かつみ♥さゆりは、太平かつみと尾崎小百合による日本の夫婦漫才コンビ。所属事務所はよしもとクリエイティブ・エージェンシー東京本社。愛称「かつさゆ」。漫才の他、テレビ番組のレポーターなども多く務める。また、かつみの多額の借金に関する様々なエピソードを持ちネタにすることでも知られている。太平かつみは、1984年8月に「トラコ&与作」の与作と「太平かつみ・ひろみ」を結成。1985年に月亭八方の弟子であったきびのだんご(本名:前谷正弘)とともに漫才コンビ「どんきほ〜て」として活動していたが、だんごが妻の父が経営するディスカウントチェーン店『ジャパン(現・スギホールディングス)』に後継者として入社するために引退しコンビは解散。その後、中田カウスの勧めにより、妻である小百合とともに漫才コンビを結成。小百合が髪飾りを自分で引っ張る「あ~ボヨヨ~ン」のギャグで人気を得る。なお、かつみ♥さゆりの結婚披露宴の媒酌人は六代桂文枝夫妻であった。25歳位の頃から財テクに乗り出し、株や不動産の売買で3億円を稼ぎ出す。信用取引の大勝負に出たが、相場はかつみの予想したとおりには行かず大暴落(バブル崩壊)。かつみは4億7000万円の大損を被り、1億7000万の借金を背負うことになった。オオクワガタの繁殖を試みたこともあるが、さゆりがコバエ退治のために誤ってバルサンを炊いたことにより失敗。ピコピコドンという100円ショップの経営にも乗り出したが、大量の発注ミスがあり閉店。2007年には起死回生を狙い、新たにラーメン店経営に着手。11月1日(たむらけんじの「炭火焼肉たむら」2号店と同日)、かつみがオーナーを、さゆりの兄(開店に向け3か月間有名ラーメン店で修行した)が店長を務めるラーメン店「ボヨヨンラーメン ウマインジャー」を大阪市都島区にオープン。さゆりが自分の部屋をイメージして手がけた内装は、ピンクを基調とした壁紙にハート型の鏡やシャンデリア、『暮らしカルマガジン みかさつかさ』で当時共演していた秋野暢子が描いた絵画などが飾られ、通常のラーメン店のイメージとは一線を画したものとなっている。本人曰く、「(さゆりの部屋に来てもらうというイメージでデザインしたら)ラブホみたいになってもーた」とのこと。また店の看板も、かつみが手書きしたイメージを元に看板屋にデザインしてもらうようさゆりに頼んでいたが、さゆりが看板屋に「これで作ってください」と頼んでしまったため、ロゴがデザインされることなく、かつみが手書きしたままの文字となってしまった。店の経営はさゆりの兄に任せていたが、売上の低迷に加え、店内アルバイトの募集に応募してきた人物をほぼ全員採用(日本語が話せない外国人を含む)するなど経営の杜撰さがあらわになり、メロンパン販売で人気回復を目論むも裏目に出て、2008年6月末をもって閉店。その後、2008年11月13日より、千葉県千葉市にあるショッピングモール・One's Mall内にある「ラーメン劇場」で同名のラーメン店を営業していたが、こちらも2009年1月末で閉店。なおメロンパン生地とラーメンのネット通販は、閉店後も引き続き行われていた。2008年の『オールザッツ漫才』ネタ組トリで「褌一丁にサングラス」のたむらけんじがラーメン屋経営の実態を暴露した。2012年4月28日にはスイーツ食べ放題店「ボヨヨンスイーツガーデン」を道頓堀の中座くいだおれビルにオープンさせた。今回は店を経営のプロに見てもらっており、「ボヨヨンラーメン ウマインジャー」の7ヶ月間を超えて最長となる3年11ヶ月間続いていたが、中座くいだおれビルが香港の投資ファンドに買収された影響で家賃が高騰したため、20回目の結婚記念日にあたる2016年3月27日に閉店。なお、自己破産について聞かれることもあるが、かつみ曰く「自分は自力で三億を稼いだ実績があるから、そのプライドで頑張っている」とのこと。『痛快!明石家電視台』(毎日放送)の収録日当日、本来出演予定だった中川家がマネージャーの連絡ミスにより大阪に来られなくなり、番組スタッフが代役を探していたところ、かつみ・さゆりのスケジュールが空いていた。さゆりとはすぐ連絡が取れたが、かつみとはどうしても繋がらなかった。さゆりが長年の勘で「サウナに行っているのでは」と言い出し、番組スタッフが大阪市内にあるサウナにかたっぱしから電話したところ、かつみが見つかり、無事収録に間にあった。神戸市で電気店を営む両親の下に生まれる。兄が一人居る。さゆりは3歳からピアノを習っていた。。さゆりは吉本入り以前からミスコン荒らしとして知られ、テレビ番組のアシスタントを務めていたこともある。その際に桂文枝と知り合い、一時は文枝の個人事務所に所属していた。かつみとの出会いも、文枝(前名は三枝)の冠番組「桂三枝の激闘スタジアム」(関西テレビ)で共演したのがきっかけである。現在は頬を赤く強調した道化的なメイクを施し三枚目キャラクターとして活動しているが、元々は吉本屈指の美人タレントとして知られた。吉本入り後は主に吉本新喜劇に出演していた。結婚前後にかけてはかつみが経営するスナックでも働き、火の車状態の家計を助けていた。またこの頃「かつみのアホの嫁」(ここでの“アホ”は、“天然ボケ”という意味)として関西のテレビ番組にしばしば出演するようになり現在のスタイルを築いていった。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災にて、神戸市内のさゆりの実家が被災。しかし、さゆりは偶然にもかつみとフランス・パリへ旅行中で不在だったために被災を免れた。さゆりの部屋は地震で完全に潰れた状態だったといい、もし彼女が実家にいたら命の危険もあったとされている。さゆりの父は、かつみが娘の命を救ってくれたも同然と感激し、かつみにさゆりとの結婚を承諾したとのエピソードがある。2004年6月中旬、さゆりが病に倒れ、かつみ一人でのテレビ出演が続いた。診断の結果、さゆりは卵巣嚢腫、子宮筋腫、子宮内膜症の3つの病気にかかっており、1か月後の2004年7月中旬、MBSテレビ『ちちんぷいぷい』で復帰。その後、『最終警告!たけしの本当は怖い家庭の医学』でこの時の詳細を語った。さゆりのボヨヨン(髪飾り)は手作りで、ヌーブラのケースに入れて保管している。制作費は片方2000円で、「ボヨヨン代」として確定申告もしている。本人曰く以前は一から手作りしていたが、最近は花のパーツを購入して制作している。また、片方7gが最高の重さ(黄金比)であるとも説明している。ボヨヨンが誕生したきっかけは、かつみが体を張るロケに、さゆりが勝手に同行し、お手製のポンポンでかつみを応援していた。その後、ポンポンを首に掛けられる様に紐を付けたり、頭に付ける様にするなどして試行錯誤を重ねて現在のスタイルになる。また、最初は「頑張るポン」という名称だった。さゆりのボヨヨンに対して、かつみはネクタイに仕込まれた糸を引っ張るとネクタイがピンと立つ、「ネクタイぴーん!」というギャグを持っている。後藤田正純・水野真紀の披露宴の際、このギャグを当時の首相だった小泉純一郎の前で披露したところ、後でSPにこっぴどく叱られたという。
出典:wikipedia
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