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ハーバート・リード

サー・ハーバート・エドワード・リード(Sir Herbert Edward Read、1893年12月4日 - 1968年6月12日)は、イギリス、ヨークシャー生まれの詩人、文芸批評家、美術批評家。ロマン主義の作風で知られる。第一次世界大戦に従軍した後は美術評論家としても活動する。また1953年には、イギリスの文学への貢献からナイト爵を授与されている。リードはハーバード大学 the Norton Professor となった(1953年-1954年)。晩年には米国ウェスリアン大学の高等研究センターの教授を務めた(1964年-1965年)。80冊あまりの著作があるものの、日本では美学を論じた著作が主に邦訳されていることから、詩人よりは美術評論家としての肩書きが有名(勿論詩集や政治に関する著作物もある)。イングランド、ノース・ヨークシャー州の小都市カービームアサイド(Kirbymoorside)に生まれる。リーズ大学に進学するが、第一次世界大戦勃発により学業を中断した。フランス戦線に派遣され、十字勲章と殊勲章を授与された。戦時中にフランク・ラターと共に雑誌『芸術と文学』(Arts and Letters)を創刊。この雑誌は文芸誌の中で最も早い時期にT・S・エリオットの作品を掲載したものの一つである。リードの第1詩集である『混沌の歌』は1915年に自費出版された。さらに1919年に刊行された第2詩集『裸の戦士』では、第一次世界大戦の最前線で彼自身が経験した戦闘の模様を扱っている。彼の作品にはイマジズムの影響が見られ、主に自由詩の形式を採っている。1946年には彼の詩作品全集も出版された(1966年に改訂版)。文芸批評家としては主にイギリス・ロマン主義詩人を扱っている(例えば1953年の『ほんものの感情の声―イギリス・ロマン主義詩研究』等)。小説家としては『グリーン・チャイルド』を出版した。また、『クリテリオン』に定期寄稿し(1922年 - 1939年)、『リスナー』でも長年にわたって芸術批評の論陣を張った。とはいえ美術批評家としてのリードのほうが知名度は高い。彼はポール・ナッシュ、ベン・ニコルソン、ヘンリー・ムーア、バーバラ・ヘップワースといった現代イギリスの芸術家たちを高く評価し、ナッシュらによる現代芸術グループ「ユニット・ワン」にも参加している。またエディンバラ大学で美術の教授を務めた(1931年-1933年)。流行発信源として注目を集めた『バーリントン・マガジン』の編集に携わった(1933年-1938年)他、1936年に開催されたロンドン国際シュールレアリズム展の企画者に名を連ね、同年にアンドレ・ブルトン、ヒュー・サイクス・デイヴィス、ポール・エリュアール、ジョルジュ・ユニエらの寄稿を得てカタログ『シュールレアリズム』の刊行も行っている。またテート・ギャラリーの理事や、ヴィクトリア&アルバート美術館の館長も務めた(1922年 - 1939年)。さらに1947年にはローランド・ペンローズらと共同で現代美術会館(ICA)の設立にも関わった。リードは1953年に当時の首相ウィンストン・チャーチルの推薦で「文学への貢献」を理由としてナイトの称号を得た。しかし政治的には彼は、静寂主義の流れを汲むアナキストを任じていた。リードの政治的著作と芸術・文化に関する著作とを分けることは難しい。これは、人間意識の表現として芸術・文化と政治には変わるところがないと彼が考えていたためである。リードは1941年刊行の『文化なんて糞食らえ』で、文化という言葉に軽蔑を表明し、芸術家(artist)を職人(artisan)と考えるアナキスト的見解を展開している。この本では、書体デザイナーでアーツ・アンド・クラフツ運動にも参加したエリック・ジルの作品にも分析が加えられている。哲学的にはリードはシェリング、フィヒテ、サミュエル・テイラー・コールリッジなどに代表される大陸哲学の観念論的伝統に親しく、人間精神に経験される現実というものは外的で客観的な事実というよりも人間精神の産物といったほうがよいと考えていた。言い換えると、精神は眼を通じて知覚した対象を記録するカメラのようなものではない。むしろ精神は、自らの現実を投影するプロジェクターのようなものである。マルクス主義の全盛期にあって、リードの芸術理論に力強さを与えているのはこういう非マルクス主義的な哲学的土台である。芸術の目的とはわれわれにとっての現実の意味を作り出すことである。つまり、芸術とは多くのマルクス主義者が考えているのと違って、単なるブルジョワ社会の産物ではない。芸術とは、意識の展開と同時的に発展していく心理学的過程なのである。従って--1930年代にリードがアンソニー・ブラントというマルクス主義の批評家と論争するときに多用した言い方をすれば--芸術は生物学的現象でもある。この点でリードはドイツの芸術心理学の発展から影響を受けている。とはいえリードは精神分析学にも興味を抱いており、さらにユング心理学に傾倒した。実際、リードは英語圏で最も早い時期に、精神分析学を芸術批評・文芸批評の道具として 用いた人物なのである。おそらくリードはイギリスの著作家の中でもっとも早い時期に、フランスの実存主義者の著作に関心を持った。早くも1949年に彼はサルトルに関心を抱いている。リード自身が実存主義者を名乗ったことは一度もないが、実存主義者たちから理論的に多くを学んだことは認めている。1968年の死後はリードは急速に忘れ去られた。これはおそらく、マルクス主義をふくめて芸術の社会理論がアカデミズムに広まったためと思われる。それでもリードの著作は読まれ続けており、1990年代に入ると、1993年にリーズ市立アート・ギャラリーで彼の回顧展が開かれたのをきっかけに再び注目を集めている。著作の再刊も現れ始め、2004年6月にはテート・ブリテンでハーバート・リードについてのカンファレンスが開かれた。

出典:wikipedia

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