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東京放送ホールディングス

株式会社東京放送ホールディングス(とうきょうほうそうホールディングス、英称:"Tokyo Broadcasting System Holdings, Inc."、略称:TBSホールディングス、英字略称:TBSHD)は、日本の認定放送持株会社、また当社を中核とするTBSグループの統括会社である。傘下に関東広域圏を放送対象地域とするテレビジョン放送の特定地上基幹放送事業者である株式会社TBSテレビ、関東広域圏を放送対象地域とする中波放送の特定地上基幹放送事業者である株式会社TBSラジオ(旧社名TBSラジオ&コミュニケーションズ)、BSデジタル放送の衛星基幹放送事業者であるBS-TBSを収めている。東京放送は、2004年から放送(送信)と経理以外のテレビ放送事業の現業全般を番組制作会社として設立された株式会社TBSテレビに業務委託しており、東京放送自身では番組制作を一切行っておらず実質的にテレビ放送事業を分社化していたが、2009年4月の放送持株会社移行の際、放送免許の承継を含めテレビ放送事業の全てをTBSテレビに分割した。同時に東京放送からTBSテレビに出向していたアナウンサーは同日を持って全員がTBSテレビへの所属となった。赤坂サカスのイベント、赤坂BLITZ・赤坂ACTシアターの運営や、各種催事の開催等の文化事業は2009年4月の持株会社制移行の際に全事業をTBSテレビに分割した(赤坂サカス各施設の所有・不動産管理は当社が引き続き行う)。TBSテレビに関する事項はTBSテレビ#沿革を、TBSラジオに関する事項はTBSラジオ#沿革を参照。衛星基幹放送事業者のBS-TBSは基幹放送局提供事業者の放送衛星システム(B-SAT)が一括して管理しているため、他のBSデジタル放送局全局と同様に単体のコールサインはない。TBSHDは、傘下の放送局による放送での技術・コンテンツ以外の資産を抱えている。不動産においては本社・演奏所『TBS放送センター』のある東京都港区赤坂の赤坂サカスの土地・建物をはじめ、横浜市青葉区の緑山スタジオ・シティなどの不動産を保有している。半導体製造機器メーカー東京エレクトロンの創業時に出資、現在も同社の筆頭株主でもある。また、プラザスタイル(旧ソニープラザ)などのリテール事業を営むスタイリングライフグループ(スタイリングライフ・ホールディングス)の筆頭株主(51%)にもなっている。これらを含めたTBSHDの保有株式も貴重な存在である。後述のように大口の安定株主がいないという状況もあり「買収の対象とされやすい」と言われていた。初代社長の足立正が三井物産出身であったため同社や三井不動産と近しく、メインバンクも前身のラジオ東京設立当初から三井住友銀行である。TBS放送センター内に設置してある企業内ATMも三井住友銀行のATMのみである。またJNNとJRNの共同災害募金の口座も同行の赤坂支店にのみ設けられており、これらの事からも同行との親密ぶりを窺わせることができる。ただし、関連会社である東京エレクトロンは旧東海銀行が設立に大きく貢献した経緯があるため、同社のメインバンクは三菱東京UFJ銀行である。2009年に三井グループの社長会である二木会や、三井業際研究所等に加盟したことからも分かる通り、三井色の強い企業ではあるが、設立時の経緯に鑑みるに三井直系企業ではないため、三菱グループや第一勧銀グループ(みずほグループ)とも親しい関係にある。このため、TBSのサブメインバンクである東京三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)や第一勧業銀行(現・みずほ銀行)、東京海上火災保険(現・東京海上日動火災保険)、安田火災海上保険(現・損害保険ジャパン日本興亜)も一時期TBSの大株主であった。かつての三和銀行とは取引がなかったが、赤坂通りを挟んで旧TBS社屋のすぐ目の前に三和銀行赤坂支店があったため、旧社屋時代はTBSのメインバンクだった三井銀行ではなく三和銀行を給与振込口座に指定している従業員が多かった。しかし現在のTBS社屋には三井住友銀行のATMが設置されているため、三和銀行の後身である三菱東京UFJ銀行を給与振込口座に指定する従業員は旧社屋時代よりも少なくなっている。東京放送は沿革の項で述べた通り、もともと競願4社を統合して設立された会社であり、そのうち3社が新聞社をバックに設立された会社-毎日新聞系の「ラジオ日本」、読売新聞系の「読売放送」、朝日新聞系の「朝日放送」であった。
開局当時、ラジオ東京のスタジオは東京・有楽町の毎日新聞と同じビルに置かれ、人事面でも毎日色が強かった。これは上記各社のうちで「ラジオ日本」だけが順調に開局準備を進めていたことや、ラジオ東京成立後「ラジオ日本」が建設した演奏所以外の場所で開局すべく準備していたが、適切な場所が見つからずやむなく「ラジオ日本」が建設した演奏所を使用することになったこと、またレッドパージで毎日新聞を退職した者が多く入社したことによるものである。しかしながら、ラジオ東京はこれら新聞各社とは一線を画し、徐々に新聞支配からの脱却を図っていった。ラジオニュースは開局当初より読売・朝日・毎日の順番で一日交替制による『三社ニュース』として放送しており、編集権は一切新聞社が掌握していた。このため、出稿社が異なる度、同じ題材を扱うニュースの内容に齟齬(そご)が生じる結果となり、ニュース編集方針に一貫性を欠くきらいがあった。テレビニュースは自社制作ながら、月〜土曜日の夜に『三社ニュース』の枠が設けられ、読売・朝日・毎日各社の記者が出演して放送された。後にテレビ版『三社ニュース』は各社制作のニュース映画に替わり放送時間も夕方に変更された。1959年にJNNが結成される際は、地方局のほとんどが地元新聞社と深い繋がりがあったため、ラジオ東京は特定の新聞色を出さない条件でニュースネットワークへの参加を地方局に呼びかけた。このため同じ新聞3社が出資していながら読売色が強かった日本テレビに対して、ラジオ東京は全国ネットワークの形成で優位に立った。1961年、創立以来均衡を保った新聞各社出身の常勤役員は毎日出身者のみとなったが、却ってこれら毎日出身役員を中心に自主性が強まり、むしろ新聞色の薄い局と呼ばれるようになる。ニュースについては、1955年9月の砂川闘争の取材よりラジオ東京独自の取材による内容をニュースとして放送することが認められ、以降臨時ニュースを中心に独自取材のニュースも放送されるようになった。
1963年、東京放送は新聞3社とラジオニュースに関する覚書を交わし、同年4月より海外ニュースを共同通信社経由に切り替え、一部TBS自主取材のニュースを新聞社提供ニュースに挿入できるようになり、編集権の自主権を一部確保した。1973年12月20日、読売・朝日・毎日の各首脳が覚書を交わし、読売と朝日が持つ東京放送株は毎日へ譲渡されることとなり、翌1974年2月25日に実施される。このため4月からテレビ『三社ニュース』枠は『毎日新聞ニュース』だけになるが、ラジオの定時ニュースタイトルは『TBSニュース』に変更。完全に編集権は東京放送側に移った。5月30日毎日新聞社と東京放送は両社社長連名で相互の協力関係と独自性の尊重をうたった覚書を締結。1976年3月、テレビ開局以来の『毎日新聞ニュース』が打ち切られ、代わりに夕方のローカルニュース『テレポートTBS6』(1975年10月放送開始)に毎日新聞が協力することとなった。1977年、毎日新聞は経営危機の克服のためTBS株式の大部分を放出。また逆に毎日新聞新社設立時には東京放送が出資することとなり、完全に両社の立場は対等となった。1978年、ラジオのプロ野球中継で、読売ジャイアンツ主催試合を中継するため放送権を持つ読売新聞社と交渉に入り、10月読売新聞協力の報道・情報番組を放送することで1979年以降のジャイアンツ主催試合の放送権を確保。4年ぶりにラジオでの『読売新聞ニュース』が復活したが、1992年テレビでの東京佐川急便事件報道で読売新聞社と係争関係になり、ラジオナイターの独占中継権も覆ったため、1993年に『読売新聞ニュース』の放送を中止し現在に至っている。「東京放送ホールディングス」および「東京放送(2009年3月31日以前)」の資本構成。企業・団体は当時の名称。出典:上記の歴史から、東京放送は在京キー局で唯一新聞社との関係が薄く、大口の安定株主が存在せず買収されやすいと言われており、2005年2月のライブドアによるニッポン放送株取得を受け日興プリンシパル・インベストメンツに新株予約権を割り当てるポイズンピルや第三者割当増資を行うなどの防衛策を実施したが、同年10月の楽天による株式の大量取得を防ぐことはできなかった。しかし、2009年4月の認定放送持株会社への移行に伴い、特定株主の出資比率が3分の1に制限され、楽天は経営権の取得が不可能になったことから同年3月31日、東京放送(当時)に対し、保有全株式の買い取りを請求し、楽天による一連の経営権問題は収束した。系列放送局各社に関しては「JNN」、「JRN」の項目を参照。東京エレクトロン株式会社、株式会社キッズステーション、キングレコード株式会社、株式会社スカパーJSATホールディングス、株式会社パスコ、その他JNN各社を含む70社程度に出資している。また、過去にはイー・モバイル株式会社(現・ソフトバンク株式会社)にも出資していた。2001年1月26日から2011年12月2日まで、プロ野球チーム・横浜ベイスターズ(現・横浜DeNAベイスターズ)のオーナー会社であった。同球団との関わりは古く、1960年に前身の大洋球団と独占契約を締結して、放映権を獲得した。これは日本テレビの後楽園球場独占に対する対抗策として行ったものであり、フジテレビやNETテレビ(現・テレビ朝日)、NHKには各局が持つ放映権と引き替えの条件付で解放した。その後、前述の各局が放送できない年数試合については日本テレビ・東京12チャンネル(現・テレビ東京)にも開放した。しかし、1975年にNETテレビが大洋球団のテレビ独占中継権を獲得。これにより一部のカードは1978年までNET〜テレ朝経由での放映権購入となる。次いで1978年にラジオの巨人戦中継権絡みでニッポン放送が大洋球団のラジオ独占中継権を獲得したため、TBSテレビ・ラジオの優位は崩れた。なお、同年10月に国土計画が45%保有していた大洋球団株を放出することになり、約15%を引き受ける。1992年に「横浜ベイスターズ」に球団名を変更した同球団を2001年にオーナー会社であったマルハ(現・マルハニチロ)が手放すことになり、当初ニッポン放送が買収することとなっていたが、野球協約に抵触していた(ニッポン放送の関連会社であったフジテレビがヤクルト球団株式を20%保有していた)ために、東京放送およびビーエス・アイ(当時)がマルハから株式を取得して、オーナー企業になった。上述のように東北楽天ゴールデンイーグルスのオーナー企業である楽天株式会社が東京放送(当時)株の取得を進めていた時期があったため、野球協約の規定により球団を手放す可能性があった。また当時はUSENなどが球団買収に食指を動かしていた。結局、楽天絡みの懸念は払拭されたものの、肝心の球団経営に失敗したため、ディー・エヌ・エーに持株の殆どを譲渡して球団経営からは撤退した。

出典:wikipedia

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