不満を漏らしたことからついたあだ名である。アップリングはオグルソープ大学を2年で中退し、サザンリーグのアトランタ球団に入団した。打撃はいいもののエラーが多かったことで、当初関心があったシカゴ・カブスは契約を見送り、結局にシカゴ・ホワイトソックスに昇格しメジャーデビューを果たすが、デビュー2年間は82試合で失策46個と、守備のまずさは相変わらずだった。打撃面では高い出塁率から1番を打つことが多く、4年目の1933年に初めて3割を超えた後は、9年連続で3割以上の打率を残すまでになった。1936年には打率.388で初めての首位打者を獲得し、オールスターゲームにも初出場する。1950年までの現役生活の間、3割以上の打率を残したシーズンは14シーズンにもおよぶ。また守備面では、ホワイトソックス在籍中の21年間(1944年は出場せず)で、遊撃手としての刺殺数、補殺数、併殺数などのリーグ記録を持っていた(これらの守備記録は後にルイス・アパリシオが更新する)。1950年に現役を引退。21年間在籍したホワイトソックスでは、ついに1度もポストシーズンに進むことはなかった。1950年の引退後、アップリングはいくつかのマイナーリーグ球団の監督を歴任し、メンフィスやインディアナポリスでは球団を優勝に導いている。1952年にはマイナーリーグの年間最優秀監督に指名された。1960年から1970年代はメジャーリーグのコーチを歴任、1967年には、シーズン途中から終了まで、アスレチックスの監督を40試合務めている。1964年、記者投票によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。1982年7月19日、アップリングはオールスター期間中に開催されたオールドタイマーズ・ゲームに75歳で出場し、ウォーレン・スパーンからホームランを放っている。1991年ジョージア州で死去。彼の背番号『4』は、ホワイトソックスの永久欠番となっている。安打方向は右の流し方向に集中しており、打てる球が来るまで右方向へファウルボールを打ちながら打席で粘るのがアップリングの特徴だった。MLBではファウルボールを観客にプレゼントするサービスが実施されていたので、チームの従業員が「あまりファウルするなよ」と嫌味を言ったが、それから暫くして1打席で23球のファウルを打ったという。伊東一雄は同じく流し打ちが得意で、ファウルも多かった千葉茂を「和製アップリング」と呼ぶべきじゃないかと述べている。
出典:wikipedia
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