千歳型航空母艦(ちとせがたこうくうぼかん)は、大日本帝国海軍の航空母艦。千歳型水上機母艦を太平洋戦争中に航空母艦に改造したものである。なお、戦時中の艦艇類別等級別表では瑞鳳型航空母艦として分類されており、千歳型航空母艦は便宜上の呼称である。1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦で、一気に4隻の空母を失った日本海軍は空母兵力の建て直しを図り、同年6月30日に出された通達「官房機密第8107号」によって、水上機母艦から航空母艦へ改造が決定した。このときに決定したのは本艦型の他に大型優秀客船のあるぜんちな丸、ぶらじる丸、シャルンホルスト号の3隻も含まれる。同年9月30日の訓令により同年末から改造に入った。千歳型水上機母艦の計画段階では「必要ニ応ジ航空母艦ニ改造シ得ルコト」という要求があったが、改造にはバルジ装着、格納庫設置、煙突の処理などが必要であり、急速改造に適した設計にするには非常に困難だった。このため基本計画時には主機の力量を考慮したのみで、空母改造計画は先送りになった。1942年時点で改造設計が十分行われていなかったため、工期はおおよそ10ヶ月とされ、実際に約1年を掛けて空母への改造を行い、1943年(昭和18年)末までに千代田、千歳の順で完成した。完成後の千歳型は、龍鳳や瑞鳳に準じた性能をもつ小型空母で、乾舷がやや低いこと以外はよく似たスタイルをもっていた。なお、1944年秋のレイテ沖海戦に於いて瑞鳳の飛行甲板後端に「づほ」と書かれた航空写真が残っているため、千歳にも「ちと」、千代田にも「ちよ」の文字が書かれていたとも言われているが、それを直接裏付ける写真や文献、証言等は現時点では存在しない。2隻とも同年6月のマリアナ沖海戦で初陣を飾ったが、同年10月のレイテ沖海戦で両艦とも撃沈された。上述のように、先に改造された瑞鳳とほぼ同じ要領の平甲板型空母である。ただ飛行甲板の高さは同規模の瑞鳳より1m以上低かった。また船体に最大幅1mのバルジを装着した。機関は水上機母艦時と変化はない。煙突は日本海軍空母特有の右舷から下方へ向けるもので、1番高角砲直後にある煙突がボイラー用、3番高角砲直前のそれがディーゼル用の2本となった。飛行甲板は長さ180m、幅は前端13m、後部23m、後端16m、最大幅は23mだった。エレベーターは2基で大きさは前後共に長さ13m、幅12mだった。格納庫は2段、下部格納庫は甲標的格納甲板に設けてあり、この甲板の高さは水面上1mほどしかなかった。航空艤装類としては呉式四型着艦制動装置7基7索、空廠式三型滑走制止装置1基を装備、遮風柵は装備していない。12.7cm連装高角砲は左右舷に2機ずつの計4基、25mm3連装機銃は左右舷に4基ずつ、艦尾機銃座に2基の計10基を装備した。あ号作戦前には橇式の25mm単装機銃12挺を装備、あ号作戦後に同単装機銃12挺を増備し、単装機銃は計30挺とされる。レイテ沖海戦時には噴進砲も装備した。装備位置は千歳戦闘詳報が正しいとすると左舷は2番高角砲直後、右舷は無線マスト2本を前方へ移動し、4番高角砲直前の無線マスト位置跡とした。改造完成時には21号電探を前部エレベーター前に昇降式に装備した。あ号作戦後に13号電探1基を増備したとされる。直接防御は有しない。そのため間接防御に力を入れ防水区画や下部区画への交通路などに特に気をつけた。また上述のように下部格納庫は水面上1mほどしかないため、艦尾は隔壁の数を増やして3区画とするなど、格納庫への浸水防止に留意した。
出典:wikipedia
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