高橋 克也(たかはし かつや、1958年4月26日 - )は、オウム真理教の元信徒。神奈川県出身。ホーリーネームはスマンガラで、教団が省庁制を採用した後は「諜報省」に所属した。オウム真理教事件実行犯の1人として、警察庁に特別指名手配被疑者に指定され、長期間逃亡していた。横浜市港北区出身。 1979年、横浜市の高等専門学校を卒業後、情報通信企業に勤務。1987年5月にオウム神仙の会に入信し、7月にオウム真理教に出家。柔道の有段者であることを買われ、教祖麻原彰晃の身辺警護を担当する「SPS(尊師パーソナルスタッフ、後の自治省)」に所属したが、諜報省に移籍し、井上嘉浩の補佐役となった。公証人役場事務長逮捕監禁致死事件では拉致と遺体焼却の実行犯、地下鉄サリン事件ではサリンを散布した豊田亨の送迎役を務めたとして警察から特別指名手配された。上記の指名手配容疑以外にも会社員VX殺害事件における運転役、被害者の会会長VX襲撃事件における実行役の補佐役、東京都庁小包爆弾事件における爆弾の起爆装置製造の嫌疑がかけられている。1996年(平成8年)11月に埼玉県所沢市のマンションに菊地直子、北村浩一らと5人で潜伏していたことが判明している。1996年11月以降は足取りが途絶え、「海外逃亡説」もあったが、2012年6月3日に、神奈川県相模原市緑区で逮捕された菊地直子の供述により、2007年ごろまで菊地と生活を共にしていたが、その後は別行動を取っていた事が分かった。逃走中には、実在する人物の住民票を悪用し、本人になりすまして生活していた。2011年12月まで、川崎市幸区のアパートに潜伏していたが契約更新に関するトラブルで退居し、その後は2012年6月まで同市川崎区所在の勤務先社員寮に転居し、菊地の逮捕後の6月4日に新聞で菊地逮捕が報じられると逃亡を再開した。警察が高橋が住んでいた川崎市の社員寮に踏み込んだのは逃亡から3時間近く経過した後だった。菊地逮捕以降、高橋は「最後のオウム逃亡犯」「オウム逃亡犯最後の1人」と呼ばれた。警察は逃亡を続ける高橋を逮捕するために一般市民から情報提供を呼びかけるべく、職場に提出された履歴書の顔写真を公開した。また警察は顔写真だけでなく、逃走直前に預金ほぼ全額を引き出した金融機関や職場での高橋の顔が映った防犯カメラの映像、コンビニで弁当と菊地逮捕を報じる新聞を購入した際の防犯カメラの画像を公開した。さらに逃走直前にスーパーで逃走用に購入したとみられる青いキャリーバッグの存在、職場関係者の証言に基づく似顔絵、金融機関から引き下ろした200万円以外にも菊地の同居人の証言から資金を持っており数百万円を所持している可能性があること、「潜伏先は地方を避けて都会にすべき」や「駅や空港には防犯カメラが多いから避けるべき」と高橋が供述していたとする菊地の証言、キャリーバックを購入したスーパーからタクシーに乗車する際に脚と青いキャリーバッグがわずかに映った防犯カメラの映像、社員寮に夏服がない一方で冬服が残されていることから何着かの夏服が持ち出されている可能性が高いこと、社員寮に防犯カメラ特集の雑誌が残されており防犯カメラに関する知識を悪用して逃亡している可能性が高いこと、川崎駅周辺の透明なドア越しに歩く姿がわずかに映った喫茶店の防犯カメラの映像、職場に提出された履歴書や金融機関払戻請求書に書かれた筆跡に至るまで連日に逐次公開し、結果として連日にわたって世間の注目を集めることになった。マスコミもこれらの警察の細かな発表だけでなく捜査特別報奨金制度(公的懸賞金制度)の対象であることを合わせて報道し、高橋の足取りだけでなく逃亡手段や潜伏先や心理状況に至るまで専門家が推理・分析し、コメンテーターが論評し、現職の捜査責任者である警視庁捜査一課理事官が生放送のテレビ番組に出演し情報提供を呼びかけるなど異例の展開を見せ「劇場型捜査」と呼ばれた。市民からいくつかの情報が寄せられる中で有力な情報が寄せられ、逃亡開始から11日後の同年6月15日、潜伏していた東京都大田区西蒲田の漫画喫茶『コミックガーデン』を出た所で身柄を確保され、連行された蒲田警察署で逮捕された。平田の逮捕から僅か半年で「最後のオウム逃亡犯」「オウム逃亡犯最後の1人」である高橋が逮捕されたことで、オウム真理教事件は一つの節目を迎えた。逮捕後の取り調べで麻原への信仰心を否定した平田・菊地と異なり、高橋は逃亡中に使用していたキャリーバッグの中に麻原の著書や写真、説法の録音されたカセットテープが入っており、また捜査員に対し麻原のことを「尊師」と呼んでいること、取り調べ中に「教団の修行を積めばパワーがみなぎる」などと話していることなどから、麻原や教団の教えを支えに逃亡生活を続けていた疑いが強い。地下鉄サリン事件・東京都庁小包爆弾事件・会社員VX殺害事件・被害者の会会長VX襲撃事件・公証人役場事務長逮捕監禁致死事件で起訴されたが、現場の見張り役として関与した駐車場経営者VX襲撃事件については嫌疑不十分で不起訴処分とされた。2012年9月24日に高橋が公証人役場事務長逮捕監禁致死事件で起訴されたことで、一連のオウム真理教事件の捜査は終結した。裁判員裁判による初公判は2015年1月16日に東京地方裁判所で行われ、同年4月30日の判決公判では、全事件で有罪が認定され求刑通り無期懲役の判決が言い渡された。同年5月1日、一審の判決を不服として東京高等裁判所に控訴した。2016年9月7日、東京高裁は一審判決を支持し、弁護側の控訴を棄却した。上告中1995年(平成7年)の地下鉄サリン事件の犯行時は殺人罪・殺人未遂罪の公訴時効は15年であったが、共犯者の公判が約16年行われていたため刑事訴訟法254条2項の規定により公訴時効は停止し、2010年(平成22年)4月に刑事訴訟法改正により殺人罪の公訴時効が廃止され、捜査が継続していた。これにより、高橋に対する地下鉄サリン事件の殺人罪での訴追が無期限で可能となった。1999年(平成11年)7月に発生した全日空61便ハイジャック事件のハイジャック犯は刃物を飛行機に持ち込む際の航空券予約において「タカハシ・カツヤ」の偽名を用いた。
出典:wikipedia
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